偽りの婚約者
声のした方に、一斉に視線が集まる。そこに居たのは……麻呂だった。
「おーい、シノ? いるでおじゃるか?」
白い顔に雅な衣装。丸い麻呂眉に黒くて長い帽子とその口調は、まさに麻呂としか表現し得ない。予想外にも体つきは意外とスリムだけど、顔に刻まれた皺はなかなかに深く、それなりの年齢を感じさせる。
そんな麻呂の視線からシノさんを隠すべく、イチタカさんがサッと立ち位置を変える。それに追従するようにジェイクさんも動き、二人の男性に守られる形でファルさんが手早くシノさんの服を着せていく。
……うん。麻呂な人とシノさんの視線は切れてるけど、シノさんは僕の目の前におり、こっちは特にかばわれていたりする訳では無いので丸見えだ。まあこの程度のことは日本で幾度も体験済みなので、僕は慌てること無く麻呂の人の方へと視線を動かす。こういう時、下手に騒ぐのが一番被害が大きいということもまた体験済みなのだ。
そんなわけで、待つこと暫し。そろそろギルド内に見切りをつけて麻呂の人が外に出て行きそうな感じになったところで、きっちり服を着直したシノさんがイチタカさんとジェイクさんの隙間から姿を覗かせた。
「キミマロ様。シノはこちらでございます」
「おお、シノ! そんなところにおったのでおじゃるか」
無表情のシノさんに対し、キミマロと呼ばれた麻呂の人が嬉しそうにこちらに歩み寄ってくる。背後には着流しの服を着たいかにも達人っぽい剣士の人が控えており、油断なくこちらを見ている。
「全く。町に着いた途端飛び出していくから、心配したでおじゃるよ。で、そちらの方々はどなたかな?」
「はい。キミマロ様。こちらが――」
「拙者はシノの兄で、イチタカと申す。貴殿は?」
イチタカさんがそう名乗った瞬間、シノさんの表情が僅かに曇った。僕の他にも気づいた人はいると思うけど、誰も何も言わないので僕も黙っておく。
「ほほぅ。シノの兄君でおじゃるか。麻呂はゴジョー・キミマロ。帝の臣にして偉大なるゴジョー家にその身を連ねるニャポーンの大貴族でおじゃる」
「ゴジョー家!? そのようなお方が、何故シノを探しておられたのでござるか?」
驚いたイチタカさんの口調が、あからさまにへりくだった感じになる。僕は全く知らないけれど、ニャポーンでは有名な家なんだろう。あとやっぱりニャポーンでは家名が前らしい。まあニャポーンだしね。
「ふむ。しばらく前のことでおじゃるが、麻呂が町を散策しておった時にシノのことを見かけてな。なかなかに気に入ったので麻呂の二十三人目の妾にしてやろうと言ったのに、シノはあろうことかそれを断りおったのでおじゃる!
本来ならば不敬罪で即刻首を跳ねるところでおじゃったが、聞けば遠い異国の地に将来を誓い合った婚約者がいるとのこと。麻呂も鬼ではおじゃらぬ故、そういうことならその婚約者とやらと掛け合って、正式にシノを麻呂のものにしようとはるばるやってきたのでおじゃる」
「っ!? そう、でござったか……」
キミマロさんの話を聞いて、イチタカさんもまた表情が一瞬曇る。さっきのシノさんの表情は、これが原因だったと気づいたからだろう。
きっと、本来の予定ではここでイチタカさんを婚約者だと紹介するはずだったのだ。兄妹とは言え七つも年が離れ、しかも男と女ということでイチタカさんとシノさんはそこまで似ていない。このくらいであれば他人と言い張っても通じるだろう。
そのうえで、婚約者である証拠を見せろと言われた場合、兄妹なら一緒に住むことや抱きしめ合う程度のことは何てことは無い。緊急事態であることを鑑みれば、一緒にお風呂くらいもいけるだろう。赤の他人ではなく家族だからこそ、他人ではあり得ない距離感を証明することが出来るのだ。
が、最初にイチタカさんが兄と名乗ってしまったせいで、そのもくろみが脆くも崩れてしまった。イチタカさんにしてみれば兄と名乗ることこそ妹を……シノさんを守る最良の手段だと判断したんだろうけど、それが完全に裏目に出てしまった形だ。
