赤ちゃんと僕
「あの、義兄さん。そちらの方が……?」
歪みそうになる表情を必死に隠しながら、猫人族の男の人……ファデリアスさんが僕に目線を送りつつガラルドさんに問う。その隣では、泣き出した赤ん坊を奥さんと思われる人間の女性が必死にあやしている。
「ああ、そうだ。トール、改めて紹介しよう。こいつが俺の義弟で、ファデリアスだ。隣は嫁さんのエレインで、彼女は俺たちと同じ基人族だ。で、その腕の中で泣いてるのがこいつらの子供なんだが……参ったな。ここまで泣かれるとは思わなかったぜ」
「そうねぇ。トール君の気配が強すぎるのかしら? 基人族だから猫人族ほど敏感じゃないと思ったんだけど、ほーらよしよし、アタシもママよー」
ばつが悪そうに頭を掻くガラルドさんに、エレインさんと一緒になって赤ちゃんをあやしているミャルガリタさん。それでも赤ちゃんが泣き止むことはなく、僕のハートに着々とダメージが蓄積されていく。
「いや、すまないねトール君。息子が泣いてしまって」
「いえ、気になさらないで下さい。慣れているというか、無理も無いというか……大人の人でも、怯える方はいらっしゃいますから」
僕の『威圧感』は、今も絶賛垂れ流し中だ。いつも会っているような人ならすぐに慣れてくれるようだし、ミャルガリタさんみたいに初対面でも大丈夫な人も稀にいるから普通に生活していると忘れてしまいそうになるけど、基本的に僕は避けられて然るべき人物であることは疑う余地も無い。ましてや相手が赤ん坊となれば、僕の『威圧感』を敏感に感じ取って泣くなんてむしろ当然にすら思える。
ぷるるーん
「ありがとう、えっちゃん」
慰めてくれるえっちゃんの体を優しく撫でる。と、そんな僕を見て、ファルス君とミャリアちゃんが赤ちゃんの方へと歩いて行った。
「あのねフランツ。トールお兄ちゃんは怖くないのよ?」
「そうだぞフランツ。一見怖そうに見えても、中身は未だにレン姉とチューも出来ないくらいヘタレだからな!」
そっと赤ちゃんの頬に手を添えながら、二人が……ファルス君のは微妙だけど……口々に僕を擁護してくれる。その甲斐あってか少しだけ鳴き声が落ち着いてきたけど、それでもまだグズっているのは変わらない。
「フランツ君……あ、ファで始まる名前じゃないんですね」
「ん? ああ。男児はファ、女児はミャというのは猫人族の伝統だけど、僕の場合はエレインが基人族だから、息子もそうだしね。だから無理に拘らなくてもいいと言ったんだけど……」
「ファデリアスたちの伝統も、取り入れたかったんです。だから半分だけ貰うことにしました。改めまして。こんばんは。私はエレインです。こんな形で御免なさいね」
腕の中の赤ちゃんをユラユラと揺らしながら、エレインさんが真っ直ぐこっちを見て挨拶をしてくれた。その顔には、無理をしてない程度の笑顔が浮かんでいる。早くも『威圧感』に慣れた……と言うよりは、気丈に頑張っているという感じだろうか? 何となくだけど、その強さはきっと「お母さん」だからだと思う。
「初めまして。ミャルレントさんの友人のトールです。こちらこそ、ご迷惑をかけて申し訳ありません」
そう言って頭を下げる。人に泣かれるのはそれだけできついけど、それが赤ちゃんとなれば更にきつい。
「ふむ。トール君、ちょっといいかい?」
「はい……え? 何を?」
自分の掌をペロリと舐めたファデリアスさんが、そのつばのついた肉球を僕の鼻にプニッと押し当ててきた。こういうのも何だけど……ちょっと臭い。
「僕の臭いをつけたから、その状態でフランツに近寄ってごらん」
「え? でも、近づくと威圧……この気配的なものの影響が強くなっちゃうんですけど」
「そうみたいだね。でも、それでも僕の臭いの影響の方が強いはず……駄目そうなら仕方ないけど、まずはやってごらん。エレインもいいかい?」
「ええ、ファデリアスがいいならいいですよ」
