ありのままで
「あ…………」
目が合った。いや、合ったのは僕の目だけだ。僕はミャルレントさんの目を見ているけど、ミャルレントさんの目は僕ではなく、僕のお腹の上に広がっている本を見ている。
「は、は、ハレンチ! 破廉恥ニャ!」
「先日の事といい、やはり神も若い男でしたか……ふっ」
僕の目の前には、両手を頬に当てて……目には当てていないので、しっかり見ている……顔を真っ赤にして騒ぐミャルレントさんと、訳知り顔で薄い笑みを浮かべるリタさんがいる。
最悪だ。最悪のタイミングだった。というか何故このタイミング? いや、違う。違うぞトール。きっとこれは仕組まれている。誰に? あの糞親父にだよ!
「あ、あの! これは違うっていうか、その……」
「えっちニャ。えっちなのニャ……」
「落ち着きなさいミャー。男ならこの程度当然よ」
「と、当然!? 当然なのかニャ!?」
「そう、当然よ。いつだって熱いモノを滾らせているのが男って生き物なのよ」
「モノが滾ってるのかニャ!? うぅぅ、トールさんのモノが……」
「あの、本当に勘弁してください……」
目の前で繰り広げられる会話は、オークの棍棒なんて目じゃない威力だ。全てが致命傷であり、もしも体が自由に動いたなら、ガラルドさんより綺麗な土下座を披露していたことだろう。
「お楽しみ中失礼しました。思ったより元気そうで何よりです」
「えっと、その……げ、元気なのはいいことです、よ?」
「……ありがとうございます。お楽しみ中では断じてないので気にしないでください。あとこの本はガラルドさんが先ほど内容を告げずに置いていった物です」
「父ちゃん何やってるニャ!?」
ミャルレントさんの尻尾がぶわっと膨らんだ。うわ、こんな反応初めて見たよ。
「おや? ではトールさんはミャーの裸には興味が無いと?」
「い、いや!? そんなわけでは無くも無いことも無くも無いというか……」
「だそうよ。良かったわねミャー。トールさんも貴方の裸体に興味津々だって」
「ニャニャッ!?」
「いやいやいや!? そこまでは言ってないですよね!?」
「では、馬に蹴られて死ぬ気はないので、私は早々に退散します。2時間くらいは誰も近づかないように言っておきますので、どうぞごゆっくり」
「ぶふぉっ!? 痛ったっ!?」
思わず吹き出し、しかもその衝撃で痛みに声をあげてしまった僕を尻目に、リタさんが優雅な一礼をして部屋から出て行く。ちなみにミャルレントさんは「2時間?」と首を傾げていたので、多分意味がわからなかったはずだ。今更手遅れな感じはあるけど、これ以上空気が怪しくなるのが少しでも避けられるのは実に助かる。
「……………………」
「……………………」
とはいえ、多少悪化が防げた程度ではどうにもならないことというのはある。部屋に1脚しかない小さな椅子に腰掛けたミャルレントさんは、お見舞いとおぼしき籠に入ったリンゴをテーブルの上に置いて、そのリンゴもかくやとばかりに顔を赤くしたまま俯いている。
「あー、えっと……お見舞い、ありがとうございます」
「は、はいニャ。それは全然……というか、むしろ遅くなってしまって申し訳ないです。ミャリアを助けてくれたんですから、本当なら真っ先に駆けつけたかったんですけど……」
「ジェイクさんから話は聞いてます。事後処理で忙しかったんでしょう? お仕事は大丈夫なんですか?」
「あ、はい。そちらは何とか落ち着きました。トールさんがいつ目覚めてもいいように、必死に書類を片付けましたから」
「そうなんですか。ありがとうございます」
「いえ、そんな、とんでもないです」
「……………………」
「……………………」
うーん、間が持たない。決して嫌な沈黙とかではないんだけど、何となくそわそわして落ち着かない。何か、何か話題を……
「あー、そういえば。ミャルレントさんのすぐ前にガラルドさんが来てくれたんですよ。娘を助けてくれてありがとうって、真剣にお礼を言われました」
