生誕の女神
序盤は前回のフラウさんの説明の続きです。ご注意下さい。
本来、人間の体に神の力をそのまま宿すことなどできません。そんな空き容量が人間という脆弱な器にあるはずがないのです。
これは……そうですね。人間と蟻に例えてみましょうか。育ち盛りの男の子であるトールさんにとって、おやつにドーナッツの1つや2つを食べるなんて簡単でしょう? でも、それを地面に落として蟻が食べるとしたらどうでしょう? ドーナツ丸ごと1つなんて、蟻の体では何週間とか何ヶ月だって食べきれない量になるでしょう。
そして、神と人は、人と蟻の比ではないほど力の隔たりがあります。神様のおやつ3日分で作られた『威圧感』は、その言葉通り「神威を以て、理すらも制圧する」力があるのです。そんなものを器に入れられたのは、それもまたトールさんの器がどうしようもないほどスカスカだったからですね。
当然、それだけ強大な力なればこそ、それを無差別に振るえるようになどしてありません。本来ならば、トールさんが魔物を倒して少しずつ魂の水を溜めていくごとに、その許容量に合わせてほんの1滴ずつ『威圧感』の力をそこに溶かし込んでいき、そうやって実力相応の能力を発揮できるように成長することを想定していました。その結果としてトールさんの魂の水は神の力の溶けたこれ以上無いほどに強大な物になったでしょうけど、それも当然輪廻を回す時は浄化されるので、特に問題にはなりませんしね。
ですが、トールさんは他者から魂の力を奪うこと無く、そのうえで『威圧感』をその身に取り込んでいきました。これは「1の水には1の力しか溶けない。だから水を増やして溶ける力も増やそう」という常識に対して、「1の水に1の力しか溶けないけど、工夫して1.1溶けるようにしよう」という逆転の発想です。
その本来の想定とは全く違う力の得方のせいで、トールさんは自分の望む力だけをピンポイントで自分の体に溶かしていきました。神様の想定した順番で1滴ずつ垂れてくるのを待つのではなく、霧で神の力を包み込んで、欲しいところだけ直接つまんでいったのです。酷いズルです。チートです。神様も頭を抱えていました。それがトールさんが不思議な成長の仕方をしている原因です。
…………話がずれました。で、今回の件なんですけど、お友達の死という強烈な感情によって、トールさんの霧状の魂が凝結し、小さな氷の塊になってしまったのだと考えて下さい。その結果、霧で満ちていた器は空洞になり……でも、空洞のままでは器を器として維持出来ないので、その場に存在する一番大きな力……即ち『威圧感』が体の全てを満たしたのです。意思によって制御されていない、神の力そのものが。それを直接感じちゃったので、あの冒険者さんは何も出来ずに立ち尽くしてしまったというわけですね。まあ極小とはいえ神威そのものですから、当然ですけどね。
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「……で、トールさん自身のほうは『事実を受け入れられない』からその場に立ち尽くし、『元に戻りたい。家に帰りたい』という想いがあったから茫然自失のまま帰宅して、『失うのが怖い』という恐怖が家の周りに無制御のままの『威圧感』を張り巡らせていた、という感じでしょうか」
「はぁー……そんなことになっていたんですねぇ」
長い長い説明を聞いて、僕の口から出たのはそんな間抜けな言葉だ。いや、だっていきなりそんな事言われても、一度に全部を理解するのは難しいというか……
「というか、それを説明されて、僕はどうしたらいいんでしょうか?」
そう、それがわからない。多分知らなければ知らないですんだことだし、教えられたからといってどうしていいのかもわからない。
「うーん。ちょっと固有技能を見てみてもらえますか?」
「え? はい。固有技能……って、何だこりゃ?」
久しぶりに開いた固有技能の表示には、「ただいまメンテナンス中。ご迷惑をお掛けしております」というメッセージに、工事の人とかが被ってる黄色いヘルメットを頭に乗せた天使がペコリと頭を下げている絵が表示されている。縦に長いはずなのにいつものようにスクロールさせることはできず、唯一最下部でちょっとだけ見切れている『威圧感◎』の説明文も文字化けしてしまっている。
