スライム問答
「貴様! 恐れ多くも坊ちゃんの要求に対して……!?」
即座にいきり立つ剣士の人を、グリンさんが慣れた手つきで手を振って諫める。やたら沸点の低い感じの剣士さんに、これはこういう芸風なんだろうかという思いがフッと頭を過ぎったけど、よく考えると剣士さんの対応の方が普通な気もする。
そりゃまあ理不尽な貴族の要求を断るのってテンプレ的な展開だけど、それが現実として自分の身に降りかかったときに断れるかと言われたら、断れないだろうしなぁ。存在感の無い僕には無縁だったけど、部活の先輩に理不尽な命令をされた、くらいの話なら幾らでもあったし、貴族と先輩の偉さは比べるまでも無いしね。
「一応聞こう。私の要求を悩む素振りすらなく平然と断る、その根拠は何だ?」
そう聞くグリンさんの顔には、剣士さんとは対照的に負の感情は見られない。ただ冷静に、観察するように僕を見ている。ならば、ここは進むところだ。頭をフル回転させて、胸の内にある素直な気持ちを、言ってもいい言葉へと変換していく。
「まず大前提として、このスライム……深緑の医者ことでーやんは私の家族です。家族を金銭でやりとりする人物がいないとは言いませんが、少なくとも私はそれをするつもりはありません。いかなる相手の要求であろうとも、彼本人の意思以外で他者に引き渡すつもりはありません。それは相手が伯爵様だろうと王様だろうと……例え神様であったとしてもです。
そして、それを踏まえた上でなのですが……お断りしても問題ないと判断しました」
「……問題ない? それは私が、ローズウッド伯爵家の要求が取るに足らないということか?」
グリンさんの目がきらりと光り、その唇が少しだけ上に持ち上がる。ちなみに後ろの剣士さんは今にも湯気が噴きそうなくらいに顔が真っ赤になっている。
「勿論違います。グリン様は最初の段階で、献上ではなく売ってくれと言い直してくれました。つまり権力で無理矢理取り上げるのではなく、最低限こちらの都合を配慮してくれたとも言えます。であれば理性的に話が出来るお相手なのだと考えました。
そしてその上で、グリン様の目的を達成するには必ずしもでーやんを引き渡す必要はないと考え、それであれば十分交渉になると考えた次第です」
「ほぅ。そのスライムを引き渡すことなく私の願いを叶えると? どうやってだ?」
おぉ、ちゃんと乗ってきてくれた。権力ごり押しのテンプレ貴族とは違うっぽいのは短い会話からも伝わってきたけど、話が通じるというのは実に素晴らしい。
「先ほどのお話からするに、グリン様の目的はでーやんの所有ではなく、彼が放つ『癒しの香り』の利用であると思います。そういうことならば、これを……」
「ん? 何だこれは?」
僕が鞄から取りだした小さな布きれを渡され、グリンさんが興味深そうにそれを眺める。
「それはでーやんの『癒しの香り』を浸透させた布です。今のところ実験段階ではありますが、そうやって布などに彼の粘液を浸透させることで、短時間ではありますが周囲に『癒しの香り』の効果を振りまくことが可能です」
そう。これは常にでーやんと一緒にいられるわけじゃない僕が現在研究開発中の、いわば「癒しハンカチ」とでも言うべきものだ。と言っても今はまだ実験途中なので、効果は全然だけど。
「現段階では大した効果は望めませんが、それを実用化できれば部屋に置く花瓶の下敷きとして使用したり、あるいは胸に忍ばせるなどで『癒しの香り』の恩恵を受けられるようになる予定です。それが完成すれば、でーやんを無理に連れて行く意味は無いでしょう?」
「ふむ。それは確かにそうだな。部屋に魔物を直接配置するよりは、こうした物品の方が遙かに扱いやすい」
「先ほどそちらの剣士の方が警戒された通り、スライムとは言っても魔物ですからね。冷静さが必要な会議の様な場所でこそ、魔物を受け入れるのは難しいでしょう」
