貴族の素顔
名を名乗り、名を呼ばれ、真摯に頭を下げられた。その事実が僕の中に燃え上がっていた気持ちをゆっくりと鎮火させていく。
グリンさんが……というか、誰が悪いわけでもない。僕には想像も出来ない貴族という社会において、それが当然であったというだけだ。自分と違う常識に腹を立てるのはただの傲慢だ。
でも、それでも言いたかった。言わずにはおけなかった。だから言って……そして理解をして貰えた。ならそれで十分だ。後はグリンさん自身がどうするか決めることだ。その結果が不幸なものであったとしても……何も知らずに選ばされるのではなく、自分で考え、そうしなければならないと知った上で選ぶのならば、それはもう彼の選択だ。例えそれでグリンさんやフルールさんが悲しんだとしても、同じ立ち位置の貴族ではなく、フルールさんの恋人でもない僕にできることは、ただ見守ることだけだ。助けて欲しいと言われた時に、自分に出来る精一杯が発揮出来るように心構えをしておくだけだ。
「それで、グリンさん……グリン様はどうされるんですか?」
「フッ。この場だけならさん付けでも、何なら呼び捨てでも構わんが……それに慣れてうっかり外で呼び捨てなどにされたら面倒だから、受け入れよう」
皮肉げにニヤリと笑ってから、グリンさんが言葉を続ける。
「そうだな……まずは話すことから始めるべきだろう。家の方針そのものを無視することは流石に出来ん。その結果が私やフルール嬢にとって望まぬものになったとしても、家を放り出すのは駄目だ。それを選ぶくらいなら私はこの場で自ら首をはねる方を選ぶ。
だが、別に話しては駄目だなどと言われている訳では無い。私の気持ちを伝えることも禁止などされていない。まあそれは父上達には私の本心など知る由も無いからであって、知られたならばどうなるかはわからんが……それでも人の目のあるところで話す分には問題視されることはないだろう……うん。そうだな。ならばこの決意が鈍らぬうちに実行するべきか。帰るぞエルド! 邪魔したなトール。次はきっと良い報告を持ってこよう!」
そんな風に言い放つと、相変わらず突然な感じでグリンさんが颯爽と家から出て行った。もうちょっとくらいは落ち着いた方がいいと思うけどなぁなんて思いつつ僕はその背を見送って――
「来たぞトール……」
結局また次の日もグリンさんはやってきた。
「え!? 結局何も言えなかったんですか?」
全く覇気の感じられないしょぼくれた様子のグリンさんにお茶を勧めて話を聞けば、どうやらフルールさんと相対したところでうまく言葉が出なくて、結局適当な雑談で誤魔化してしまったらしい。
「あんなに格好良く言ってたのに……」
「そうは言うがな。いざとなるとこう……周囲に注目された中で思いを伝えると言うのは、なかなかに難しいのだ! お前だってわかるだろ?」
「いや、私は結構スッパリ言う感じの方なんで」
「ぬぅ、男らしいな……」
ヘタレだ。ヘタレがいる。まあ確かに言いづらいという気持ちそのものはわかるけど、だからと言って尻尾を巻いて逃げ帰ってくるのはいただけない。そこはいつもの強気な感じできちんと言うべきところだ。
「というか、今までずっと堂々とした態度だったじゃないですか? 何故それだけ言えないんです?」
「それはお前、アレだ。貴族として恥じない態度を取るのは生まれついてのことであり当然だが、男として女性の前でそう言う態度を取るのは……何かこう違うであろう?」
「えぇー……」
今までのグリンさんに対するイメージがガラガラと音を立てて崩れていく気がして、何だかちょっとだけガッカリした。でも同時に親しみというか、親近感のようなものはより強く感じたりもする。人間誰しも弱いところの一つや二つあって当然であって、それを見せてくれたというのは、それこそ信頼の証だろう。
