やめられないとまらない
「出来た……遂に出来たぞ……」
あれから1週間。僕の手の中には、太陽の如き果実が握られている。その赤さは中天に浮かぶ太陽よりも尚朱く、そのみずみずしさは空の青すら凌駕し、ヘタの緑ははるか遠方の森よりもなお深く……ああ、もういい? そうですか、うん。
とにかく、とても美味しいトマトが出来た。うん、シンプルに言っちゃえばそれだけだ。ここに至る工程としては、まずは畑を耕すのに3日。元々畑だった場所を再度耕し直すだけなので、これは単純作業だった。元から植わっていた苗木とかは威圧済みだっために『威圧の剣』でスパスパみじん切りにできたし、その後に『威圧の鍬』で地面を掘り返し、混ぜ込むことで、いい具合の肥料になってくれたと思いたい。筋肉痛はきつかったけど、先の見える作業だったから、何とかやり遂げることができた。
そして、種を植えて、実をつけるまで3日。これが精神的には一番きつかった。薬草類を植えた後トマトの種を蒔いたんだけど、「威圧することで成長を促進」ってことは、成長させ続けるには威圧し続けなくちゃいけないってことなんだよね。
ということで、畑に座り込んで日の出から日の入りまでぼーっと過ごし、時々『収束威圧』で種に威圧を集中するというのを、3日も繰り返した。漫画とかゲームとかがあるわけでもないし、畑に寝っ転がるわけにもいかなくて、本当にただじっと座っているというのは、本当に本当にきつかった。2日目の朝に芽が出た時は、嬉しくて踊り出しそうだった。その後はまだ成長していることが視覚情報で確認できるからマシだったけど、それでも本当に辛かった。
その反動で、遂に実がなった時はテンションがヤバかった。まるで自分の子供のように、丁寧に丁寧に威圧をかけて、そうして出来たトマトを採集したときは、涙が出た。泣きながら囓ったら、あまりの美味さにその場に崩れ落ちた。ああ、僕の努力は間違っていなかったと。僕はきっとこれを生み出すために異世界に来たんだと……まあすぐに冷静になった。以前にミャルレントさんに会った時も同じようなことを思ったりしたからね。
そんなこんなで、トマトは出来た。出来たからには、みんなにもこの感動を分けてあげたい。そして分かち合いたい。美味しい物を独り占めとか、そんな勿体ないことはできないのだ。ということで、まずは宿屋だ。宿屋の主人にこれを渡して、美味しい料理を作って貰わなければならない。宿泊客でもないのに、材料を渡してからその場で待つのは迷惑だしね。
僕は家に残されていた籠にトマトを山盛りのせ、宿屋へと行ってご主人に採れたてトマトを渡す。勿論、前回の野菜とは格どころか概念すら違うとまで言って渡した。実際一口食べたご主人が、見たことの無い顔になっていた。劇画調の頑固親父顔が、丸いぽわぽわが浮かぶ少女漫画みたいな顔になったと言えば、どのくらいの変化だったかわかってもらえるだろうか?