「なるほど。確かにお前の言い分は理に適っているな。互いに利があることを提示しているのだから、これが商人同士の交渉であれば上手くいっただろう。だが……」
そう言うグリンさんの笑みが、少しだけ深くなる。正直ここまででもかなり一杯一杯だけど、その語尾が僕を安心させてはくれない。
「私は商人ではなく、貴族だ。故に私が求めるのは利益ではなく恭順。なればこそ私が貴族としてそのスライムを渡せと命じたならば、お前はどうする?」
「その時は……フルール様に泣きつこうかと」
「…………は?」
初めて、グリンさんの表情が崩れた。背後に控える剣士さんの目も大きく見開かれている。
「フルール嬢に、か? お前はそれでいいのか?」
「いいも何もありません。私には武力も財力も権力もありません。であれば唯一最後に残ったフルール様への僅かな伝手を頼るしかありませんから」
「いや、しかし……年下の女に泣きつくのか? それをお前は良しとするのか?」
「家族に代えられるものではありません。というか、極端な話土下座して靴を舐めろとか、裸で町を一周しろとか、そういう私に出来ることででーやんを諦めてくださるということでしたら、躊躇わずに行うでしょう。私にとって、家族は……スライム達は、誇りや体面などと引き換えに出来る存在ではないのです」
一応、本当の最終手段としては「神様に泣きつく」というのもあるけど、流石にそれは通らないだろう。と言うか、下手に通っちゃったらそっちの方が大事になりそうだし。
「何と、何と情けない! 誇り無き生を選ぶなど、これだから平民は……」
ずっと黙っていた剣士さんが、顔に手を当て眉をしかめて首を振っている。きっと彼のような主に仕えて戦う人にとっては、生き恥をさらすというのはあり得ない選択肢なんだろう。でも、僕はそんなの気にしない。どんなに格好悪くたって、生き残ったら勝ちなのだ。みんなで元気に過ごせているなら、それがどれほど屈辱的な行為であったとしても、「あの時は酷い大恥をかいたよねぇ」なんて笑えるようになるのだから。
そう。名誉の死だろうが誇りある死だろうが、「死」はそんな軽いものじゃない。もっとも、彼らは名誉や誇りこそが重いと言うのだろうけど……それはきっと、永遠に交わらない平行線の価値観だ。
「そうか……それが平民の考えなのか、それともお前だけの考えなのかは解らないが、お前が何を大事と考えているかは良くわかった。ならば最後にもうひとつだけ問おう。腕の一本などというどうとでもなる範囲ではなく、私がお前を不敬罪で拘束したり、無礼打ちした上でそのスライムを手に入れようとしたならば、どうする?」
「それは……その時は……」
僕の頭に、かつてグレイルさんに襲われたときのことが浮かぶ。あの時とは違う意味でも、僕は無力だ。目の前の剣士の人と戦って勝てるとは思えないし、貴族と言い争って法的に勝つというのも不可能だろう。実際にそう言う手段に出られたならば、それこそ僕には何の打つ手も思い浮かばない。
でも。それでも。ただ黙ってそれを受け入れられるほど、僕はお人好しじゃない。目の前で怯える魔物を殺すことは出来なかったけど、大切な親友を、家族を奪うと言われるのならば……
「全力で逃げさせていただきます」
『逃げるのかよっ!』
目の前の剣士さんのみならず、今まで完全に存在感を無くしていた御者の人にまでハモって突っ込まれた。いや、そりゃ逃げるよ。勝ち目が無いのに戦うとか意味がわからないし。ここに住めなくなるのは痛いなんてもんじゃないけど、それもまた眷属の安全に代えられるものじゃないのだ。
「ふっ……くっくっくっ……そうか。逃げるのか……あっはっはっはっは!」
そんな僕たちのやりとりを見て、グリンさんは暫しお腹を抱えて大笑いし続けた。





