キャットファイト ラウンド2
「あの、一体何を?」
「アン? 見りゃわかんだろ。杭打ってるんだよ」
うん。確かにそれは見ればわかる。わかるけれども、僕が欲しい情報はそういうことじゃないわけで……と思ったら、ウメキチさんの口の端がペロリとめくれ上がった。人間で言うならニヤリと笑ったって感じなんだろうけど、チラリと見える鋭い犬歯が微妙に怖い。
「何てな。ジョーダンだよ冗談。こいつぁ掘るべきところ、掘っていいところの周囲に杭を打って、それに縄を通すことでわかりやすくしてるんだ。こうしときゃ素人集団でもどこからどこまで掘ればいいか一目瞭然だろ?」
「ああ、なるほど」
言われて納得。そりゃ漫然と穴を掘るより、こうしてわかりやすい指標があった方が作業をしやすいに決まってる。こういう工夫がさっと頭に浮かぶかどうかがプロと素人の違いなんだろうね。そういうことなら、確かにこの場はウメキチさんに任せるのが一番良さそうだ。
「ま、悪いようにはしねぇから任しときなって。穴を掘って埋めるだけじゃ大工の仕事とは言えねぇが、それでも現場で気をつけることはみっちりたたき込まれてるからな」
「それは心強いです。なら全部お任せしますので、よろしくお願いしますね」
「オウ! 任しとけってんだ! おらボーンズ! 縄が弛んでるぞ!」
「親方厳しいッス。なら二割増しで張っとくッス」
ウメキチさんと二人の弟子……従業員? まあ弟子でいいか。その二人とが威勢のいい声を掛け合って、あっという間に畑の周りに細めだが長い木製の杭が等間隔で打たれ、その間を三本の縄が囲っていく。一カ所だけ人が出入りできるように縄を張らない箇所があるのは、僕くらいの身長ならともかくトッピーさんや親方みたいな小さい種類の犬人族だと縄を跨げないからだろう。
「うっし、こんなもんだな」
「ふぅ、疲れた」
「オイラ達にかかればざっとこんなもんッスよ」
「お疲れ様です。宜しければお茶をどうぞ」
その作業がちょうど終わった辺りを見計らって、シノさんが家からお茶を入れて持ってきてくれた。見てみれば、既にトッピーさん達にもお茶が配られ、ミッピーちゃんに至ってはかりんとう……じゃなくて、カリン棒まで渡されている。シノさんの気配り力が半端ない。
「はい、どうぞ。旦那様も。熱いので気をつけてくださいね」
「ありがとうございますシノさん」
「オウ、わりぃな奥さん。いただくぜ」
「どうも」
「ありがたいッス」
僕は勿論、お茶を渡されたウメキチさん達も口々にお礼を……いや、待て。
「あの、違いますから。彼女とは結婚とかしてないです」
「アン? そうなのか? でも今大将のこと『旦那様』って呼んだろ?」
「そうですよねぇ。何でいつまでも旦那様と呼んでるんでしょうね? おかしいニャー。不思議だニャー」
同じくお茶を受け取ったミャルレントさんが、ヒュンヒュンと尻尾で風を切りながら僕の隣に寄り添うように立つ。何だろう。嬉しいはずなのに微妙に喜びきれない。
「それは、その……ほとんど出会ったときからずっとそう呼んでいたので、呼び慣れてしまったというか……あ、旦那様が嫌と言うことであれば、勿論名前でお呼びしますが?」
「嫌ということは無いですけど、どちらかと言うなら普通に名前で呼ばれた方が良い気がしなくも無いですね」
ここは無難な選択で乗り切りたい。日本と違って貴族でもなければ家名が無い世界なんだから、名前呼びはごく普通であり、そこには何の問題も――
「で、では、その……トール、さん……ふふ。何だか恥ずかしいですね」
「あ、あはははは……」
ヤバい。背中の方で聞こえる風切り音がどんどん大きく鋭くなっている気がする。
「何だよオイ! 初々しいなぁオイ! なるほどなるほど、あくまでまだ結婚してないってことだな。結婚して家を建て替える時には、是非とも俺っちに声をかけてくれよな」
