叔父で従姉妹で姉妹で義父で
「ガラルドさん? 何故そんなところに?」
「ハァ? 何言ってやがる。ずっとお前を待ってたに決まってるだろうが!」
「ずっとって……え? いつからですか? うわ、すいません! 僕遅かったですか!?」
この世界における時刻は、朝から晩まで8回鳴る鐘の音で示される。朝の6時が最初の鐘で、以後2時間おきに鳴って最後は夜の8時なんだけど、逆に言うとそれ以上に細かい時間は基本的には感覚でしかわからない。
と言っても時計が無いわけじゃなく、冒険者ギルドとかなら普通に壁に設置されてたりするし、それなりにお金を出せば特に制限無く買える程度の物ではあるので、時間とか分とか秒の概念は普通に浸透している。要は個人がそこまでピッタリと時間を気にするような生活をしていないというだけの話だ。
もっとも、それに関しては日本があまりに潔癖すぎるというのはあるんだろうけどね。いつでも何処でも誰とでも連絡が取れて、秒単位の時間を気にする生活は便利であると同時に凄く窮屈だったんだなって、こっちで暮らすようになって感じたりしたし。
と、そんなことを考えてる場合じゃない。遅刻ってことは無いと思うけど、それでも人を待たせていたというのは自分が待つよりもずっと気分が悪い。ここはしっかりと謝って……
「おい、トール? どうした? 言っとくが今のは冗談だぞ?」
「本当にごめんな……冗談?」
「いや、待ってたこと自体は冗談じゃないが、庭でちょっとした作業をしていた時にお前が歩いてくるのが見えたから、普通に出てきただけなんだが……ひょっとして気づかなかったのか? どんだけ緊張してるんだよ!」
「いやぁ、その、あはははは…………」
うわ、全然気づかなかったよ……確かにさっきまでの僕は、周囲の景色を見てはいても認識はしていなかったらしい。普通に歩いてきたガラルドさんに気づかないとか、テンパってるにも程があるだろ……
「ったく、しょうがねぇなぁ。まあそういうクソみたいな真面目さとかがお前のいいところなんだろうけどな。賢く小狡く立ち回るような奴に比べたらよっぽど好感が持てる。ほら、さっさと入れ」
笑って手招きするガラルドさんに従って、僕は柵の入り口を通り抜けて敷地の中に入る。
腰くらいの高さしかない木の柵なんて本当に仕切りくらいの意味しか無いはずなのに、その中に一歩踏み込んだだけで、何となく独特の空気というか、臭いを感じる。
「ここで皆さんが暮らしてるんですね……」
「おうよ。軽く説明しとくと、一番手前のその家が義兄さん……ミャルレントの生みの親父のコリンさんと、母親のミャルガリタさんの家で、その隣が俺たちが住んでる家。で向かい側が従兄弟……俺の義父でミャルトルテとミャルガリタの親父さんの弟の3番目の息子が住んでる。ファデリアスって猫人族の男で、嫁さんのエレインは人間の女だ。で、その隣の家は今は空き家だな。順当に行けばお前とミャルレントの愛の巣になる場所だぞ?」
ガラルドさんがニヤリと笑う。が、僕はそれどころじゃ無い。突然増えた人間関係が頭の中で大混乱だ。
「えーと、ミャルレントさんのお母さんがミャルガリタさんで、その妹さんがミャルトルテさんで、そのお父さんの弟さんの息子さんの3番目さんの……」
「あー、まあ今すぐ全部覚えなくても平気だからあんまり気にするな。どのみち夕食の時には顔を合わせるし、関わるようになれば名前なんざ勝手に覚えるさ。従兄弟だのなんだのは適当でいいしな。全員義父さん義母さんで十分だ」
「はぁ。そう言う物なんでしょうか……」
「少なくとも俺はそうだぞ? 例えばミャルレントとミャリアは従姉妹になるが、『大家族』の中では姉妹で通るしな。『大家族』内で恋愛関係になって結婚したいとかなったら流石に細かく気にするが、逆に言えばそうでもならない限りそんなことは大した事じゃねーんだよ。
