お嬢様とご対面
「このような格好で、失礼致します。初めまして、トール様。私、ハイアット家長女のフルール・ハイアットと申します。以後宜しくお願い致します」
天使の口からこぼれたのは、年相応の可愛い声。どうやら、さっきの声は扉を開けてくれたお手伝いさんの声だったらしい。ベッドに寝たままで上半身だけを起こしている状態で、軽くほほえんで挨拶してくれた。雪のように白い肌に、流れるような長い金髪。空色の寝間着に夕焼け色のカーディガンを羽織った姿は、まさに天使だ。
「こちらこそ、このような格好で失礼致します。初めまして。私はトール・ウスイです。宜しくお願い致します」
「あら? 家名をお持ちなのですか?」
僕の言葉にお嬢様が首を傾げて、僕は慌てて「違います。ただのトールです。ちょっと言い間違えました。すいません」と訂正する。うぅ、失敗した……フルネームで自己紹介を受けたのは初めてだから、ついうっかり「薄井 透」として答えちゃったよ。ずっと通してた『威圧感』に見合う感じの口調も崩れちゃったし……
うわ、どうしよう。これ貴族を詐称したとかで、罪になったりするのかな? 背後から凄い見られてる感じの視線がガンガン突き刺さってくるし……でも、お嬢様は「そういうことにしておきましょうか」とかクスクス笑って言ってくれてるし、意外と平気なのか? うん、ここはあれだ。勢いで押し切ろう。
「お招きいただいたと言うことで、本日はいくつか手土産を持って参りました。まずはこちら……いつもと同じく、私の畑から採ってきたものですが、こちらを是非、生でそのまま食べて頂きたいのです」
「まあ、生でそのまま……ですか?」
僕が差し出したトマトを、お嬢様が目を丸くして見る。おそらく僕の背後にいる警備の人の顔はわからないけど、部屋の隅に移動した執事さんの眉毛がピクッと動いて、お嬢様の側にいるお手伝いさんは、露骨に顔をしかめた。
「こちらの厨房で料理が作られるのを見ていたのですが、全ての食材に必ず熱を通しておりました。ですが、食材の含む栄養……食べると体を元気にするものの中には、熱を加えると壊れて無くなってしまうものも多いのです。ですので、新鮮だと確認できるものであれば、毎日少しずつ生野菜を口になさるのは、元気なお体を取り戻すのに役に立つと思われます」
僕の言葉に、部屋にいた全員が反応を示す。トマトの栄養が熱に弱いかどうかは良く知らないけど、生野菜サラダが体にいいのは間違いない。僕の野菜なら鮮度は間違いないし、ひょっとしたら味と一緒に栄養も向上してる可能性があるから、おすすめするのはアリなはずだ。
ということで、僕はさっき手を洗うときに一緒に洗ったトマトを、まずは側にいたお手伝いさんに渡す。直接口に入るものをお嬢様に手渡ししないくらいには、僕だって常識はある。お手伝いさんは真剣な表情でトマトをグルグルと見回し、そのまま一口口にして……その場でグラッとよろける。
「エマっ!?」
お嬢様から声があがるが、勿論僕は慌てないし、そうなることを予想できたであろう執事さんも警備の人も、その場を動かない。実際軽くよろけただけで、お手伝いさんはすぐにしっかりと立ち直った。
「申し訳ありませんお嬢様。何というか、その……凄く美味しかったので……」
若干ばつの悪そうな顔で謝るお手伝いさんに、再びお嬢様の目がまん丸に見開かれる。僕はニコリと笑顔を作り、トマトをもう1つお手伝いさんに渡した。毒味が必須なのなら今食べたのをお嬢様に渡すだろうし、食べかけが失礼とかなら、新しい方を渡すだろう。
というか、お皿を持ってきて切り分けて、その1切れを食べるとかすると思ったんだけど……まさかの丸かじりだったので、とっさの判断としてはこれが限界だ。
僕にトマトを手渡されたお手伝いさんは、一瞬執事さんに視線を向け、彼が頷いたのを確認すると、新しい方のトマトをお嬢様に差し出した。その小さな手が大事そうにトマトを受け取り、「はしたないかしら。でも……」と小さく呟いてから、やっぱりそのまま一口囓る。そこで一瞬動きが止まり……
「……美味しい……」
夢見るようなうっとりした表情で呟かれて、僕は何だかドキドキしてしまう。単にトマトを食べただけなのに、そこはかとない色気を感じてしまうのは、僕が思春期だからだろうか? そのままお嬢様が食べる姿をじっと見つめていると、半分ほどトマトを食べたところで、お嬢様の視線がトマトから僕に移る。
「あの、そんなにじっと見つめないでくださいませ。恥ずかしいです……」
「ふぁっ!? あ、いや、すまない、違う、申し訳ありません」
病的なまでに真っ白な顔を、ほんのり桜色に染めて照れるお嬢様に、僕のドキドキはそりゃあもう絶好調だ。別に浮気とかじゃないよ? そもそもミャルレントさんとつ、付き合ってるとかって訳じゃ無いし……ともかく、こんな可愛い女の子を前にしたら、ドキドキしちゃうのは大自然の摂理なのだ。摂理に逆らうのは良くないよね、うん。
「大変美味しゅうございました。それに、ちょっとだけ元気になった気がします。ありがとうございました、トール様」
トマトを丸ごと1個綺麗に食べきり、お嬢様がお礼を言う。食が細いと聞いていたけど、こうしてみると一口が小さいだけで、別に食べられないってわけでもないように見えるんだけど……まあ、無理して食べてくれたって感じではないし、お手伝いさんも止めなかったわけだから、多分大丈夫だろう。
「喜んで頂けたようで、何よりです。では、次いでこちらもお受け取りください。ポーツマスさん」
「かしこまりました。お嬢様、こちらがトール様からの贈り物になります」
僕の言葉に、執事さんがお嬢様に、例の鉢植えを見せる。それなりの重さがあるので、最初から手渡しする気は無いんだろう。執事さんの手で、窓際の日の当たる場所に設置される。
「これは……小さな芽が出ているようですけど?」
「そちらは、スノウベルの花になります。本来冬に咲く花なのですが、特別な方法によって、こうして芽が出るまで育てました。こちらの芽を、良くご覧になっていてください」
僕の言葉に、お嬢様の視線のみならず、その場にいた全員の視線が鉢植えの芽に集中する。それを確認すると、僕はゆっくりと右手を鉢植えのほうに伸ばし、左手で右肘の内側を掴んで、体の前に円を作る。こうして威圧の力を循環させることで、より強力な威圧を使えるようになるのだ……気分的に。
いいんだ、こういうのは形が大事なんだ。左手が手持ち無沙汰だったから、これが一番収まりの良いポーズだったとか、そういうのは気にしたら負けなのだ。
鉢植えの芽に、全力で『収束威圧』を発動する。押しつぶすのではなく、包み込むように。威圧によって活性化した力をゆっくりと浸透させるように、細かく調整しながら、芽を、土を威圧していく。
「え? 大きくなった!?」
ほんの少し、意識しなければ見逃してしまうほどの、でもじっと見れば気づけるくらいの速度で、鉢植えの芽が成長する。その成長が1、2ミリになったところで、僕は『収束威圧』を解除した。
「このように、これからお屋敷に伺う事に、少しずつ花を成長させていこうと思っております。これなら短時間で花を育成する楽しみを味わえますし、咲く花の品質も良い物になると思いますので」
僕の浮かべた会心の笑みに、お嬢様の顔が、もう何度目かもわからないくらいにびっくりの花を咲かせていた。





