お金と時間は、いつだって不等号
ハイアット家からの依頼を受けるようになって、早1ヶ月。その日も僕は、明日のために野菜に威圧を仕込んでいた。何だかもう完全に農家な気がするけど、これはあくまで冒険者として依頼を受けて行っている仕事なので、これもきっと冒険なのだ。そうに違いない。
ハイアット家から帰った翌日、冒険者ギルドにて正式に依頼を受けたけど、その時のミャルレントさんの反応は「あれだけ美味しいものを作れるなら当然ですよね」と、笑顔ではあったが普通であった。聞いてみると、あの貴族様はお嬢さんのために、珍しい薬草やら綺麗な花やらをちょこちょこ冒険者に依頼するため、「貴族様に依頼を受ける特別な冒険者」というプレミア感はあんまり無いらしい。勿論、そこそこの腕とそこそこの信頼は必要だけど、それはつまりそこそこの冒険者ならいいということで、特別でも何でもないってことだ。
間違いなく認められているということではあるけど、期待感が大きかったために、正直ちょっとしょんぼりだ。当初の勢いはやや落ち着いてしまい、ミャルレントさんをデートに誘うこともできていない。そこに至るには、もうひと頑張り必要なようだ。
と言っても、じゃあ何を頑張るかと言われたら、やっぱり野菜作りしかない。貴族様の報酬があるので、最近は肉や魚を直接買い付けることができるようになったので、干物のみならず干し肉にも挑戦している。野菜・肉・魚と勝手の違う物を同時に威圧しているので『威圧感』の範囲こそ変わらないけど、範囲内での精密な威圧コントロールには、ちょっと自信が付いてきた。強さの上限があがってないので野菜の収穫サイクルこそ早められないけど、干物や干し肉は以前よりグッと早く作れるようになり、それに比例するように、ハイアット家へと行く間隔も短くなっている気がする。最初は1週間毎のはずだったのに、すぐに5日になり、4日になり、今は3日に1度行っている。この世界に来てからずっと予定に縛られないスローライフを送ってきた僕としては、かつて無い忙しさだ。まあお金も貯まるし、毎回美味しいと喜んでくれているからいいんだけど。
というか、このお金どうしよう? 武器も防具も固有技能で調達出来てるから、日々の食費くらいにしか使い道が無いんだよなぁ。ミャルレントさんにプレゼントとか贈りたい気はするけど、好みも何もわからないし、お裾分けと違って完全な個人への贈り物だから、仕事中に渡すのは流石に悪い。とはいえ、休みがいつかとか、何処に住んでるかみたいなプライベートな情報は聞き出せていない。それこそ仕事中の彼女に軟派みたいなことはできないわけで、でもそれをしないと話が進まないし……むぅ、世の中のモテ男たちは、どうやっているんだろうか? 是非ともご教授願いたいけど、きっと「まずはその『威圧感』を何とかしろ」って言われるんだろうなぁ。僕だってそう言うだろうし。
はぁ。色々と頑張ろう……
*関係者の心境:ミャルレントの場合
最近、トールさんがあまり来なくなった。この辺の領主であるハイアット子爵様の依頼を受けているからだ。トールさんの作る野菜や干物を子爵様とご家族が大層気に入ったようで、頻繁に届けているらしい。
そちらに卸すせいでお裾分けが減って、ギルドに顔を出す回数が減って……それはトールさんにとっては良いことなのに、アタシは何だかちょっと寂しい。美味しいお裾分けのおかげで磨きのかかった毛並みなのに、あんまり見て貰えない。ツヤツヤなのにヘンニョリだ。
隣のリタも、最近は機嫌が悪い。「神の食材を独占するとか、領主の野郎許せん」なんて不穏な事を呟いて、ギルドマスターからげんこつを落とされたりしていた。知らない人の前で言ったら、普通に不敬罪だ。同僚から犯罪者が出るのは、勘弁して欲しい。
「はぁ……」
受付嬢としては良くないことなのに、思わず口からため息が漏れる。前はこんなこと無かったのに、アタシは一体どうしちゃったんだろう?
