見返り美猫
「………………」
誰に起こされた訳でも無く、静かに目が覚める。元々体力が低下しているところで気が抜けたからなのか、どうやら僕は泣き疲れて眠ってしまったらしい。
「あー…………昼、かな?」
と言っても、流石に丸一日寝るような事も無かったようだ。窓から差し込む光は未だ強く、お腹の具合からしても丁度お昼くらいだろう。となれば、寝ていたのは精々数時間と言うところだろうか?
部屋の中を見回してみても、フラウさんの姿は既に無い。ただその痕跡として、ふんわりと漂う優しい匂いと……テーブルの上に、じゃがりん棒が3本だけ並んでいた。
「いや、3本って……ははっ」
凄く女神っぽい感じで僕を慰めてくれた後で、自分の食欲と葛藤して3本だけ置いていったフラウさんの姿を想像したら、何だか凄くおかしくて思わず笑ってしまう。超常の存在としてじゃなく、ご近所の人として心配してくれたのだという気持ちが伝わってきて、じんわりと胸が温かくなった。
ぷるるーん!
「あぁ、おはよう……でもないけど、まあいいか。おはようえっちゃん。これはみんなで食べようか」
1本は僕がカリカリと囓り、残り2本は細かく砕いてみんなにあげた。この世界の物とは明らかに違う感じの味付けだけど、えっちゃんやあーちゃんにはなかなか好評だった。唯一さっちゃんだけ「油が今ひとつ」という評価だったけど、そりゃ100%天然ひまわり油と量産品のサラダ油を比べたらそうなるよね。
「さて、それじゃ起きようか。うーん…………!」
ベッドから立ち上がり、体を伸ばす。ジンジンとした心地よいしびれが全身を巡り、凝り固まっていた全身に血が巡っていくのを感じる。そのまま軽く腕や足を動かしてみれば、さっきまでとは明らかに感覚が違う。
当然、たかだか数時間で劇的に体が良くなるなんてことは無い。回復魔法やそれこそ神の奇跡なんてものを使えば別だろうけど、そんなことをされた形跡も無いので、これはただ僕の心の有りようが変わっただけだ。それだけなのに、もの凄く体が軽く感じる。
試しに、簡単な昼食を作ってみる。まあ作ると言っても、今まではそのまま食べるだけだったパンをちょっと切ってサンドイッチにしてみるとか、そのくらいだ。それでも昨日までに比べれば随分と感じる疲労が少なく思える。なので調子に乗って家の外を軽く歩いてみたりしたら……
「うぅ、気持ち悪い……」
ぷるるーん……
あっさり体調を崩してベッドに逆戻りした。呆れるえっちゃんに返す言葉も無く、僕は黙って布団を被る。
まあね。病は気からとか言うし、気持ちによって体調が変わることを否定はしないけど、だからって気持ちが前向きになったくらいで劇的に元気になったりはしないよね…………
「こんばんはー!」
襲い来る微妙な吐き気で眠ることもできず、長い長い体感時間の果てに昼を乗り切った僕の耳に、聞き慣れた声と扉を叩く音が届く。丁度近くに居たあーちゃんがささっと扉を開ければ、そこに居るのは当然ミャルレントさんだ。
「こんばんはトールさん。調子は……あんまり良く無さそうですね」
「いやぁ、ははは……」
ぷるるーん!
「えっ!? そんな無茶したんですか!?」
笑って誤魔化そうとしたら、少し元気になったからって調子に乗ったことをえっちゃんにバラされてしまった。ぬぅ、裏切ったなえっちゃん!
ぷるるーん?
くっ。「必要なら、非道な手段だって取れる男なんだぜ?」なんて渋く震えられたら、それ以上は言い返せない。そしてちょっと格好いい。
「ふふっ。僕の負けだよえっちゃん……やっぱり君には適わないな……」
ぷるるーん!
