かくも悲しきメイドかな
「⋯⋯ふぅ」
扉の前に立ち、大きな深呼吸を一つ。酸素を体の末端までしっかりと巡らせる。張り詰めた糸一本、引き絞られた弓の弦の様な雰囲気。
この先には、ベルと小夜の親父さんがいる。今の俺の立場からすれば、この扉の向こうは敵地の真っ只中だ。敵地と言っても入るなり戦うような物騒な事にはならないが、だからと言って友人の部屋に行くような気軽さにもなれそうにもない。
「大丈夫ですか? あまり体調が優れないようでしたら、また後ほどご案内いたしますが」
「大丈夫大丈夫。悪いな、わざわざ」
「お気になさらず。貴方は大切なお客様なのですから」
そう言って優雅に微笑む、メイド服に身を包んだ女性。俺がベル達の居場所を聞くと、親切に案内してくれたのだ。
ちなみになぜこのメイドさんに声をかけたかと言うと、屋敷をウロウロしていたら物凄い不審な目で物陰から俺を見てきたからだ。そりゃあ自分の屋敷に知らない人間がいれば誰だって不審がる。
「ってちょっと待て。さっきはまるで俺を初めて見るような目だったんだけど、俺メイドさんと結構最初に会わなかったっけ?」
「えぇ、つい先程貴方様をご案内してる途中に思い出しました。申し訳ありません、どうも雰囲気が違っていたもので」
「雰囲気がねぇ⋯⋯」
男子三日会わざればと言うヤツだろうか。そう言えば日本人から見た外国人が見分けづらい様に、外国人からすれば日本人もまた見分けづらいと言うのをどこかで聞いたことがある。それもあるのかもしれない。
「そう言えば、メイドさんは俺を避けないんだな」
「なぜ避ける必要などあるのですか?」
「いや⋯⋯ほら、敵だし」
メイドさんから見れば、俺は仕える家の敵である。だから必然的にそれは、敵なのではと思ったのだが。そしてその理論でいくならば、他の魔法使い同様に無視するかあるいは真正面から敵意や悪意をぶつけるのが妥当なところだ。
しかしこのメイドさんは、まるで気にしてないかの様な振る舞いで俺に接してくれている。それが俺には不思議なところだった。
「たとえ敵であろうとも、貴方様は大事なお客様です。きちんと御主人様が迎えられたのならば、わたくしはメイドの名に恥じぬように尽くすのみです。招かれざる者に対しては、容赦は致しませんけどね」
ふふふ、と口元に手を当てて笑うメイドさん。仕草一つとっても、気品溢れる凄いメイドさんだ。
「メイドの鑑や。おがんでおこう、ナムナム」
「あのー」
「うむ、やはり人は神よりメイドを拝むべきだ」
「あの⋯⋯」
「あぁ、俺も呼び出すならメイドさんみたいなお淑やかなアニマが良かった」
「オイコラクソご主人野郎様」
「げ」
つい漏れた本音を聞きつけて、魔法陣の中に潜んでいたサリィが現れた。どうやら魔力化していても外の会話は聞こえるようだ。
「別にお前が嫌って訳じゃないぞ」
「てことは好き?」
「ライクの方のな」
「ダメ、ラブの方じゃないと許さない」
「なんでだよ!」
「あらあら、随分と可愛らしいやり取りですね」
「メイドさん、違うぞ?!」
「ご主人様、恥ずかしがらなくてもいいんです。ワタクシ達が愛し合ってる事など、一目見れば分かるのですから」
「ねーよ」
どこをどう変換したらそうなるのだろうか。一度サリィの頭の中を覗いて見たい気もするが、果たしてその時は無事でいられるのか不安になるので止めておく事にする。深淵を覗く時は深淵に覗かれるのだ。
「ふふ、まるで御主人様と蒼夜様がお付き合いしてすぐの頃を見てるようですわ」
「おいメイドさんまで⋯⋯へ? いや待って、色々待って」
メイドさんから予想外の発言が飛んできた。予想外過ぎてどこから整理したらいいものか分からなくなっているが、とりあえず落ち着いて整理しようと思う。
まず彼女の御主人様についてだ。この屋敷を統治するのは恐らく小夜の親父さんである事は間違い無いはず。よって、このメイドさんの発言の人物は小夜の両親のイチャラブ期の事だろう。だが、それではあまりにも腑に落ちない。
「失礼だがメイドさん、あんた何歳なんだ? 見た感じだと俺より少し上に見えるけど」
「それはお客様でもお答えできませんね。ですが、少なくとも貴方様の倍程は生きているかと」
「な⋯⋯」
「なるほど、分かりました」
あまりの衝撃の事実に呆気に取られる。しかしサリィは俺とは対象的に、どこか納得した表情でメイドさんを見つめていた。
「なぁサリィ、お前何か幻覚作用のある魔法とかかけただろ」
「違いますよご主人様。このメイドさんは、ただのメイドさんでは無いと言うわけです」
「ふふふ、気づいてしまわれましたか。ならば仕方ありませんね」
「まさか!」
人の理から外れた存在。歳をとらない体。サリィが真っ先に気づいた物。このメイドさんの正体は───小夜の親父さんに取り憑いた死神か吸血鬼かサキュバス!
「わたくしは青原アルクリア様に仕えるメイドにしてアニマ、シャルローナでございます」
「───え?」
え?
「どうかなされましたか?」
「いや、なんと言うか。サリィ、お前は?」
「ももももちろん、気づいてましたよ」
これは絶対ももももちろん気づいてなかったヤツだ。というか誰が予想できただろうか。まさか魔法使い達を纏める役職のお偉いさんが、メイドさん好きだったなんて!
願わくば、こんな形で知りたくはなかったが。こんな状況でなければ、俺達はきっと争うことなんて無かったハズなのに。運命とは残酷なモノだ。
「小夜、君の親父さんとはもっと別の場所で知り合いたかったよ⋯⋯」
俺はそっと、敵対してしまった同胞の為に心の中で涙を流したのだった。




