一日千秋の待ち人
借りた布団は、初日の夜こそ妙なドキドキであまり寝付けなかったけど、次の日以降は快適な安眠を提供してくれた。布団凄い。椅子とかベッドとか枕とか、普段使う家具や寝具に高いお金を出す理由が良くわかった。次の日の疲れの抜け方が全然違うね。
これによって室内の防寒はいい具合になったので、残るは屋外での防寒だけど、こっちは毛布と違って普通に買えた。グレイウルフという狼の毛皮で作ったジャケットで、この辺の冒険者の人は大抵使っている奴だ。雪山とかに行くのでもなければこの程度で十分と言われて、着てみたら確かに暖かかったので、ちょっと奮発して購入した。
本来なら『威圧の旅装』だけで対応出来れば良かったんだけど、服の生地を厚くすることはできても、例えばシャツの裏地に起毛を付けるとか、生地の間に羽が入ったダウンジャケットみたいなのは出すことが出来なかったんだよね。耳のところがテロンと下がって軽くカバーするみたいな感じの帽子は出せたけど、フルフェイスのヘルメットなんかは「防具」になっちゃうらしくて駄目だったし。
ちなみに、イメージ的に暖かそうだった毛糸のパンツは、チクチクしてとても履いていられなかった。うん、あれは普通のパンツの上に履く物だよね、きっと。でも毛糸のパンツを出しちゃうと、パンツ枠がそれで埋まってしまうんだよ……
そんなわけで、通常のパンツや肌着の上に少し厚手の生地になったシャツまでは『威圧の旅装』で、そこに新たにグレイウルフの毛皮ジャケットをプラス。最後に『威圧の旅装』の温度調節効果のあるマントを纏えば、僕の冬装備は完璧だ。正直普通に過ごすだけだったら毛皮ジャケットは必要ないというか、それなりの値段したので我慢したところなんだけど、今はそうも言ってられない。ジェイクさん達の情報が確かなら、これは僕の身を守るために必ず必要になる。
そして、その時は存外早く訪れた。
「冷たっ!? 水? じゃない、雨?」
いつも通りに庭で畑仕事をしていた僕の頬に、不意に冷たい感触が落ちてきた。
濡れた頬を手で拭いつつ空を見上げる。雲ひとつ無い快晴……とは言わないけど、それなりに晴れ間のある空だ。雨が降る天気じゃない。
ぽつり、ぽつりと冷たい物が頬を打ち続ける。天気雨という感じでもない。それに何より――
「……雪?」
僕の頬を濡らすのは、水滴ではなく小さな雪粒だ。そして最も重要なことは、その雪が上からでは無く、町の壁を越えた向こう側、森の方から吹き付けてくるように感じられることだ。
「……これは来たかな? マモル君とタモツ君は、今やってる作業が一段落付いたらみんなに声をかけて家に入れて。僕はここで少し様子を見るから」
ぶるんぶるるーん!
元気に震えるスライム達を見てから、僕は少し作業のペースを早める。そんなにすぐ来るとは思えないけど、それでも準備は大切だ。僕はまだしも、スライム達が巻き込まれたらどうなるのか予想も付かない。今回のは敵では無いし、襲ってくるわけでもないから意外と平気な可能性もあるけど、だからといって吹雪が来ると解っているのにその辺に居させるのは駄目だろう。
幸いにして、作業を全て終えても雪の調子が少し強くなった程度だった。これならまだ大分余裕がありそう……と言うことで、少し迷う。
出来るなら、冒険者ギルドに報告したい。でも、「精霊が来て吹雪になるから周辺の人に警告をして欲しい」とは頼めない。何でそんなことが解るのかと言われたら答えられないからだ。
それに、僕自身がギルドに出向くことも出来ない。精霊の目標地点が僕なんだったら、僕がギルドに行くことでそこまで精霊が来てしまう可能性が出てくる。今の雪の感じなら行って帰っても十分間に合いそうだとは思うんだけど、精霊の移動速度なんて何の予測も出来ないから、突然雪が強くなって気づいたら目の前に……という自体を鑑みれば、僕はここから動けない。
「……あーちゃん。お願い出来る? ギルドに行って、ジェイクさんが居たら『吹雪が来るかも』って伝えて欲しいんだ。できる?」
ぷるぷるーん!