「要は、そうなってる原因は今の説明の内容ですよってことです。不具合があったら説明する義務があるということで、おじいちゃん神様からお願いされちゃったんですよー。ちなみに報酬はこれです!」
そう言ってフラウさんがどこからともなく取り出した籠の中には、黒いゴツゴツした塊が無数に詰め込まれている。
「黒い稲妻です。トールさんもおひとつどうぞ」
「あ、はい。いただきます……ああ、美味しい……」
ココアクッキーと固めのビスケットをチョコでコーティングしたそれは、日本にいたころ一時期はまって食べまくっていた駄菓子だ。久しぶりに食べたけど、やっぱり美味しい。
「……あれ? じゃあ僕の所にお見舞いに来てくれたのって、このお菓子を手に入れるためなんですか?」
「ま、まさかぁ! 私はトールさんを純粋に心配して来たんですよ!? ほら、ね? もう1つあげますから!」
フラウさんの視線がキョロキョロと宙を泳ぎ、あまつさえお菓子も差し出してきた。
「まあいいですけど。美味しいですし……ああでも、甘い物ばっかりだと、今度はちょっとしょっぱい物も食べたくなりますね」
「あ、じゃがりん棒も食べますか?」
すかさず差し出される別の籠。言葉通り、中にはじゃがりん棒がぎっしりと詰まっている。
「……ひょっとしてこれも報酬ですか?」
「うぐっ!? ま、まあまあ! 美味しいですよねーじゃがりん棒。やっぱりサラダ味がジャスティスです」
「……まあ美味しいですけど……」
何となく釈然としないけど、それでじゃがりん棒の味が変わるわけじゃ無い。この脂ぎったジャンクな味が、なんとも言えず懐かしくて美味しい。
「うぅ、何だか私の女神としての威厳が落ちている気がします……何も悪いことしてないのに……」
「あー、いや、すいません。意地悪しすぎました」
しょげてしまったフラウさんに、僕は頭を掻きつつ謝る。例えお菓子に釣られたのだとしても、暇を持て余していた僕の所にお見舞いに来てくれたことは、ただそれだけで本当に嬉しいことなのだ。
「そう言えば、お茶も出して無かったですね。ごめんなさい、僕はまだあんまり動けないんで……あ、リタさんに貰ったハーブティーが……っ!?」
体を起こして立ち上がろうとした僕の頭を、不意にフラウさんがその胸に抱きしめる。柔らかくて温かな感触と、何となく甘くて優しい香りが、僕の体と心を余すこと無く包んでいくのを感じる。
「フラウさん? 何を……!?」
「辛かったですね」
たった一言。ただそれを言われただけで、僕の心で凝り固まったままだった部分が……さっきのフラウさんの話で言うなら、小さく固い氷のままだった部分がゆっくりと溶けていく。
「魂が小さく固まってしまうほどの悲しみを、貴方は乗り越えました。でもだからといって、痛みが消えて無くなるわけではありません。これから先の人生を、その痛みの記憶と共に歩んでいかなければなりません」
えっちゃんは生きている。その事実が僕の心を溶かした。でもえっちゃんは死んだ。その事実が僕の心を固く凍らせている。矛盾するけど両立している二つの事実の狭間で、僕の心は宙ぶらりんだった。
「でも、大丈夫。誰よりも固く冷たくなった記憶を持つ貴方は、きっと誰よりも柔らかく、温かくなれるはずです。貴方は知っているはず。今日までここに訪れた人達の温かさを。それがあれば、貴方は大丈夫。きっと笑顔で歩き出せます」
歩き出すのが怖かった。元気になって、また失うのが怖かった。だから体が回復することすら怖かった。このまま寝たきりで、穏やかで優しい時間に浸っていたかった。
世界が、とても怖かった。
「だから、他の人には溶かせない最後の一欠片を、私が溶かしましょう。貴方の心に、今再びの生誕を。さあ、産声をあげて泣きなさい。私は、世界は。トールさん、貴方のことを歓迎します」
未来への恐怖。それはきっと生まれてくる赤ちゃんと同じ物だ。でもそれを笑顔で迎えてくれる人がいるなら、恐怖を希望に変えることはできる。
怖くて怖くて泣いている僕の頭を、フラウさんが優しく撫でてくれる。その度色んな人の顔が過ぎって、僕の中から少しずつ不安が消えていく。
ずっとずっと泣き続ける僕を、フラウさんもまたずっとずっと抱きしめて続けてくれた。





