第6話 魔力の無い青年
アリサとトーヤを乗せたビーグルは、木々の間を通り抜けて行く。
しばらくすると、少し開けた場所が見えて来た。
ビーグルは甲高いブレーキ音を響かせ、地面をえぐりながら停止した。
「着きましたわ、兄様。」
振り向いたアリサは、しっかりと腰に手を回し、しがみつく兄に向かって明るく言った。
アリサの弾んだ声と、体感していた圧倒的なスピードと振動が止んだ事が合図となり、トーヤはぎゅっと強く瞑っていた目を開けた。
大きく深呼吸をする。
「死ぬかと思った」
息も切れ切れ、トーヤは言った。
「大袈裟ですわ、兄様。」
アリサはクスクスと、小鳥のさえずりのような笑い声を上げる。
「何度も言っているが、お前、本当、スピード、出し過ぎだ。振り落とされるかと思ったぞ。」
アリサの体から手を離し、息を整えながら、トーヤは言った。
「ビーグルには魔法をかけているので、兄様を振り落としたりは絶対にありません。」
アリサはきっぱり言い放つ。
それを聞いたトーヤは、少し悲しげで、寂しそうな何とも言葉にしずらい表情を浮かべ、少し、間を空けてから、笑顔を作った。
「ーーありがとう、アリサ。おかげで、助かったよ」
トーヤにお礼と感謝の言葉を述べられたアリサは、やけに素直なトーヤに一瞬、面食らったが、直ぐに笑顔を浮かべる。
「気になさる必要はありませんわ。わたくし、兄様とドライブがしたかっただけですもの。そうだわ!今度、わたくしのビーグルで海にでも行きましょう!お弁当、作りますわ!」
楽しげに語るアリサには悪いが、トーヤはアリサの運転するビーグルには出来るだけ乗りたく無いと、いつも思っていた。
他の乗り物の運転はそうでも無いのだか、何故か、ビーグルを運転すると、スピード狂になる為だ。
安全の為、全ての乗り物には、事故防止の魔法や安全装置が付けられている上に、投げ出された時の為に浮遊魔法をかけられている。
それでも心配な場合は、個人で事故防止の魔法をかける事も可能だ。
アリサも自分のビーグルには、いくつも事故防止の魔法をかけている。
そのせいもあってか、ついスピードを出し過ぎてしまうらしい。
しかし、それよりもーー
(怯えて、わたくしに、しがみつく兄様ーー。くぅー、かわいい!)
アリサの心は、恐怖で飼い主に、縋り付く仔犬の様な幼気な姿に心が悶えていた。
そんなアリサの心情を知る由も無いトーヤは、さっさと、ビーグルから降り、辺りをキョロキョロと、見回している。
「先生、見当たら無いな」
トーヤがぽつりと、独り言をもらす。
ーー今、トーヤとアリサは深緑の木々や植物が鬱蒼と生い茂る森の中にいる。
地面には分厚い絨毯のような苔が生え、森、独特の木々や土の匂いに満ちている。
見渡す限りの緑と茶色の世界。
世界はその二つの色のみで、構築されているのでは無いかと、錯覚する程の荘厳さだ。
「ーー先生は遺跡の中か……」
また独り言を呟く。
「そう思いますわ。兄様。先生は古代文明の事しか、頭に無い人ですから」
独り言にアリサが返事を返す。
その声は感心しているのかの様な、はたまた、呆れた様な何とも言え無い複雑な感情が籠っていた。
「行くぞ」
トーヤはアリサに告げ、歩き出す。
トーヤの言葉を聞いたアリサは嬉しそうに微笑みを浮かべ、兄に続く。
二人は木の根や苔に足を取られ無い様、注意しながら、進んで行く。
(ーー妙だな)
トーヤは周囲に、目を配らせながら思った。
いつもなら、鳥や獣の鳴き声が遠くの方から、聞こえて来るはずなのだが、今日は全く聞こえてこない。
森の中は昼間だというのに、とても静かだ。
妙な不安を抱いたトーヤは警戒心を強めた。
その時だった。
突然、ブチッ、という音と共に急に腰の辺りが軽くなった。
慌てて見てみると、小さな緑色の獣がポーチをベルトから引き千切り、地面に着地した所だった。
トーヤは捕まえようと、手を伸ばしたが、スルリと、かわし、逃げて行く。
「待て!」
トーヤは反射的にそう叫び、獣を追いかける。
「兄様!」
アリサの呼び止める声が聞こえたが、足を止めず、獣を追う。
獣は五本の長い尻尾でしっかりと、ポーチを掴んで走っている。
全身をふわふわとした柔らかそうな緑色の毛に、覆われたその獣は尖った短い耳、短い手足、潤んだ黒い瞳、何よりも、独特的な五本の尻尾。
トーヤも何度か、見かけた事がある動物、グリーンフォックスリスだ。
本来、グリーンフォックスリスは群れで行動する臆病な動物だ。一匹で行動するのは珍しい。
トーヤは見失わない様、見慣れたポーチを目印にグリーンフォックスリス追い続ける。
ポーチが重い所為なのか、通常よりも動きが遅い。
そのおかけで、すばしっこい動物であるはずのグリーンフォックスリスの動きにも、何とかついて行く事が出来た。トーヤはグリーンフォックスリスを追い続ける。