「ねえ、ミャー? 領主様のところって、年頃のお嬢様がいたよね?」
「何よ突然。いるわよ。お体が弱いって話だけど」
「神がこんなに頻繁に呼ばれてるのって、お嬢様のせいってことはない?」
何を突然言い出すのかと思ったけど、言われてみると、そんな気はしなくもない。あれだけ美味しいトールさんの野菜や干物なら、病弱なお嬢様だってきっと美味しく食べられるはずだ。それを領主様が喜んでトールさんを贔屓にしてるってことなら、十分あり得る話だろう。
「ならさ、神がお嬢様とくっついちゃう可能性とかもあるんじゃない?」
「ニャッ!?」
くっつく!? 誰が!? トールさんと領主様のお嬢様が!? いや、流石にそれは無い。冒険者と貴族様じゃ、身分に違いがありすぎる。冒険者として高い功績をあげれば、貴族に取り立てられることもあるって聞くけど……あれ、それじゃわざわざギルドを通した依頼にしたのは、出世して貴族になるため? トールさんのお野菜で元気になったお嬢様と、出世したトールさんがお付き合いとかしちゃう……!?
「い、いやいやいや、流石にそれは無いんじゃないかニャ?」
「そう? 最近バカウマな干し肉とか持ってきてたし、神ってどんな食材でも美味しくできるんじゃない? 元がただの野菜とかその辺の肉でこれだけ味が良くなるなら、お貴族様が食べるような高級食材なら、もっと目が飛び出るくらい美味しくできるんじゃない? そうなったら、冗談じゃなく王宮料理人……は無理にしても、そこに素材を卸す人くらいにはなれそうじゃない?」
リタの言葉を考える。確かに、ありきたりなシルバーフィッシュをあれだけ美味しい干物にできるなら、食材の品質をあげて王様の料理に使って貰うことはできそうな気がする。そうなれば、稼ぎだって今の比じゃなくなるだろうし、そもそもこんな片田舎じゃなく、王都の方へ引っ越したりするだろう。少し遠くに感じるようになった距離が、決定的に離れてしまう。そう考えると、何だか胸がキューッとなって、尻尾がダラリと垂れ下がっちゃう。
「ということで、ミャー。あんたはそんなことになる前に、さっさと神に抱かれなさい」
リタの言葉が、一瞬理解できなかった。抱かれる? ぎゅーっと? たぶんそうじゃない。もっと大人の……
「大丈夫。気配はともかく顔はヘタレっぽかったから、あんたの肉球でプニッとやってやれば一発だって!
で、この町に縛り付けて、二人をくっつけた私に神の食材を安定供給しなぐぶぁ!?」
目をギラギラさせてとんでもないことを言ったリタに、とりあえず全力猫パンチを叩き込む。「角が……角がゴリッて……」とか言ってもだえているけど、自業自得なので気にしない。
破廉恥ニャ。ハレンチニャ! えっちなのはいけないのニャ! そういうのはつがいになってからすることなのニャ! アタシはそんなふしだらな女じゃないのニャ! 確かにトールさんは毎日頑張ってるし、美味しい干物もくれるし、アタシのことを素直に褒めてくれたりするし、それでいてちゃんと女の子としても見てくれてる気がするし、お貴族様にご贔屓にされてるから稼ぎだって悪くないし、将来性だってあるし、名前も褒めてくれたし、おヒゲや尻尾でアタシの気持ちも理解してくれるし、実際のところお姫様抱っことかされたら、トロンとなって尻尾を腕に巻き付けちゃう気がするけど、でも違うのニャ。そうじゃないのニャ!
アタシはピシピシとおヒゲを指ではじいて、気持ちを切り替える。そう、これはあくまで働き過ぎの冒険者の体調を心配したり、将来性のある冒険者を支援したり、そういうお仕事の気持ちなのニャ。私情はヒゲ1本だって挟まってないのニャ!
「いっつつ……あー痛……もっと素直に生きたっていいだろうに。食欲も性欲も」
シャキンと爪を出したら、リタは小さく肩をすくめてから、お仕事モードへと戻った。だからアタシも、爪をしまって正面に向き直る。「もっと素直に生きたっていい」という言葉が少しだけ胸にチクチクするけど、それはせめてお仕事が終わってから考えるべきことだ。そう、お仕事が終わったら……一緒に歩いて町を案内とかしてあげたら、トールさんは喜んでくれるかニャ? そしたら、一緒にご飯とかも……っと、お客さん。まずはお仕事頑張らなきゃ。
「いらっしゃいませ。冒険者ギルドへようこそ!」





