因果応報-後編
今回も三人称視点です。
「シノの兄……? ああ、そういえばそんな奴もいたでおじゃるな。で、貴様が一体麻呂に何の用でおじゃるか? 今更命乞いでも……っ!?」
キミマロの言葉が、そこで止まる。イチタカが流れるような動作で抜き放った剣が、キミマロの喉元に突きつけられたからだ。
「な、何のつもりでおじゃる!? 麻呂にこんなことをしてただで済むと――」
「黙るでござる」
「ぐっ……」
ほんの数ミリ押し込まれた刃が、キミマロの喉元に赤い雫を一滴生み出す。雨で冷え切った体に生じた熱い感覚に再び口を閉ざすキミマロに、イチタカは盛大なため息をついて、力なくその顔を横に振った。
「最初は、確認するだけのつもりでござった。トール殿の怒気に当てられた貴殿が何を思い、どうするのか。もしこのままニャポーンに逃げ帰るだけであったなら、拙者は何もせずに貴殿を見送ったでござろう。
とはいえ、貴殿がそのような潔い選択をするとは端から思っていなかったでござる。故に念押しをするべく色々と準備をしていたのでござるが……いやはや、ここに来て全て無駄になってしまったでござる」
「何を……貴様は何を言って……」
「わからないでござるか?」
言って、イチタカの剣が退かれる。思わず安堵の表情を浮かべるキミマロの眼前で雷鳴と共に銀閃が走り、そして次の瞬間。
「……は? あ? あぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
「つまり、こういうことでござる」
キミマロの左腕、その肘から先が宙を舞った。
「う、うでぇぇぇ!? 麻呂の、麻呂の腕がぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
「そう騒ぐことも無いでござろう? たかが腕一本。貴殿が今まで飛ばしてきた首の数に比べれば微々たる物でござる」
「き、きさ、貴様!? 麻呂を、ゴジョー家の麻呂に、こんな、こんな……!?」
「ふむ。確かにゴジョー家を敵に回すのは大変なことでござる。が、拙者にそうさせたのは貴殿でござろう?」
「麻呂? 麻呂が何を……」
心底わからないといったキミマロの表情に、イチタカの目に一瞬だけ強烈な殺意が宿る。
「言葉を刃に変えられる立場の者が、拙者の家族を殺すと言った。ならば殺される前に殺すしか無いではござらぬか。穏便に済ませたいというトール殿の意思とはかけ離れてしまったでござるが、こればかりは譲れぬでござるからな」
「言った!? 言っただけでおじゃるぞ!? それだけ、たったそれだけで……!?」
「そうでござる。故に『良いことを聞いた』と言ったのでござるよ。もしもそれを聞き逃して貴殿を見逃していたら、死ぬまで後悔し続けたでござろうからな」
切られた肘を必死に手で押さえるキミマロに、ヒュンと剣を振って血を飛ばしたイチタカが冷静に答える。尚、キミマロが正常に意識を保っているのはその身に治癒魔法の効果を宿す魔法の護符を身につけているからだ。流石に切り飛ばされた腕を再生するほどの力は無いが、失血死までの時間を十倍以上に引き延ばす程度の力はある。それは高位の貴族なら大抵は身につけている物であり、当然キミマロも例外では無かった。
だが、それは結局急場をしのぎ賊の撃退や傷の治療の余地を生み出すためのものであり、この状況で救いをもたらす、あるいは障害となるようなものでは無い。イチタカは冷静のまま、今度はキミマロの右足の太ももにその剣を突き立てる。
「ぐぎゃぁぁぁ!?」
「痛いでござるか? 申し訳ないでござるが、我慢してくだされ。走って逃げられたりしたら面倒でござるからな」
その場に倒れ伏すキミマロに、イチタカは感情のこもらない声でそう告げる。そんなイチタカとは対照的に、キミマロは恨みの籠もった視線をより強くしてその口を開く。
「ご、ゴジョーが……麻呂の家が貴様を許さないでおじゃる。もはや一族郎党皆殺しなどという生ぬるうぎゅぅぅぅぅぅぅぅ!」