肩書きじゃなく、気持ちで向き合え。本当に重要なのは、それだけだ」
「わかりました。ありがとうございますガラルドさん」
お礼を言って頭を下げる僕に、ガラルドさんは「よせよ、照れるぜ」と頬を掻きつつ顔を背ける。うん、やっぱりこの人は凄く良い人だ。悪戯好きだったりもするけど、凄く近い位置で僕を気にかけて面倒を見てくれているようで、自分にこんな兄が居たら騒がしくも楽しいだろうなぁっていう理想の人物にすら思える。
まあ実際ミャルレントさんと結婚したらお義兄さんに……いや、叔父さんかな? いやいや、それ以前に『大家族』だとまとめてお義父さん? って、さっき気にしなくていいって言われたことを早速気にしちゃう辺り、まだ緊張してるのかなぁ……
「おーい、義姉さん! いるかい?」
「はいはーい! 今行きますよー!」
そんな事を考えている間に、ガラルドさんがミャルレントさんの家の扉越しに声をかければ、そこからはつらつとした声が聞こえてくる。
「はーいお待たせ! ってガー君じゃない。どうしたの?」
「義姉さん、その呼び方は……まあいいや。ほら、こいつがミャルレントの――」
「あら! あらあらあら!」
ガラルドさんが言い終わる前にその体を押しのけて、僕の前に猫人族の女性がやってくる。薄い茶色の毛並みに濃い茶色の毛で筋の入った綺麗な人……いや猫? 猫の人だ。
「貴方が娘の言ってたトール君ね? そうでしょ? ね、そうなんでしょ?」
「え、ええ。そうです。トールです。初めまして」
「初めまして初めまして! アタシはミャルガリタ。ミャルレントの生みの母親で、この『大家族』の一番上のお母さんよ! 宜しくね!」
「あ、はい。宜しくお願いします」
何だろう、凄くグイグイくる人だな。ただ、そうされても嫌だったり強引な感じを受けなかったりするのは、やっぱり人柄なんだろうか? 僕が初対面の人に同じ事をしたら、絶対逃げられるだろうしね。
「そう、貴方がトール君か。本当に真っ黒なのね! それに何だか凄い迫力! 見た目は全然普通なのに、不思議よねぇ。不思議不思議!」
「え、えっと……」
「ほら、義姉さん。トールが困ってるから……」
「あらあら、ごめんなさい! アタシったらお喋りが大好きだから、お客様を困らせちゃって困ってるの。困らせるのに困っちゃうなんて不思議ね? そう思わない?」
「そう、ですね?」
「いや、本気で困ってるから……あー、いいやトール。気にしないで中に入れ。いいだろ義姉さん?」
「勿論勿論! 準備は万端! バッチリでキッチリよ! さぁどーぞトール君! レンー! トール君が来たわよー!」
「えっ、トールさん!? うわっ!?」
家の奥から聞き覚えのある声が聞こえて、それと同時にガシャンという何かが崩れる音がする。これは多分、聞かなかったことにした方が良い感じの音だ。
「ニ゛ャー!? お皿が!? それより破片が!?」
「全く、何やってるのよあの娘は全く……御免なさいねトール君。ちょこっとだけ娘のお手伝いをしてくるから、トール君は座ってゆっくり待っててね!」
そう言って、僕の返事を待たずにミャルガリタさんは家の奥へと小走りで去って行った。
ぷるるーん……
「うん、そうだね。何か凄い勢いのある人だったね……」
口を挟むどころか存在に触れられすらしなかったえっちゃんたちを軽く撫でる。悪意を持って無視していたとは到底思えないから、おそらく興味を持った対象しか目に入らない類いの人なんだろう。猪突猛進と書いて猫まっしぐらと読ませるような人だ。
若干あっけにとられた感は否めないまでも、ごく自然に中に入ったガラルドさんに続くようにして、僕もまたミャルレントさんの家の中へと足を踏み入れた。





