テンプレの向こう側
今日も僕は、畑を威圧する……うん、まあ、冒険って言っても、難しいよね。正直威圧が通じるレベルの敵しかいないところなら、とりあえず行くだけなら行けると思うんだけど、やっぱり戦闘能力が……ね。
まあ、こんな風にへたれたのにも、ちょっとした理由がある。できあがった干物を冒険者ギルドに持っていったら、ドアを明けた瞬間、体が動かなくなったのだ。アレは間違いなく『威圧感』だった。それを発しているのは、ミャルレントさんで、そして原因は、僕の持っていった干物だった。
いつも通り適度にフレンドリーな口調で、いつも通り優しくにっこり笑っていたけど、一瞬たりとも視線が干物からはずれなかった。顔はこっちを向いてるし、目も間違いなく僕を見ているはずなのに、意識の全てがそこに集中しているような、そんな感じだった。正しくあれこそ『収束威圧』だったと思う。
正直、自分が威圧されることは今まで想定していなかった。でも、『威圧感』なんて固有技能は別としても、「威圧」という言葉や概念は普通にあるんだから、自分がそれを食らうことは、当然想定してしかるべきだった。そのうえ、威圧されるってことは、相手の方が格上ってことだ。そういうのに出会ったら、逃げることすらできないんだって事実に、その時僕は初めて気づいた。悪意でも敵意でもないただの威圧なのに、一歩踏み出すのにも渾身を振り絞らなければならなかったし、口を開くのも無駄に気合いが必要だった。そりゃこんなのを食らったら、門番の人だって泣くよなぁと、改めて思った。ごめんよ門番さん。また手土産を持っていくよ。
とはいえ、それに完璧に安全な場所で気づけたことは僥倖だ。もしこれが森の奥とかで、威圧を使ってくる相手が魔物だったら、今頃僕は為す術も無くやられていただろう。やられていた……そう、死んでいた、殺されていたってことだ。倒すとかやられるとか、ゲーム的な表現をすると凄く軽く感じるけど、そこにあるのは、命のやりとりなんだ。軽くないし、やられたら終わりだ。それを改めて理解させられて、正直ちょっと腰が引けてしまったのだ。
ちなみに、「そんなに気に入ったならまた持ってくる」と言ったら、綺麗さっぱり威圧がとけた。ミャルレントさんはどれだけ干物が好きだったんだろう……持ってきただけで、まだ食べたってわけでもなかったのになぁ……まあ、言葉通り気に入ってくれたなら、僕だって嬉しい。
そんなわけで、当初の心づもりとははずれてしまったけど、畑仕事と湖での魚釣りをルーチンワークとする、のんびりゆったりなスローライフを満喫して過ごしていた僕だったが……
「……失礼致します。こちら、トール様の畑で間違いないでしょうか?」
ある日。いつも通りのんびりと畑を威圧していると、背後から不意に声がかけられた。振り返ってみると、畑のふちに、執事が立っていた。
うん、間違いなく執事だ。黒いスーツに白いシャツと手袋。若干灰色がかった髪は後ろになでつけられ、鼻の下には整えられたちょび髭の、50代くらいと思わしき男性が、とても良い姿勢でこちらを見ている。
「私がトールだが、貴方は?」
「人に聞くなら自分が先に名を名乗れ!」とかは言わない。見た目通りの執事なら、雇い主は貴族とかそういうのだろうし、そもそもどこからともなくやってきた謎の農夫とか、どう考えても一番立場が低いし。
「これは失礼致しました。私この近隣を納めておりますハイアット家に仕えております執事で、ポーツマスと申します」
おお、問題なく執事だった……これで執事のコスプレをした人とかだったら、どうしようかと思ったよ……にしても、ハイアット家……当たり前だけど全くわからないな。近隣って、どのくらいの範囲なんだろう? せめて爵位がわかれば多少は推測できるけど、まあとにかく僕よりは圧倒的に偉いだろう。「貴族死すべし慈悲は無い」みたいな思想は持ち合わせていないので、丁寧に挨拶してくれた人には、僕も丁寧に挨拶を返したい。
