スライムの限界
その一角は、住宅街にありながら広場のような場所だった。地面には緑の草が生えており、その中央には大きな木が立っている。その枝には周囲の家から紐が伸ばされ、沢山の洗濯物が空に踊っている。
そんな木の根元の辺りに、あーちゃんの姿はあった。僕を見て一瞬プルりとその体を震わせたけど、だからといって逃げたりはしない。当然だ。『威圧の絆』は双方向。僕があーちゃんを感じていたように、あーちゃんもまた僕が近づいてきていたことを漠然とではあっても感じていたはずなのだから。
もしそれであーちゃんが距離を置くような行動をしていたら、僕も今日はそれ以上追うつもりは無かった。でも、あーちゃんはそこに居てくれた。だから僕もそっと彼の側に歩み寄り、その隣に腰を下ろす。
「……………………」
お互い、何も言わないし、何も聞かない。でも、今はそれでいい。今僕があーちゃんにどうしても伝えたいことは、僕はいつでも君の側にいるんだということだけ。いつだって僕は、手を伸ばせば触れられる距離にいる。例え物理的な距離が離れたとしても、気持ちはいつも寄り添っている。それだけが伝わってくれたら、それだけで十分だ。
静かな時が流れる。周囲では洗濯物を干す人や井戸端で話す人、遊んでる子供なんかも居たけど、誰もこっちにはやってこない。この辺の人とはあまり交流が無いから、僕の『威圧感☆彡』の影響を強めに受けているんだろう。人に避けられることを有り難いと思ったのは、正直初めてかも知れない。
ゴーン、ゴーンと鐘が鳴る。太陽が最も高くなる時間、即ちお昼だ。元々まばらだった人影が更に減り、周囲の家からいい匂いがしてくる。当然僕のお腹も軽い空腹を訴えてくるわけで……
「お昼、食べようか?」
ぷるぷるーん
僕はあーちゃんの脇に置いてあった小さな包みを手に取り、それを開いた。中身は当然、僕があーちゃんとシシルのために用意したお弁当だ。採れたて野菜のサンドイッチは、自分で食べても勿論美味しい。
「はい、あーちゃんも」
ぷるぷるーん
「そうだね。美味しいね」
ぷるぷるーん……ぷるぷるーん……
「そっか。優しいね、あーちゃんは」
どうやら、ここ数回分のお弁当は近所の子供達やら何やらのお腹に消えていたらしい。基本小食のあーちゃん一人で全部食べきるのは無理だし、かといって僕が作った物を捨てることもできず……というわけだ。うん、良かった。あーちゃんが食べ物を粗末にするようなことをするとは思わなかったけど、どうしようもないことだってある。それが誰かのお腹にきちんと収まってくれたというなら、それで十分だ。
あーちゃんの赤い体をそっと撫でると、ほんの一瞬だけプルッと震えたけど、すぐにその緊張も解け、いつも通りの柔らかい手触りになる。
そのままお昼を食べきって、僕はその場に仰向けに寝転がった。周囲が家なので残念ながら気持ちのいい風が吹き抜けたりはしてくれないけど、茂る木の葉が大分夏に近づいてきた日差しを丁度良く遮り、降り注ぐ日差しを和らげてくれる。
ぷるぷるーん……
「そりゃそうだよ。『話を聞く』のは僕の方だもの」
話すか話さないか、その選択肢からあーちゃんにあげたかった。そう言う僕に、あーちゃんは体を震わせる。『フフフ。なら聞いて貰うか……』と言う震えから続けられる言葉に、僕は静かに耳を傾ける。
話の内容そのものは、何処にでもあるトラブルだった。ほんの些細な原因から意見を違え、それが段々とエスカレートしていく。その結果許容できない言い合いになって、喧嘩別れしてしまった……まさに何処にでもある、特別でも何でもない出来事だ。
それ自体は、あーちゃん自身も勢いに任せた物だと理解していた。だから普通なら謝ればそれで終わりだっただろう。でもその時シシルから出てしまった言葉は、あーちゃんにとって決定的な一言だった。即ち――