二人で顔を見合わせ頷き合われたら、拒否するのも悪い。僕はそっと席を立つと、おっかなびっくり赤ちゃんを抱いたエレインさんの方へと歩み寄り、その様子を他の人達が固唾をのんで見守っている。
「ふぁっ……」
赤ちゃんが声をあげて、僕の足が止まる。でもすぐにそれは収まり、僕もまた歩き始める。ゆっくりゆっくり近づいていって……
「さ、顔を近づけてごらん。臭いを付けたのは鼻だからね」
「は、はい」
ゆっくりゆっくり、覗き込むようにして赤ちゃんに顔を近づけていく。その顔が泣きそうに歪んで、思わず動きを止めたけど……次の瞬間、赤ちゃんの手が僕の顔の方に伸びてきた。
「あー? あぅー?」
とても小さな手が、ペチペチと僕の頬に当たる。その目は僕を見ているのかいないのか、そもそも赤ちゃんが生まれてからどのくらいで目が見えるようになるのか知らないけど、あっちこっちにクルクルと視線が動きながらも泣き出す様子は無い。
「あの……触っても?」
「いいですよ。でも、そっとね」
エレインさんに確認を取ってから、そっと赤ちゃんの頬に触れる。桜色のほっぺたが、この世の物とは思えない柔らかさを感じさせる。流石のえっちゃんでも、この感触には適わないと思う。
「あうー。あー」
プニプニとつついたら、手足をパタパタと動かした。喜んでるのか、くすぐったいのか、はたまた遊びたいとかなのか……少なくとも嫌がってる感じはしない。
「うん、大丈夫そうだね。なら改めて紹介しよう。僕とエレインの息子、フランツだ。もうすぐ生まれて半年になる」
「はい。あ、違うか……僕はトールだよ。よろしくね、フランツ君」
ファデリアスさんに顔を向けようとして、慌てて元に戻す。フランツ君に向けて挨拶をしたら、その小さな手がムギュっと僕の鼻を掴んだ。
「あうー! あー!」
「ふふふっ。フランツもよろしくって言ってるわ。良かったわねフランツ。また一人お友達が……いえ、お義兄さんが増えるのかしら?」
「それは、その……頑張らせていただきます……」
さっきもミャルガリタさんとやったようなやりとりを繰り返して、一時冷えてしまったように感じが部屋の空気に暖かさが戻る。
「いやぁ、いいものを見せて貰ったねぇ」
「あら、コリン君! お帰りなさい! お疲れ様! お風呂にする? ご飯にする? それともアタシ? アタシかしら?」
初めて聞く声に振り向けば、入り口の辺りに立っていたのは少し背が低くて、何だか疲れた感じを醸し出している人間の男性。ミャルガリタさんが笑顔で名前を呼んだので、この人がミャルレントさんのお父さんで、ミャルガリタさんの旦那さんなんだろう。
「お客様を待たせてお風呂に入る気は無いし、流石にこの状況でキミを選ぶわけにはいかないだろう。それにそろそろご飯なんじゃないか? 彼は食事に招待したんだろう?」
「そうね! その通りね! トール君を食事に呼んでおいて、アタシ達だけイチャイチャしたら駄目よね! というかレンは何をやってるのかしら? ちょっと見て――」
「出来たニャー!」
ミャルガリタさんが奥に行こうとしたところで、調理場からミャルレントさんの雄叫びがあがる。どうやら料理が完成したらしい。
「あらあら、丁度いいわね! じゃ、アタシとレンと……あとトルテ! 料理を並べるの手伝って! 他の人は席に座ってね。あ、トール君はここよ、ここ!」
さっきまで座っていたのとは違う席を指定されて、僕はおとなしく席に着く。他のみんなも席に着いていって……何故か僕の両隣には誰も座らない。ガラルドさんの隣が空いてるのは当然ミャルトルテさんが座るからだろうし、となると僕の隣に座る人は自ずと答えが出る。2択ではあるけど、それは右か左かの違いでしかない。
あ、ちなみにえっちゃんたちは床の上だ。流石にテーブルの上に載せたままにはできないからね。まあ食事が始まれば膝の上とかに適当に乗ってくるから問題無い。
目の前に、美味しそうな匂いとできたての湯気の立つ料理が次々と並んでいく。やがて全てを並べ終えたのか、僕の両隣にも二人が腰を下ろして……さあ、いよいよ食事会の始まりだ。





