やっぱり世の中お金だよね
必死になって走り去っていくゴブリンを見ながら、僕はその場に呆然と立ち尽くしていた。
僕の知っている物語なら、ああいうときはそのまま殺して「意外と平気だな」みたいなことを呟いていた。あるいは無我夢中で反撃して、気づいたら殺していたなんてのもあった。どっちにしろ、そういうのを繰り返すことで殺すことに対する忌諱感を払拭し、その後は平然と魔物を殺しまくって、英雄への第一歩を踏み出していた。
でも、僕にはできなかった。貰った固有技能が攻撃系だったら、試し切りとばかりに一撃で殺せていたかも知れない。あるいは防御系でも、相手が襲ってくるなら殺せたかも知れない。だけど、『威圧感』は……無抵抗になった相手を殺すのは、どうしても僕には無理だった。
もし僕が山奥生まれで、兎とか鹿とかを解体したことがあったりすれば、躊躇うことなんてなかったと思う。でも、僕は魚をおろしたことすら無い、ごく普通の現代っ子だ。直接命を奪うどころか、肉に加工されるまえの死体を直接見たことすら無いんだ。
そんな僕が目の前で怯えている魔物を殺せなかったことは、情けないと思う反面、当然だとも思える。少なくとも日本の高校生なら、出来ない方が当たり前だ。
ゴブリンを見逃したりしたら、そいつが他の誰かを殺すかも知れないとか、殺さなきゃ自分が強くなれないとか、そういう正論をどれだけ自分に叩き付けても、僕の腕は動かなかった。多分『威圧感』の範囲の中でも殺意を失わず攻撃してくるような魔物じゃないと、僕は殺せない。そして、そんな強い魔物は、僕には殺せない。
「うわぁ、最初っから詰みかぁ……」
殺すことに慣れなければ生きられない。その現実が僕の胸を一杯に満たす。それと同時に、緊張感の切れた体が、軽い喉の渇きや空腹を訴えてくる。
「はぁ。まあ、まずは近くの町だか村だかに行くか……」
この場に留まっても、僕に出来ることは何も無い。道沿いに歩いて人里にたどり着かなければ、食事も水も……!?
「お金……持ってない、よなぁ……」
僕の所持品は、服しかない。腰や懐に財布になりそうな革袋がついていたりもしないし、靴底に硬貨が入っていたりもしない。さっきのゴブリンが殺せていれば、何か換金出来るアイテムが手に入ったのかも知れないけど、できなかったのだから何も無い。剣を消している今、完全な手ぶらだった。
こういう世界の町って、入るときにお金が必要だったりするんだよなぁ。どうしよう……って、行ってみるしかないよね……
僕はとぼとぼと、道を歩いて行く。幸か不幸か人にも魔物にも出会うことなく、遠目に町が見えてくる。
そう、町だ。村ならそのまま入れそうな気もしたけど、町なのだ。入り口のところに門番の兵士が立ってるし、どう考えても素通りできる感じじゃない。
「待て! 止まれ……いや、止まってください」
案の定、入り口のところで兵士に呼び止められる。その顔には警戒の色が濃く、手は今にも腰の剣に伸びそうだ。何でこんなに……って、ああ、どう考えても『威圧感』のせいだよなぁ。
昔みたいに存在感が薄かったら素通りできたのかな、という思いが頭を過ぎり、不法入国……入町? した方がよっぽど問題が大きくなっただろうと思い至って、頭を振ってから町に入りたいという旨を伝える。返ってきた答えは、「各種ギルドの登録証、あるいは銅貨5枚」のどちらかが必要というものだった。
「その両方が無い場合で、それでも町に入りたいと言ったら、何か手段はありますか?」
僕のその問いかけに、兵士の顔がより一層厳しくなり、2人いた門番のうち1人が詰め所だと思われる場所に行ってから、何かを手にして戻ってきた。
「知っているかも知れないが、一応規則なので説明する。これは『隷属の首輪』という物で、本来は犯罪者の行動を制限するために使う物だ。これには『町に被害を与えない』『町の者に暴力を振るわない』などの基本的な制約がかけてあり、ここと南にある町の門でしか外せない。これを身につけることを了承するなら、町に入れることはできるが……どうする?」
僕から大分離れたところで、首輪を手にした兵士の人が説明してくれる。一端詰め所まで離れたうえに、今も5メートル以上離れているので、大分楽そうだ。最初からずっと1メートルほどの距離で僕についている兵士の方は、ちょっとヤバい感じの顔色になってきている。
「わかりました。それをつけますので、町に入れてください」
僕の答えに、首輪を持った兵士が驚愕の表情を浮かべる。きっと、こんなものをつけてまで町に入る人なんていないんだろうなぁ。でも、何とかして町に入って、お金を稼ぐ手段を見つけないと、どうすることもできない。
遠くの兵士の人が、近くの兵士の人に首輪を投げて渡し……そんなに近づきたくないんだ……近くの人は震える手で、僕の首に『隷属の首輪』をつける。
「しつ、しつ、失礼しましゅ……」
「……そんなに緊張しなくても……」
「も、申し訳ごじゃいません!」
兵士の人、何かちょっと泣きそうだし……いつも無視される日々だったから、注目されたいとは思ってたけど、これはなぁ……というか、これ日常生活に支障でまくりだよね? オンオフとか切り替えられないのかな……?
何とか首輪をつけられ、僕は2人にお礼を言ってその場を後にする。申し訳ない気持ちで一杯だけど、威圧は僕が意識してやっていることじゃないので、下手に謝ることもできない。僕が出来ることは、一刻も早く彼らから距離を離すことだけだ。
町に入ってからも、周囲の視線が痛いほど突き刺さる。こちらが移動しているのでさっきの兵士のようにはならないけど、それでも僕の歩く方向は人が割れるように離れて空白の道ができる。歩きやすくはあるけど、あまりにもいたたまれない。逃げるような早足で、僕は目的地……冒険者ギルドの中に滑り込んだ。登録証がいると言われた時に、ちゃんと冒険者ギルドの存在と、その場所を聞いておいたのだ。
「いらっしゃ……ひっ!?」
あぁ、また怯えられた……と、僕はガックリしながらギルドの中を見回す。いくつかある受付に、多数の紙が貼り付けてある掲示板、併設された酒場っぽい場所に、昼間から酒を飲んでいるらしい数人のおっさん。見れば見るほどテンプレな冒険者ギルドだ。この目で直に見たという感動はあるけど、驚きは全く無い。小さくため息をついてから、僕はすぐに視線を外してしまった受付に目を戻し……
「冒険者登録をしたい」
「あ、あの、それは隣の窓口で……」
「君にお願いしたい」
「わ、わかりました……」
猫だ。猫である。人間の顔に猫耳が乗っかってるようなまがい物ではない。ちゃんと顔も猫だし、服の袖口から見えている手も猫であった。見えている部分は全部もっふもふなので、きっと肉球もあるだろう。つまり、猫っぽい人ではなく、人っぽい猫である。これはとても重要なことだ。もふもふとプニプニは何よりも貴重だ。
僕は彼女の言葉通りに、差し出された書類に名前と職業を書き込む。流石に漢字には対応してくれないだろうし、トオルではちょっと間抜けな感じがしたので、トールと名乗ることにした。職業は剣士だ。剣が使えるわけではないけど、剣しか武器を持ってないので、他に名乗りようが無い。
「剣士で、トール様ですね。それでは、登録証を発行しますので、登録料として銅貨5枚を頂きます」
「また金がいるのか?」