「足手まとい、かぁ……」
それは、重い一言だった。シシルは冒険者としてなかなかの才能の持ち主だったらしく、戦闘経験を重ねるごとに戦うことに慣れていって、今では単独でもゴブリン二匹くらいなら余裕を持って相手に出来るんだそうだ。一応急激に強くなったとかではなく、元々そのくらいの力はあり、緊張がほぐれて十全に力を発揮出来るようになっただけということであって、ここから更に急速に強くなり続けるというものでは無いらしい。
が、あーちゃんとの実力の隔絶は、その程度で十分だった。スライムであるあーちゃんは、いかなる攻撃手段も持ち合わせていない。素早く動いて敵を翻弄することはできるけど、それだって当然限界はある。今くらい動けてしまうと、もうシシルにとってあーちゃんは戦力としてはほぼ期待できず、それどころか場合によっては守らなければならない存在にすらなってしまうのだ。
『わかってはいるさ。言葉の応酬、売り言葉に買い言葉。勢いから出たあの言葉は、シシルの魂の言葉というわけでは無いだろう。だが、本音では無くても本質ではある。スライムとしての俺の限界は、もはや彼女と共に歩むことを許さないのだ……』
「あーちゃん……」
震えるあーちゃんに、僕はかける言葉を見失ってしまった。今のシシルの実力は、あーちゃんと共に戦うには強すぎ、あーちゃんを守って戦うには弱すぎる。勿論下に……あーちゃんに合わせて戦う敵を選ぶことはできるだろうけど、それはシシルの成長を阻害し、稼ぎを減らすことになる。
それを選ぶのは誰にとっても良くないことくらい、僕にだってわかる。互いに気を遣った結果低いところで妥協したら、後は緩やかに腐っていくだけだ。
「あーちゃんは……どうしたい?」
それでも、僕はそう聞いた。あーちゃんの願いを聞いて、それを叶えるためにできる限りのことをしようと思った。魔法だって使えたんだ。スライムが強くなる方法だって、きっと世界の何処かには――
『フッ。素直に身を引くさ。所詮はほんの一時交わるだけの運命だったのだ』
「……それでいいの?」
『無論だ。一瞬とは言え、あの子の輝きの手助けが出来た。フフフ。スライムの俺には身に余る光栄だろう? とは言え、一人では限界もあるだろう。出来ればあの子に相応しい新たな仲間を見つけてやりたいところだが……ぬぉ!?』
震えるあーちゃんを、僕は思わず抱きしめた。こんなにも勇敢で、こんなにも優しい友達を前に、沸き上がる感情を抑えられなかった。
ぷるぷるーん!
「ふふっ。ごめんごめん……そうだね。ミャルレントさんやファルさん、ジェイクさん達にも話を聞いてみようか? あーでも、余計なお節介だったりするのかな? 変にサプライズにするよりも、きちんとシシル本人に確認を取って……」
ぷるぷるーん!
「うん、そうだね。やっぱり本人の意思が一番大事だよね」
ぷるぷるーん!
すっかり元気を取り戻したあーちゃんを、僕は頭の上に載せる。特に決まってるわけじゃないんだけど、気がつけばえっちゃんの指定席になりがちな僕の頂点に乗ったことで、あーちゃんの体が感動で打ち震え……いや、そんなに大したことじゃないと思うけど、まあ喜んでるならいいか。
そのまま僕たちは冒険者ギルドへと戻り、シシルに「戻ってきたら僕の家に寄って欲しい」という伝言を残して帰宅した。そのまま普通に夕方を過ごし、やがて時間が夜になって……結局その日、シシルが家にやってくることは無かった。
まあ、喧嘩した相手の家に顔を出しづらいという気持ちは良くわかる。なので僕にしろあーちゃんにしろそんなことで腹を立てたりはしないし、むしろそれならこちらから出向こうと思って、次の日の朝に手土産を持って冒険者ギルドへと赴くと……
「帰ってない?」
ミャルレントさんから伝えられたその言葉に、僕の肩に乗っていたあーちゃんが飛び出していった。





