エピローグ
「⋯⋯⋯⋯」
窓の外をぼうっと眺める。見慣れた街、見慣れた空。見飽きたほど見た風景を噛み締めて、俺はゆっくりと席を立つ。
高校の教室、その窓際の席。隣の席は、今日は空だ。
「何見てんの?」
「いや、別に。見慣れた風景も、よく見ると見た事ない風景に見えるなーってさ」
少し離れた席でスマホを弄っていた海千流が、俺の動作を追うようにして立ち上がる。
「帰るか」
「うん、帰ろ帰ろ」
校舎を背に、駅に向かって歩く。隣を歩く海千流は、じっと俺を見つめたまま黙っている。
「どうしたみっちゃん」
「いや、話したい事って何かなって」
「⋯⋯ああ、それか」
ライヴの転移魔法。その行き先は、なんと授業中の教室のド真ん中だった。それだけで十分大事件な事だったのだが、それ以上に行方不明だった俺が突然現れたのだから教室は一時騒然となった。俺がイギリスに行ってから、こちらでの俺は行方不明扱いとなって大変だったらしい。実際、いろんな人に迷惑をかけてしまった。
だが、その原因に魔法が絡むなんて話してしまってはたちまち頭を疑われ病院送りにされてしまうのがオチだ。それに、魔女狩り達に知られてもまずい。だから俺は、行方不明の間の記憶は無く神隠しにでもあったのだろうと嘘をついて有耶無耶にしておいた。そしてその翌日、唯一魔法を知ってる海千流にだけ真実を伝えようと放課後に時間を作ったという訳だ。
そして今に至る。
「笑わないで聞いてくれ。俺やみっちゃんが使ったあの力。あれは魔法なんだ。一人一人が持つ、様々な力。昔話なんかに出てくる魔女立ちと同じ、本物の魔法だ」
「へ、へぇー。凄いね、それ」
「信じるのか?」
「まぁ、実際私も使ったしね。信じるよ。それで?」
意外とあっさり魔法の存在は認めた海千流は、俺に話の続きを促す。
「⋯⋯小夜が、魔法使いだったんだ。それで俺は、小夜達魔法使いの本拠地に行ってきた。それからは色々あって、結局昨日帰ってきた。俺が行方不明だったのは、本拠地であるイギリスに行ってたからなんだよ」
「その色々ってのは、多分小夜ちゃんの事なんだよね」
「⋯⋯そうだ」
「んー? 濁してるってことは、何かあったのかな?」
「まぁ、な。そこは俺の勝手な判断で話していいものか分からないから、聞かないでくれ」
「はいはい。でも、大体はもうわかったよ」
海千流は一人で納得した顔になった。驚いて海千流の顔を見つめ返すと、海千流は笑いながら当然の様な口振りで続きを話す。
「顔つきが変わったもの」
「変わった?」
「うん、男の子の顔になった。いいなぁ、小夜ちゃん。さっちゃんのこんな顔を見れるなんて羨ましい」
「はぁ⋯⋯男の子ねぇ」
ぺたぺたと顔を触ってみるが、特に変わったところは無い。海千流は変わったと言ったが、俺には何が変わったのかは分からなかった。いつも見ている自分なのに、こんなにも遠い存在とは思わなんだ。
「男の子って、いつの間にか遠くに行っちゃうんだもの。子供だな、と思っていたらいつの間にかとっくに抜かされてる」
「昔はみっちゃんの方が背高かったしな。まぁ、俺が小さめだったってのもあるけど」
「うん。いつの間にか遠くに行ってしまいそうで、ちょっとだけ怖かった。だからあの時、さっちゃんを行かせないようにしたいって思っちゃった。だから、あんな事になって⋯⋯」
海千流はそこで言葉を詰まらせ俯く。もしここで、少し前の俺なら何と言葉をかけていただろうか。もしかすると、海千流から距離をとってしまう選択を選んだかもしれない。けれども、俺は知った。誰かに思われる事、誰かを思って傷つく事。それがどれほど大切な事かを。
だから、俺は何も咎めない。海千流はずっと海千流のままだ。
「気にするな。俺はそれぐらいで、みっちゃんを嫌いになんかならないよ」
「さっちゃん⋯⋯」
「みっちゃんの告白には応えられないけど、俺はみっちゃんの事は好きだ。昔からずっと。だから、遠くには行かないさ」
「⋯⋯うん」
海千流は空を仰ぐ。その横顔が、ずっと見て来た海千流であってホッとした。もう、あんな顔はさせたくないから。
「さて、振られちゃった訳だし私はもう少し遊んで帰ろうかな」
「一人でか?」
「まあね。それで、夜になったら皆に『さっちゃんに振られちゃった』って言って慰めてもらう」
交差点に差し掛かる。遊んで帰る、と言う事は駅とは別方向に行くつもりだろう。ここで海千流とはお別れだ。
「じゃあね。また明日」
「じゃあな。また明日」
バイバイ、と手を振って別れる。遠のいて行く海千流の背中が見えなくなるまで、俺はその場に立ち止まっていた。
「みっちゃん、ごめんな。俺はきっと──」
そよ風が頬を撫でる。はっと我に返り、再び駅に向かって歩き始める。
「⋯⋯赤いな」
夕焼けが、世界を染め上げる。乗り込んだ電車の窓から、俺はずっと空を眺めていた。綺麗な、本当に綺麗な夕日だ。もし世界が終わるなら、最後はこんな風になるのだろうか。ふと、そんな突拍子もない事を考え苦笑する。気づいてはいないが、意外と感傷的になっているのかもしれない。
「あ⋯⋯⋯⋯」
その夕焼けを背に、彼女は立っていた。旅行者の持つような大きなキャリーケースを片手に、そわそわと何かを待つように立っていた。
胸が高鳴る。数日振りに会ったと言うのに、もう何年も会わなかったような寂寥感が溢れ出した。
「小夜」
「あ、真!」
夕焼けのせいか、彼女の瞳はいつもに増して青く輝いて見える。
「いらっしゃい。今夜はご馳走だよ」
「やったぁ!」
ぱぁっと小夜の顔が輝く。この笑顔だ。彼女の笑顔が、俺にとっては魔法よりも不思議な力をくれる。
これから、何があるだろう。例え何があろうと、俺は彼女の為に戦ってやる。例え魔法が無くても、例えこの身が砕けようとも、俺は彼女の為に戦う。それが、俺の願いだ。
「なぁ、小夜」
「ん、何?」
「あのさ───いや、何でもないや」
喉まででかかった何かを飲み込んだ。俺はいつか、伝える事が出来るだろか?
再び突拍子の無い事を考え、俺と小夜は夕日の中をゆっくりと歩き始めた。




