サマーライン・オーバー
最後の授業の終わりと同時に、課題最後の問を解き終わる。集中していた分、どっと疲れが出てくる。
大きく伸びをして、ポキポキと指を鳴らす。
「さっちゃん課題終わったん?」
「何とかな。そういや聞き忘れてたんだけど、テストって明日から?」
「テストの日すら知らないって、ホントにやばいよそれ」
「あんなもん覚えとくなんて、脳味噌の容量の無駄だわ」
「明後日からテスト。三日やったら休日挟んで、再来週から夏休み」
「サンキュ。あー、夏休み遠いなー」
「言っても来週なんて体育祭で終わるじゃん」
「そう言えば体育祭があったな⋯⋯こんなクソ暑い時期に体育祭なんて馬鹿なんじゃないのか」
何でもテストの鬱憤晴らしのためにうちの学校はこのタイミングで体育祭をやるらしい。夏休み前とテスト明けが相まって、かなり生徒達のやる気は高まっている。
「さっちゃん今から暇?」
「いや、ちょっと用事。先に帰ってて」
「はーい」
荷物を置いて教室を後にする。向かうのは一年生の教室だ。雪舟はいるだろうか?
「あ、先輩!」
丁度よく教室から雪舟がひょっこりと顔を出す。揺れるポニーテールが眩しい。
「悪いな呼び出しちまって。今大丈夫か?」
「大丈夫です。ここで話すのも何なんで、屋上でも行きませんか?」
「そうだな」
雪舟と並んで、帰る人達の流れに逆らうように歩いて行く。心無しか、階段を上る足が重い。
屋上に人影はない。フェンスに二人で寄りかかって座ると、涼しい風が頬をかすめる。遠くから蝉の音が聞こえる。夏だな。
「そう言えば先輩、昨日はあの後も街の方にいたんですか?」
「夕暮れまでいたな」
「じゃあ見ました? あの辺で昨日、空飛ぶ人影が見えたって噂になってるんですよ」
「マジでー? 見てなかったわ、クソー。見たかったなぁ、鳥人間」
予想だにしない角度から心臓を握り潰され、俺はひっそりと冷や汗をたらした。
バレないはずだ。西日で大して見えないだろうし、何より高かった。地上から見たくらいじゃ、誰かなんて分かるはずもない。
「ビルの屋上の扉が壊されてたって話も出てましたし、本当に宇宙人でも来てたんですかね」
「そうだな。普通の人間じゃ空飛んだり扉を凹ませたりしないもんな」
普通の人間なら、な。あまりにも噂が真実に近すぎて、心臓が一向に収まってくれない。
「そういや雪舟、夏合宿がズレたから祭りの日に行けるらしいな!」
「そ、そうですね! てっきりお祭りいけないとおもって、まだ誰とも行く約束してないんですよ! ど、どうしましょう!?」
「どど、どうしようか?!」
とりあえず話題を逸らそうとしたら、本題に入ってしまった。テンパる二人は、上ずった声で喋った後黙りこくってしまった。
そのまま時間だけが過ぎていく。夏の音が、そこらじゅうで響くのが聞こえる。蝉、風鈴、波の音。本当は無いのに、この暑さが音を思い出させる。
「ふぅ⋯⋯」
「はぁ⋯⋯」
二人の間にあるのは、僅かばかりの呼吸音と鼓動。先に静寂を破ったのは、雪舟だった。
「先輩、それで⋯⋯お話ってなんですか?」
「う、うん。話ってのはだな⋯⋯その、まぁ、なんだ」
口が動かない。喉が震えない。声って、言葉ってどう出すんだっけ。
頑張れ黒峯真。流石にお前はここで引くほど腰抜けじゃないだろ?!
「俺と⋯⋯俺と、」
砂漠のように乾いた喉を必死に動かす。雪舟の目を、ひたすらに見つめ続ける。麻痺したように鈍い舌が、ゆっくりと動いた。
「俺と夏祭り、一緒に行かないか?」
「先輩⋯⋯」
雪舟はもたれかかったフェンスから背を離して、顔を上げる。その顔は、何故か泣きそうになっていた。
「⋯⋯はい、喜んでお受けします」
「⋯⋯⋯⋯はは」
───チクショウ。もう夏は飽和状態だ。
ラムネの爽やかさも、向日葵の朗らかさも、花火の美しさも、海の輝きも、空の澄んだ空気でさえ、雪舟の顔の前には霞んじまうんだからさ。