「そうなんですか。父は情に厚い人ですから、ミャリアを自分で助けに行けなかったことを凄く悔いていましたから……私からも改めてお礼を言います。ありがとうございました」
「いえ、それはもう十分貰いましたから。まあ、ガラルドさんのお礼はこの本みたいですけど」
「それは……全くあの父ちゃんは何をやってるニャ! ウチに帰ったらひっかいてやるのニャ!」
「ふふふっ……それがミャルレントさんの素なんですか?」
「え? あっ!? その……そんな感じ、です……は、恥ずかしい…………」
さっきと違って、今度はちゃんと目に手を当てて顔を隠すミャルレントさん。その仕草が凄く可愛くて僕は思わず笑ってしまう。
「も、もうっ! 笑わないでください! というか、トールさんの喋り方もいつもと違うような……?」
「あっ!?」
ヤバイ。今気づいたけど、会った時の状況が状況だったから、今日はずっと素で喋ってた……いや、これもいい機会か。
「僕もこれが素なんです。普段はこう……体から出ている気配に合わせたというか、最初に侮られないようにとそう喋っちゃったので、引っ込みが付かなくなったというか……」
正直照れくさいけど、それを言ったくらいで幻滅されるほど浅い関係であったとは思いたくない。そしてそれは間違いなかったようで、ミャルレントさんが柔らかく笑う。
「そうなんですか。確かに初めて会った時の怖い感じで『僕』なんて言われたら、対応に困ってしまったかも知れませんね」
「でしょう?」
二人で顔を合わせて、静かに笑い合う。今まで背負っていた必要の無いしがらみをやっと下ろせたことで、僕の心はスッと軽くなった。
「あの、もし良かったら、私の前では普通に話してくれても良いんですよ? ……いえ、普通に話してくれると、嬉しいです……」
「……わかりました。じゃ、ミャルレントさんも普通に話してくれますか?」
「はい。流石にお仕事中は駄目ですけど……その、二人きりの時だけなら……」
「……わかりました。じゃ、これは二人きりの時の秘密ですね」
「はい。アタシとトールさんの、二人だけの秘密です」
尻尾をユラユラさせながら口に手を当てそう言うミャルレントさんが、溜まらなく可愛い。ああ、抱きしめたい。このまま流れでいい感じにチューとかしたい。童貞全開の発想の飛躍だと笑われるんだろうけど、実際そうなんだから仕方ない。
「……あの、トールさん?」
「は、はいっ!?」
不埒な妄想をしているときに声をかけられて、思わず声が裏返ってしまった。でも、そんな僕を笑うでも無く、ミャルレントさんがチラチラと視線を横に這わせている。そこにあるのは――
「あの……こういう本みたいなことって、やっぱり興味があるんですか?」
「ふぁっ!? い、いやその、あの、あれですよ。無くも無いというか……その……ちょ、ちょっとだけあります……」
嘘だ。凄いある。何なら興味全開だ。でもそれを言わない程度の理性は残っている。なのにそんな僕のなけなしの理性を吹き飛ばすように、ミャルレントさんの尻尾がユラユラと揺れている。
「その、本格的なのは、やっぱり結婚してからじゃないと駄目だと思うんですけど……でもその、男の人が寝たきりだと、大変なんですよね?」
「うぇぇ? それは、えっと……」
だ、誰だ? 誰がミャルレントさんにそんな事を吹き込んだんだ? リタさんか? それともあの万年発情親父か?
「だから、その……最後まではできないですけど……ちょっとくらいなら、お手伝いしましょう……か……?」
ミャルレントさんの潤んだ瞳が、チラチラと僕とエロ本を行き来している。だがその視線の行く先が、僕の方は固定なのにもう片方が本じゃなくて段々と下半身の方に近づいているような……
「はぁ!? ひぁ、その、ひゃの……はふぅ…………」
大量に血を流した後なのに、激しく興奮しすぎたからなのだろうか? 僕の視界が比喩じゃなくグルグルと回り始めて……
「ちょ、トールさん!?」
ぷるるーん!?
じっと成り行きを見守ってくれていたえっちゃんと、ミャルレントさんの僕を呼ぶ声を聞きながら、僕の意識はあっさりと暗闇に落ちてしまった。