「はいはい。まったく男共はしょうがないニャ……それじゃ、今夜は体力の付きそうなものよりは、少し軽めにした方がいいですか?」
「あ、そうですね。そんな感じでお願いします」
僕とえっちゃんのやりとりをヒゲを揺らしながら見ていたミャルレントさんの言葉に同意して、僕は彼女の後ろ姿をそっと見つめる。
ミャルレントさんは、今日もご機嫌だ。ユラユラと揺らす尻尾でリズムを取り、フンフンと鼻歌を歌いながら包丁で野菜を刻んでいく。カットした大きさからすると、煮込んでスープにでもするんだろうか? すっかり僕の家の調理場を把握しているようで、その手際は実に見事な物だ。
「何ですかトールさん? そんなにじっくり見られたら緊張しちゃいます」
「あ、すいません。ミャルレントさんが料理している姿が、何かこう、素敵だなぁと思って……」
「すてっ!? 素敵とか、そんな! アタシなんて、ママに比べたらまだ全然ですし……」
「いえいえ、そんなことないですよ。ミャルレントさんなら、今すぐにでも素敵なお嫁さんになれると思いますよ」
「あ、ありがとうございます…………」
小さな声でそう言うと、ミャルレントさんが完全に顔を背けてしまった。このやりとりで怒るとは思えないし、さっきまでユラユラと揺れていた尻尾がシュピンシュピンと勢いよく動いているので、多分照れているんだと思う。
まあ、僕も大概照れくさい。でもそう思っちゃったんだから仕方ないじゃないか! 今の構図がそのまま新婚さんな感じだし、この前の鼻をプニッとやったのもあるし、僕としても色々意識してしまうのだ。
「あの、じゃあ、どうぞ……」
「いただきます」
何とも言えないムズムズした時間を過ごし、出来上がった料理を前に両手を合わせる。幾分体調も良くなってきたので、ちゃんとテーブルに着いてだ。ミャルレントさんのピクピク動くヒゲが可愛いなぁと思いつつも、手元の料理へと視線を落とす。
まず目に付くのは、大きめにカットされたじゃがいもやニンジン、逆に小さめにカットされた鶏肉っぽいものが入った煮込みスープ……ポトフだっけ? 何かそんな感じの野菜スープだ。
優しい湯気を立てているそれを匙で掬って、ゆっくりと口に運ぶ。ハフハフいいながらスープと一緒にジャガイモを嚥下すれば、体の内側に心地よい熱がじんわりと広がっていくのが感じられる。
「ああ、美味しい……」
思わず漏れるため息は、感嘆の呟きだ。特別なご馳走じゃなく、毎日食べたくなる味。そう言う物が、ミャルレントさんの料理には満ちている。
「良かったです。今夜の分はまだ味がそれほど染みてないので取り分けてから調味料を効かせてありますけど、明日の朝には柔らかくなったお野菜にしっかり味が染みてると思います」
「そうなんですか! うーん、明日の朝も楽しみだなぁ」
流石にご飯を食べながらお腹を鳴らしたりはしないけど、想像するだけで楽しくなる。一緒に食事をしているミャルレントさんも楽しそうなので、喜びは倍増だ。
スープの一滴までパンでこそいで食べたなら、片付けをするミャルレントさんを尻目に僕はベッドに一直線だ。本当は手伝いたいんだけど、ここで無理してまた体調を崩すのはそれこそ誠意を欠いた行動だ。グッと我慢して、ミャルレントさんの後ろ姿を眺めるだけに留める。うん、尻尾をフリフリするミャルレントさんは本当に可愛い……
「…………あの、トールさん? 何だかずっとお尻を見られてる気がするんですけど……」
「ふぁっ!? いや、そんなことは、無くも無いというか、無いとも言い切れないというか……」
ずっと背を向けていたはずなのに、何故に気づかれたんだろうか? そう言えば女性は胸を見ている男性の視線は一発で解るって物の本で読んだような……いやでも、僕が見ていたのは尻尾であって、決してお尻では無いと言うか、それだって別に変な目で見ていたわけでは……
「…………えっち」
ペシンと、尻尾で顔を叩かれてしまった。その優しい毛並みの感触と不意に襲ってきたミャルレントさんの匂いに、僕の中の何かがうわーっと声をあげている。
「お、おやすみなさい!」
寝るにはまだ早いし、そもそもお客さんであるミャルレントさんがいるのに寝るのは失礼だ。わかってはいるけど、何かこう……あれなのだ。女性との交際経験の無い健全な青少年にありがちな、いてもたってもいられない言葉に出来ない感情の奔流が、押さえられない青春のリビドーな感じなのだ。
「ふふっ。おやすみなさい、トールさん」
近くに人の気配が来て、薄っぺらい布団越しに冷たい鼻の感触がして、その後は家から人の気配が去って行く。その後はフッと部屋の明かりが消えたので、きっとえっちゃんが気を利かせてくれたんだろう。
あー……何かもう。あー! 何だろう、これはどうすればいいんだろう? この落ち着かない感じを、どうすればいいんだろうか?
馬鹿みたいに早く布団に潜り込んだにも関わらず、茹で上がった僕の頭が眠りに落ちたのは、天の月が中天を過ぎ去る頃であった。