「それで? シノの言う婚約者とは、何処のどいつのことでおじゃるか? それとも、ここではなく別の場所にいるのでおじゃる?」
「それ、は……」
キミマロさんの問いかけに、シノさんの視線が宙を舞う。ここに居ないと言えばこの場はしのげるけど、じゃあ他のところと言われても初めて来たであろう町に都合良く婚約者を演じてくれる知り合いなどいるはずもない。この町にずっと滞在しているイチタカさん達が探し回るにもそんな時間は無いだろう。
かといって、この場に居る他の人と言えば……ファルさんは女性なので論外。ジェイクさんはさっき怒らせたばかりだから頼りづらいだろう。ここで話を合わせてくれなかったら全てが終わりだ。
となれば、残るは一人。それはつまり……やっと僕の出番ということだ。
「私だ」
声をあげ、立ち上がる。驚くシノさんを手で制し、キミマロさんに向かって軽く頭をさげる。
「お初にお目にかかる。私はトール。この町で冒険者をしているものだ」
「……ほ、ほぅ。お主がシノの婚約者でおじゃるか?」
「そうです。以前にニャポーンへと旅をした際に知り合いまして、私の用意が出来次第こちらに呼ぶつもりでおりました」
「そうなのか? シノ?」
「は、はいっ! その通りです。キミマロ様」
慌ててシノさんが僕に話を合わせてくる。そりゃそうだ。この流れに乗らなかったら、二十三人目の妾というどう考えても幸せになれなそうな未来が確定するのだから、彼女だって必死だろう。
「そうか。ではトールとやら。これを受け取るでおじゃる」
そう言ってキミマロさんが目配せすると、背後に控えていた剣士の人が、懐から革袋を取り出して僕の手に乗せた。ジャラリという音と重さから、中身はお金だろう。仮に全部金貨だったとしたら、とんでもない大金だ。
「それをくれてやるから、さっさとシノを諦めるでおじゃる。さあシノ。麻呂と一緒にニャポーンに帰るで――」
キミマロさんの台詞が終わるのを待つこと無く、僕は革袋を彼の足下に放り投げた。ジャラーンという音を立てて袋の中身が零れる。案の定金貨だったようだ。
「何のつもりでおじゃる?」
「何のつもりとは、こちらの台詞だろう? 将来を誓い合った思い人を、そんな石ころと交換するわけないだろうが」
「ほぅ……ニャポーンの大貴族であるゴジョー家の一員である麻呂に楯突くと?」
「生憎、私はニャポーン人では無いし、ここはニャポーンではない。ならば貴殿の言葉に従う理由が何処にある? まあ、仮にここがニャポーンであっても私の選択は変わらないだろうが」
「……後悔するでおじゃるよ?」
「愛する人を売り渡すのに比べれば、安い物だ」
フッと鼻で笑ってやると、キミマロさんは「宿に戻るでおじゃる!」と肩を怒らせ冒険者ギルドを出て行った。たっぷり数分、完全にキミマロさん達が居なくなったのを確認したところで。
「うぉぉぉぉぉぉぉぉ!!! トール殿ー!」
「やるじゃないトール! 凄く格好良かったわよ?」
「おう。あれだけ啖呵を切れれば大したもんだ」
イチタカさん、ファルさん、ジェイクさんがバシバシと僕の肩やら背中やらを叩きながら口々に褒め称えてくれる。
「ちょっ、痛いですって! そんな、大したことじゃ……」
「トール殿のモテの極意、拙者しかとこの目で見たでござる! これがモテ男の在り方でござるか! いやぁ、男の拙者でも惚れそうでござる!」
「そうよねぇ。私も思わずキュンと来ちゃった」
「あー、いやしかし、良かったのか?」
心配そうに声をかけてくれるジェイクさんに、僕は静かに首を振る。
「ええ。また安請け合いしすぎって怒られそうですけど、どうしても見捨てるのは――」
「いや、そっちもそうなんだが……ほれ」
ジェイクさんの視線が、僕の背後に動く。釣られて振り返ると、そこには張り付いた笑みを浮かべるミャルレントさんの姿があった。