僕の頼みを二つ震えで受けてくれたあーちゃんが、赤い彗星となってギルドの方へ跳ねていく。ジェイクさんなら、きっとうまく伝えてくれるだろう。ファルさんにも伝わるはずだから、精霊の対処はこれでバッチリのはずだ。後は……
「さっちゃんは、家ででーやんと待機して。もし予想より吹雪が強くて家の隙間から入ってくるようだったら、二人で協力してできるだけ塞いでくれる?」
ぷるんぷるーん!
油スライムの特性なのか、他の子よりもほんの少しだけ寒さに強いらしいさっちゃんが、プルンプルンと体を揺らしながら家に入っていく。スライムクリスタルの材料はさっちゃんとでーやんの粘液だから、僕が手を加えなくてもとりあえずの一時しのぎくらいにはなる……はず。まあぶっちゃけ無茶しないで大人しく家で避難してくれていればそれで十分だ。
「それで、えっちゃんは……」
ぷるるーん!
頭の上から来た震えに、僕は思わず苦笑い。本当はえっちゃんは別行動してもらって、万が一僕に何かあったときの連絡係をやって貰いたいところだけど……
「そうだね。僕たちはずっと一緒だ」
ぷるるーん!
頼もしい相棒を頭に乗せたまま、今回はあらかじめ『威圧の楔』を回収し、全力状態になっておく。これで、あとは精霊がやってくるのを待つだけだ。
家から少し離れた所に、僕は一人立ち尽くす。単純な戦闘なんだったら以前オークと戦った場所辺りが周囲に何も無くて最適なんだけど、今回の勝負……というか、説得? の鍵は、僕の『威圧感』だ。何とかこれで暴れる精霊を大人しくさせて、話を聞いて貰わないといけない。
であれば、場所は重要だ。ここは僕の家。僕の畑。僕とスライム達が日々を過ごすこの場所は、僕の『威圧感』が他のどんな場所よりも染み渡っている。それがどんな意味があるのかと言われたら気分の問題だけかも知れないけど、少なくともマイナスに働くことは無いはずだ。なら、ここがいい。ここならばこそ、僕はきっと十全の力を発揮出来るはずだ。気分的に。
あらゆる準備をし尽くして、僕は静かに精霊の訪れを待つ。
精霊の訪れを待つ。
精霊の訪れを…………
「ううぅ、意外と来ない……」
着実に雪と風は強くなってるのに、肝心の精霊が来ない。普通に昼間だったのが、今は既に夜だ。幸いにして薄く積もった雪が月明かりを反射するためそれなりに明るいけど、当然太陽の光とは比べるべくもない。
これは完全に予想外だ。寒い中で気を張ったままただ立ち尽くすとか、心身共に疲労が半端ない。正直ちょっと座り込みたい。油断と隙が出来るけど、日本みたいに折りたたみ椅子とかあるなら2時間くらい前には持ってきて座っているくらい厳しい。
かといって、家に入ることもできない。精霊がノックして扉から家に入ってくるとは思えないので、休んでいるところで壁抜けして家に入ってこられたら大変だ。狭い閉鎖空間で猛吹雪が吹き荒れるとか目も当てられない。
なので、待つ。凄く辛いけど待つ。ああ、でも、せめて温かいお茶くらいは飲みたい。えっちゃんに頼んで……いや、スライムに火は使えないし、お茶を入れるなんて精密動作はどのみち無理だ。カップくらいなら持ってきて貰えるだろうけど、空のカップを届けて貰っても意味が無いし……
ああ、何かちょっと寒さが和らいできた気がする。そして段々と眠気がやってくる。これは駄目だ。ヤバい奴だ。このまま寝たら死ぬ……ことはないか? 家がすぐ近くなんだし、えっちゃんが居るんだから家のスライム達を呼んでくれば僕の体くらいなら運べるだろう。なら寝ても平気なのか? って、平気なわけないじゃないか! 駄目だ、駄目なんだけど……
「…………っ!?」
寝ぼけた頭に、何かが聞こえた。ほんの小さなソレに、僕の意識が一瞬で覚醒する。
瞬間。突然強くなった吹雪が、僕の周囲を猛烈な勢いで真っ白に染め上げていった。