「あー、その時は確かにお願いしたいですけど、僕が結婚する相手は多分こっちのミャルレントさんになると思いますよ? 僕が好きなのは彼女ですから」
「ニャッ!?」
僕の言葉に、ミャルレントさんがビクーンと全身の毛を逆立てる。
「あの、そこまで驚かれるのはちょっと悲しいんですが……」
「ち、ちが!? 違います! そりゃビックリはしましたけど、それは嫌だったとか予想外とかじゃなくて、その……もうっ! トールさんったら!」
照れた顔のミャルレントさんの肉球パンチがペチペチと僕の肩を叩く。代わりにさっきまでヒュンヒュン風を切っていた尻尾が、甘えるようにクルリと僕の腰に巻き付いてきた。空いた手でこっそり尻尾をワサワサ撫でると、その都度ピクピクと反応してくれるのが何とも愛らしい。
「かーっ! 何だよ大将、モテモテだな! 言ってくれれば複数の嫁さんと快適に暮らせる家とかも作れるぜ? お貴族様の仕事で慣れてるしな」
「いらないニャ! そんなの絶対いらないニャ! トールさんはアタシだけの人なのニャ!」
「そうですね。旦那様の大好きなニャポーン食は私が外からお届けしますし、私のところには疲れたときにでも寄っていただければ……」
「いらないニャ! 寄らないニャ! これ以上言うなら本気で爪を立てるわよ!?」
「フフフ。未熟とは言え剣士の私に、受付嬢の貴方が武勇で挑むと? 身の程をわきまえた方が良いのでは?」
「それはこっちの台詞ニャー!!!」
「ガッハッハ! 本当に大将のところは面白ぇな!」
「羨ましい」
「凄いッス。あやかりたいッス」
「いや、僕は全く面白く無いんですけど……」
何だこれ。どうしたらいいんだろう? 男同士なら拳で語り合うことで友情が生まれるみたいなのがあるけど、女同士だとどうなんだろうか? そもそも僕はミャルレントさんが好きだとはっきり告げているのに、それでこの状況になる意味がわからない。
「えっちゃん、これどうすれば?」
ぷるるーん!
「いや、男の甲斐性って言われてもなぁ……」
「おいおい、この家は相変わらず賑やかだな」
と、その時。聞き覚えのある声に振り向けば、町の方から大量の人々を引き連れたジェイクさん達がやってきていた。
「あ、ジェイクさん!」
「おう、おはようさん。参加希望の犬人族達を連れてきたぜ」
「うわ、この人達みんなですか!?」
見れば、おそらく三十人くらいの犬っぽい人たちがいる。見た目も体の大きさも多種多様で、まさに犬人族の見本市って感じだ。親子連れだと思われる人たちも結構いるけど、トッピーさん達と違ってむしろ親子が似てない人たちの方が多い。この辺は獣人共通なんだろうね。
「参加費無料の穴掘り会場はここですか?」
「うおー! 掘るぜぇ! 超掘るぜぇ!」
「楽しみだねパパ!」
「よーし、パパ特堀りしちゃうぞー!」
「おかーさん。あの人達何してるの?」
「しっ! 目を合わせちゃいけません!」
……まあ、うん。ごく一部に教育上宜しくないキャットファイト的な事件が発生していることに関しては、心からお詫びを申し上げたい。
「何をやってるでござるかシノ。やめるでござる」
「兄様! はい。兄様がそう仰るなら」
「ほら、ミャルレントも落ち着きなさい。というか何やってるのよ?」
「止めないでくださいファルさん! これは女として引けない戦いなんです!」
あ、シノさんの方はイチタカさんに言われてあっさり止まったけど、ミャルレントさんはファルさんに羽交い締めにされて尚ジタバタしてる。
「なあトール。前にも言ったかも知れんが、お前さん本当に刺されないようにしろよ?」
「僕ははっきり好きな人を宣言してるんですけどねぇ……」
どうにかできるというのなら、是非その手段を教えて欲しい。いつもは頼りになる彼が「ふぉっふぉっふぉ。それは無理じゃ」と震える姿を青空に幻視しながら、僕は手にしたお茶を一口すするのだった。
はぁ、お茶美味いなぁ……