「ご丁寧にどうも。改めて、私がこの畑の主、トールだ。それで、私に何かご用だろうか?」
「その……大変ぶしつけなお願いなのですが、今この畑にある作物を、全て売ってはいただけないでしょうか?」
「全て……か?」
「はい。急な話であり、無理を言っているのは承知しております。なので、当然金額の方は上乗せさせていただきますし、卸す先があるのでしたら、こちらからお話をさせていただくこともできます。ですので、何とぞ……」
そう言って、執事さんが頭を下げる。確かに、普通に考えればかなり無茶な提案だ。一般的な農家なら、それこそ今言われたとおり作物には納品先が決まっている。僕みたいに適当に作って自分で売る人もいなくはないけど、あくまで少数派。僅かな手数料を渋って農夫と商人の二足のわらじを履くのは、あまり効率的じゃない。
でも、僕はその少数派だ。しかも、別に特定の場所に契約して卸しているとかじゃない。親しい人にお裾分けして美味しい食事にしてもらって、その残りを商業ギルドや、何故か冒険者ギルドにも売ったりしてるだけ。持っていけば喜んで貰えるけど、無いからって怒られたりはしない。
そもそも『威圧感』の有効範囲の関係上、収穫サイクルは短いけど、一度の収穫量そのものは大したことないのだ。食料品や薬草など、常に需要があって消費され続け、かつ新鮮さが重要なものだから、これが最適な形ではあるけど。
そうなると、売ることは別に問題ない。となると、わざわざ無理を押して頼む理由くらいは知りたい。まあ、テンプレ的な悪徳貴族が「美味い物を今すぐ食わせろ!」と喚いてるとかだったとしても、売らないってことはないけどね。単なる威圧農夫が貴族に喧嘩を売るには、30レベルくらい足りない気がするし。
「ふむ。売るのは構わないが……無理を通したいと理解しているなら、その理由くらいは聞いても良いだろうか?」
「勿論です。ご存じかも知れませんが、ハイアット家には病弱なお嬢様がおりまして、普段は食が細いのですが、先日こちらの市から仕入れた野菜を口になされたところ、美味しいといっていつもより多くお食べになりまして……であれば、少しでもお嬢様に元気になっていただくためにも、その野菜を大量に仕入れられないかと思い、こうしてお願いにあがったわけであります」
あー、これはあれだね。もう定期納入したい気分だね。テンプレ展開だけど、そのテンプレな世界の中に入ったからこそわかる。そこにいるのは記号じゃなく、ちゃんと生きている人間だ。町を出る時に会う門番さんだって、ギルドの受付嬢のミャルレントさんだって、テンプレ的な存在ではあっても、僕と同じ人間だ。日々を一生懸命に生き、嬉しければ笑い、悲しければ泣く、ごく普通の人間だ。
そんな普通の人間であるお嬢様が、僕の野菜を美味しいと食べて元気になってくれるなら、こんなに嬉しいことは無い。持ってるチートが回復系だったら今すぐ治してあげたいところだけど、流石に『威圧感』で病気を治す方法は、ちょっと思いつかない。
「わかった。そう言う理由であるなら、喜んで売ろう。ただ、私は貴族家に行けるような存在ではないので、荷物はそちらで運んで貰いたいのだが、良いだろうか?」
僕の言葉に、執事さんの顔がぱあっと明るくなる。貴族なら農夫ぐらい権力でごり押しできるだろうけど、お互い気持ちよく取引できるなら、その方がいいのは同じだよね。
こんなにすんなり売って貰えるとは思っていなかったとのことで、明日荷物を運ぶ馬車と一緒にもう一度来ると言い残して、執事さんは去って行った。その際に、お土産として干物を1枚渡した。お嬢様には向かなくても、執事さんが食べる分にはいいだろう。
その姿を見送って、僕は自分がすべきこと……明日までに野菜の味を最上にすべく、腕によりをかけて野菜を威圧していった。





