おやつ3日分
「……はっ!?」
目を開けて真っ先に飛び込んできたのは、抜けるような青い空。慌てて辺りを見回すと、現実では全くお目にかからないけど、ファンタジー的な意味ではお約束の草原に寝転がっている。背後が森で、前の方に道っぽいものが見えるのも、実に素晴らしい。とりあえずこれなら森に迷ってサバイバル、みたいな展開は無さそうだ。
ならばと、次は自分の確認。まずは記憶……うん、大丈夫。自分の名前も学生生活も、キッチリ覚えている。友人や両親にもう会えないのは寂しいけど、理不尽な召喚で強制転移とかじゃなく、普通に事故で死んじゃってからの転生だから、仕方ないと諦められる。親不孝でごめんなさいと謝ってお祈りしたけど、ぶっちゃけ自己満足以上の意味は無いだろうということがわかるくらいには、僕も大人だ。
立ち上がって、今度は体の具合を確かめる。動いた感じに違和感は無い。手や足は見慣れた自分のものだし、顔も触った感じだと同じだと思う。髪の毛の色とかはひょっとしたら現地人に合わせて変えられている可能性があるけど、手鏡なんて持ってないし、草原の真ん中じゃ確認しようが無い。
服装に関しては……何だろう? 死んだときは学生服だったはずだけど、ズボンは茶色の長ズボンで、素材は多分麻とかそんなのだろう。靴は多分皮っぽいもので、肌に張り付く感じがしてあんまり履き心地は良くない。意識してみると、パンツも今まで履いていたボクサーパンツじゃ無くて、もっとゴワゴワした感じの布になってる。流石にズボンを脱いで確認する気は起きない。
で、問題なのは上着の方。こっちは黒で、すべすべした感じの肌触り。光沢もあるし、明らかに高級品だ。何で上着だけ……と思ったところで、視界の端っこに、ピコピコ光る逆三角形を見つけた。ああ、説明的なものがあるんだろうなぁ、と考えた途端、そこからシュッと窓が広がり、予想通りの内容……「神様メモ」と題された文章が表示された。
その内容を要約すると、こういうことだ。
・ここは僕が想像する「剣と魔法のファンタジー世界」と大体同じ感じの世界である。
・この世界でなら、魔物を倒せば魂の力に還元できるため、バリバリ戦えば強くなれる。ただし、「この世界での強さ」に還元してしまうと魂の力にならないので、世界最強になったとしてもそのまま死ぬと魂が消えてしまう。
・普通に生活することでも魂の力は増えるので、平穏無事に過ごしても80歳くらいまで長生きできれば十分に輪廻を廻れるようになる。逆に30歳くらいまでに死んでしまうとかなり厳しいことになる。
・僕の脳内にあったアイテムボックスとかチートみたいなのは論外。そんなことしたら余命が2秒で尽きるので諦めるべし。身体強化すらできなかったので、能力は完全に一般人であり、成長補正とかも一切無い。ただし、最低限として読み書きができるようにだけはした。
・流石にそのまま放り出すとどうしようもないので、「存在感の薄さ」を補うための能力だけは付与した。神様自身の力をおやつ3日分ほど消費したので、感謝するべし。
うーん……魔物を倒せばレベルアップできるけど、消費する経験値は魂の力と共用だから、強くなるのに拘りすぎると駄目ってことかな? というか、そもそも完全に一般人の能力って、どのくらい戦えるんだろう? 魔物が駆逐されることもなくその辺にいるってことは、一般人が素手で倒せるような相手ではないってことだよなぁ。
頭の中を不安が過ぎる。地球でだって、普通の人が素手で倒せる野生動物なんてたかが知れている。そして、さっき具合を確かめたときに体に違和感を感じなかったってことは、この世界での標準的な能力は、地球人と大差ないことになる。そのうえで、僕は素手……ヤバい。向こうが本気なら野良犬にだって無傷の勝利は難しいのに、ファンタジーでお約束の最弱モンスターことゴブリンにだって、戦って勝てる気がしない。木の棒を手にしたゴブリンとか、こっちを殺す気満々で角材を振り回してる不良みたいなもんだ。古武術の達人でも忍者の末裔でもない僕では、1対1でも勝てない。
「となると、頼みの綱は神様のおやつ3日分の能力か……ステータス!」
意気揚々と口にした僕の目の前に広がったのは、予想通り……ではなく、またしても神様メモ。曰く、「命や身体能力をリアルタイムで数値化するような便利機能をつける余裕は無い。『固有技能』と念じるべし」と書かれていた。うぅ、どれだけ僕の魂は薄かったんだろう……とりあえず、気を取り直して固有技能と念じる。今度は期待通りのものが、視界の端に表示された。
『威圧感』
周囲を威圧する。効果は距離によって減衰する。
『威圧の剣』
威圧の影響下にある相手に、威圧している分だけの威力で攻撃できる。
『威圧の衣』
威圧の影響下にある相手からの攻撃を、相手が威圧されている分だけ軽減する。
……威圧感? えっと、周囲の敵をビビらせる……のかな? で、その分だけ相手の攻撃を軽くして、かつ相手にダメージを与えられるのか? どの程度ビビらせられるのかによるけど、これだけ見たら十分強い気がする。
ちなみに、剣はそのまま「剣」と念じたら手に出てきた。刃渡り60センチくらいで、柄は金、柄と刀身は真っ黒な、短めのショートソード。振り回しても全く重さを感じないけど、軽く地面に叩き付けたらポスッと音がして地面がへこんだので、質量そのものはちゃんとあるっぽい。
しばし剣を構えて、格好いいポーズを模索してみる。「これならいけるんじゃないか?」という気持ちが、少しずつ僕の中に沸き上がってきた。『威圧の衣』だと思われる黒い服が上半身の分しか無いのが不安だけど、それでも神様謹製の武器と防具なんだし、流石にその辺の雑魚に全然通じないってことはないだろう。それだったら、そもそもこの世界に転生させないだろうし。
そんなことを考えていると、不意に森の方から、カサッという音がする。慌てて振り返ると、目の前にいたのは、一匹のゴブリン……うん、緑の小人って感じだし、この世界で何て呼ばれてるかはわからないけど、僕の認識では間違いなくゴブリンな感じの奴が、きょろきょろと辺りを見回していた。すぐに僕を見つけて……
「ギュアァァァァ!」
甲高い叫び声を上げて、いきなりこっちに突進してくる。うわ、思ったよりもずっと速い!?
「ギュアァァ……アゥ!?」
思わず両手で顔をかばってしまった僕に対し、ゴブリンは僕から3メートルくらいのところで突然失速し、そのままふらふらとこっちにやってきた。全ての勢いは殺しきれなかったのか、その手に持った木の棒が僕の体に触れ、ポフッという軽い音を立てる。
威圧の衣で軽減されたのかどうかすら解らないレベルの、本当に触れただけのような一撃。当然僕は痛くも痒くも無く、そのまま上げていた手を下ろしてみると、目の前にいたのは、その場にひれ伏して怯えているゴブリンだった。どう考えても、『威圧感』の効果だ。僕が思っていたより、ずっと強い。
精一杯体を縮めて、ガクガクと震えているゴブリン。僕はその前に仁王立ちになり、手にした剣を大きく振りかぶって……そのまま下ろした。
「殺せないだろ、こんなの……」