やはりこのトマトは素晴らしい。これならきっと美味しい料理が作って貰えるだろうし、ご主人も太鼓判を押してくれて、腕まくりしながらキッチンにダッシュしていった。
これで夕食の仕込みはOKだ。作るのは僕じゃないけど、材料を手渡すのだって立派な仕込みだろう。やることはやったので、次に向かう場所は、当然ミャルレントさんのところだ。
「いらっしゃいませ……って、トールさん!? 1週間もどうしてたんですか? いえ、冒険者の方ならそのくらい留守にするのは全然普通ですけど、でも事前の連絡とかも無かったですし……」
「ああ、すまない。これを作っていたんだ」
そう言って、僕は籠からトマトを手に取り、ミャルレントさんに渡す。
「以前に渡した野菜は依頼主が育てた物に私が手を加えた物だが、これは私が種から育てた物だ。是非今食べてみてくれ」
*関係者の心境:ミャルレントの場合
困った。1週間も顔を見せなかったトールさんが、突然やってきたと思ったら、トマトを差し入れされてしまった。今すぐ食べて欲しいというけど、流石に仕事中に食べる訳にはいかない。ここは一端断って、あとでみんなで……
「ちょっと、ミャー!?」
「ニャッ?」
リタに呼ばれて気づいた時には、アタシの口はトマトを囓っていた。え? 何で食べたの? いつの間に? 自分でも全然わからない。わからないけど、食べたってわかった瞬間、全身の毛がビリッとなった。お魚になったみたいに、お口の中が水でいっぱい。なのに、太陽みたいにホコホコする。甘くて、酸っぱくて、ニュルニュルだけどシャクシャクで、蕩けるような幸せが、スルンと喉に落ちて行く。
一口、一口、また一口。止めようと考えることすらできずに、気づいたらアタシはまるごと1個を食べきっていた。肉球の隙間についたお汁すら勿体なくて、一心不乱にペロペロしちゃう。一滴だって残さないほど綺麗に舐めきったところで、今自分がお仕事中だということを思い出せた。
恥ずかしい。恥ずかしすぎる。今すぐ事務机の下に隠れたい。きっとアタシの顔は、このトマトみたいに真っ赤になってると思う。ああ、でも、こんなに綺麗な赤だったら、トールさんに可愛いとか思われちゃうかニャ? 違う、そうじゃないニャ。おててペロペロとか、赤ちゃんのすることニャ。そんなのを人前でとか、お嫁にいけなくなっちゃうニャ。そしたら貰ってくれるかニャ? だから違うニャ! うううぅぅ……
「そんなに美味しそうに食べて貰えたら、頑張った甲斐があった。気に入って貰えたなら、また持ってこよう」
結局顔を上げられないままモジモジしてたアタシに、トールさんはそう言って帰って行った。机の上には、お裾分けされたトマトが10個ほど乗っている。ああ、見ているだけでもう1つ食べたく……痛っ!?
「何するのよリタ!?」
「うっさい。一人で食いやがって。今すぐよこせ、私にも神の恵みを分け与えろ! ハリーハリー!」
机の下で、リタがアタシをガンガン蹴っ飛ばして催促してくる。最初から独り占めなんてするつもりは無いから、リタだけでなく、職員みんなにトマトを配る。勿論、酒場のマスターにもお裾分け。こんな美味しいトマトが、更に美味しい料理になるかと思うと、今から尻尾がピコピコしちゃう。
「うっま! 何だこれ美味すぎるだろ馬鹿じゃねーの! 野菜の神どんだけだよ!? スーパー野菜神かよ! ヘタまで美味いとか頭おかしいんじゃねーの!?」
あ、リタ、ヘタまで食べたんだ……しかも美味しいんだ。何となく捨てずに机の上に置いていたヘタを、アタシもパクリ。うん、独特の苦みと歯ごたえ。これ単体だと微妙だけど、トマトの実と一緒に食べたら、良いアクセントになりそうな気がする。
「あー、マジで美味かったわ。さて、それじゃもう1個……何?」
まるで当たり前のように、アタシの机にあるトマトに向かって伸びてきたリタの手を、肉球部分でペシッと叩く。
「ミャーは、さっき食べたじゃない? なら、その余分な1個は、私のためにあるべきじゃない? 世界平和と私の美容のためにも」
「さっき食べたのはトールさんにお願いされたからなんだから、別枠に決まってるでしょ。この1個は、アタシの分。
……それ以上手を伸ばすなら、次は爪を立てるわよ?」
シャキンと、アタシは爪を出す。見つめ合うこと、数秒。
「……チッ。男の前で肉の塊をベロベロ舐る淫乱猫のくせに、性欲どころか食欲まで暴走させたら、トールさんに嫌われぶふぉあっ!?」
とりあえず、リタの顔面に猫パンチ。今までの友情に免じて爪は出さないでおいたけど、淫乱とか失礼しちゃう。アタシはれっきとした生娘ニャ。ああ、でも、食欲の方はどうだろう? こんな美味しいお野菜を差し入れされ続けたら、確かにちょっと太っちゃうかも……うぅ、美味しいは罪作りニャ。