「辞めよ。そんな目で見るな! 言う! 言うぞ! 言うが……そう、きっかけだ。何か私が言葉をかけるきっかけのようなものが欲しいのだ!」
「きっかけですか……何かお祝い事とか記念日とか、そういう感じでしょうか?」
「それも悪くないが、近日で特に祝い事や特別な日は無いな……いや、そうか。贈り物だ。何か良い物を贈って、それをきっかけにするのはどうであろうか?」
「ああ、それはいいんじゃないでしょうか?」
これから仲良くやりましょうという感じで記念の品を贈るのは悪くないアイディアだと思う。それを見る度にその時のことを思い出すだろうし、人としてはフルールさんの側にいられないにしても、物であるなら常に持っていてもらうことは可能なはずだ。まあフルールさんが気に入ったら、という前提はあるけど。
「うむ。贈り物は我ながら良い思いつきであった。となると何を贈るかだが……貴族にありがちな物を金で買って渡すのは……駄目なのだな?」
こちらを伺うようなグリンさんの意見に、僕は秒速で駄目だしする。
「駄目です。最悪です。今までの対応と違いが何もありませんから、貰っても嬉しくないどころか持て余すと思います」
建前上は婚約者なのだから、その相手からの贈り物を邪険には扱えない。でも明らかに気持ちのこもってなさそうなテンプレプレゼントを大事にするのは気を遣うだろう。どう考えても逆効果だ。
「ぬぅ、ならばどうすれば……」
「何かフルール様が好きそうな物とかは思い当たらないんですか? 大事にしているものとか」
「大事に……おぉ、そう言えば変わったブローチを身につけておられたな」
「ブローチですか?」
「うむ。宝石というには些か以上に輝きが足りぬ不格好な石なのだが、何故かフルール嬢は胸の一番目立つ位置に常にそれを身につけておられるのだ。そのせいでドレスどころかフルール嬢すら見劣りするようで、彼女に見合う宝石を贈ろうとしたこともあったのだが……どういうわけだか頑なに拒否されてな。本意では無かったとしても大抵のことは笑顔で受け入れてくれたフルール嬢が、それだけは決して譲らなかったのが随分と印象に残っている」
「それは……おそらくですが、私がフルール様に贈った物です」
去りゆく貴方と離れることが、決して別れにならないように。恋する思いに答えられずとも、友として貴方を思う気持ちが寄り添い続けられるように。僕が万感の思いを込めて作ったそれを、フルールさんは今も大事に身につけてくれているという。
嬉しい。凄く嬉しい。未だ顔を見ることすら出来ないけど、それでも僕とフルールさんはちゃんと繋がっている。その事実が、ただひたすらに嬉しい。嬉しいけど……目の前のグリンさんの表情は、ちょっとお見せ出来ない感じになっていた。
「そ、そうか。そうなのだな。なるほど、受け取って貰えぬわけだ。私が宝石を贈ってしまえば、彼女の立場では身につけぬ訳にはいかない。故に受け取ることそのものを拒否したのか。なるほどなるほど。分かってしまえば単純な理由だ。そうか……なあトール。私は泣いていいだろうか?」
「いや! いやいやいや! 大丈夫! まだ大丈夫ですって! きっと挽回のチャンスはありますから!」
「……本当にか? 本当にそう思うか?」
「思いますって! だってまだグリン様の気持ちすら伝えてないわけですし。そう言う意味では始まってすらいないんですから!」
「始まる前から終わったりしてないか? 思いを伝えた結果がいつもの張り付いたような笑顔で『ありがとうございます』と言われるようなものだったら、正直もう立ち直れない気がするぞ?」
「そんなことない……ですよ?」
「今言葉に詰まったではないか! うわぁー。駄目だ。何だかもう駄目だ。あー! 私は三男に産まれたときから負け犬街道をひた走っていたのだ! あー!」
机に顔を伏せて何だか面倒な感じになってきたグリンさんを、僕は必死になだめ続けた。