グリグリと剣をひねられて、その痛みにキミマロの口から蛙を踏み潰したようなうめき声が漏れる。
「ふぅ。まだわかっていないのでござるか……ゴジョー家を敵に回せば恐ろしいのはわかったでござる。が、今この状況でどうやって拙者を糾弾するつもりでござるか?」
「それ、は……」
どれだけ周囲を見回したとしても、今この場にはイチタカとキミマロの二人しかいない。この状況でどちらかの口が閉じられれば、真実は残った者の口かた語られるものだけになるだろう。
「貴殿がトール殿を恐れず町中を歩けば手出しなどできなかったでござる。貧民街を通るとしても難しかったでござろう。が、町の外……しかもこの雨。護衛もお付きも無くただ一人でこんなところを歩くなど、少し常識をわきまえていれば絶対にとらない選択肢でござるぞ?」
町中であればファルファリューシカの魔法が、軽く脅しと警告をする程度が限界だっただろう。貧民街にはジェイクがいるが、そちらも乱闘を装って少し怖がらせるのが精々だ。
だが、キミマロはここに来た。最も愚かで、だが最もキミマロが選びそうな選択肢。キミマロが世間知らずで傲慢な貴族であることに賭けたイチタカは、その勝負に勝ってここにいる。誰の邪魔も入らず、ただ二人だけで対峙するこの場所に。
「こ、殺すのでおじゃるか? 麻呂を、麻呂のような高貴な血筋を、貴様のような溝鼠が手にかけるというのか!? そんなこと許されるはずがないでおじゃろう!?」
「許さないとは、誰がでござる? ゴジョー家でござるか? 帝でござるか? それともまさか、神が、などと言うつもりでござるか?」
「があああぁぁぁっ!?」
太ももから抜かれた剣が、今度はキミマロの左の足首を飛ばした。いかに興奮状態にあり、癒やしの護符の力があるとはいえ、当然そこに限界はある。もはや息も絶え絶えとなったキミマロは、半分濁ったその瞳をけだるそうにイチタカに向けた。
「この……人殺しが…………」
「これは異な事を。確かに拙者、人を殺したことはあるでござる。夜盗の類いなら数えきれぬでござるし、護衛の依頼で襲ってきた相手を斬り殺したこともござる。が……」
「ひぐっ…………」
「生憎、貴殿を人とは思ってござらんよ」
最後に胸をひと付きされて、キミマロはその生涯を終えた。その死に顔がどうであるかなど、イチタカには何の興味も無い。そのまま死体を森の方へと蹴飛ばすと、何の未練も残すこと無くその場を歩き去って行った。
すると、イチタカの背後で何かが蠢く気配がした。いかに雨が気配を隠し魔物を遠ざけるとは言え、これだけ濃密な血の匂いをまき散らせば話は別だ。キミマロの死体は瞬く間に魔物にたかられ、その肉に牙が突き立てられていく。
「外道には似合いの最後でござろう」
そんな呟きだけを残し、イチタカはその姿を激しい雨の中へと消していくのだった。
後日。なかなか待ち合わせの場所にやってこないキミマロに下男達が宿に確認に戻るも、単身で外に出たという証言のみ。一晩たっても戻らない主にやむなく冒険者ギルドへと捜索依頼を出したが、激しい雨に調査は難航。結局見つかったのは三日後で、その時には遺体は原形をとどめないほどに魔物に食い荒らされており、かろうじて周囲に散乱していた遺品からキミマロ本人と断定された。
その状況と彼が自ら一人で門を通っていた事実が確認されたため、キミマロが襲われたのではという嫌疑はなりを潜め、単独で出歩いたために魔物に襲われて死亡したという結論で調査は終了。それを受けてキミマロの連れてきた一団は逃げるようにニャポーンへと帰国することとなる。
半年の後、ニャポーンにてその情報を受け取ったゴジョー家は全ての情報を隠蔽し、その後の対応は問われた相手にのみ「異国の地にて隠居している」と答えるにとどまった。一部には厄介者がいなくなったと胸をなで下ろす者もいたというが、反面その訃報に涙を流す者は、ただの一人もいなかったという。





