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第0話 誰も知らない話 (4)

  男は目を閉じると、ベッドに倒れ込むように突っ伏す。

  柔らかい布団が口と鼻を塞ぎ、ほんの少しだけ息苦しくなる。

  胸が痛い……苦しい……切ない。

  ーーあの人に逢いたい。

  何もかも、嫌になる。嫌な事ばかりだ。

 

「寂しい……」


  男が独り言を呟く。

  勿論、誰もいない。


  ーー結局、何も出来なかった。


  あの人のおかげで、生きる喜びと悲しみを知った。

  だが、あの人に会わなければ、こんな苦しい思いをする必要も無かっただろうに……。

  誰にもぶつけられない怒りと、自分の不甲斐無さ、あの人への羨望に渇望。

  男の心中は、いつもそんな思いに苛まれていた。ゆっくり息を吸い、吐く。暗くシンと静まり返った部屋のせいか、心臓の鼓動がやけに大きく感じる。


  ーー何も考え無い。


  心を落ち着かせようと、一定のリズムでゆっくりと、深呼吸を繰り返す。

  そうしているうちに、いつの間か、眠りに落ちていった。


 * * *


  男が目を覚ました時は、もう昼過ぎだった。体が重い。せっかくの休日だ。このまま、ダラダラとベッドの中で過ごすのも、たまには、いいだろう……。

  男は寝返りをうち、仰向けになる。

  すると、きちんと閉めていなかったカーテンの隙間から、日の光が漏れ、顔を照らす。思わず、眩しさに顔をしかめた。不快感に苛まれ、ベッドから上半身を起こし、不機嫌そうな顔でカーテンを乱暴に開ける。太陽の光が部屋の中に降り注ぐ。

  男は相変わらず顔をしかめ、不機嫌そうだ。その表情を少しも崩さず、仏頂面のまま、ベッドから起き上がり洗面所に向かう。

  顔を洗おうと、洗面台の前に立つ。

  鏡に映った自分の顔に苦笑する。

  ひどい顔だ。血の気が失せた青白い顔、虚ろな目の下には濃いくまがくっきりと浮かんでいる。


  (あの人はこんな自分を見たらなんて言うのだろうか……)


  優しいあの人の事だから、きっと心配してくれるのだろう。体たらくな自分を見て、怒るかもしれない。

  もしかしたら、失望して、嫌われるかもーー。

  堪らず、蛇口を捻り、勢いよく水を出す。そして、そんな思いを振り払うが如く、豪快に顔を洗う。壁や床に水が飛び散るが、男は気にもとめず顔を洗い続ける。

  何度も顔を洗い、ようやく気がすんだ男はタオルで顔を乱暴に拭くと、身支度を整える。

  白いシャツに黒いズボンという何の変哲も無い服に着替えた。

  部屋に戻り、またベッドに寝転ぶ。

  ぼんやり、天井を眺めていると、電話が鳴る。

  あぁ、面倒くさいなぁ。と、男は思った。

  出たくは無いが、仕事の電話かも知れない。それなら、多少、面倒でも出なくてはならない。

  男は重い腰を上げ、電話を取りに向かう。

  カバンの中から電話を取ると、画面に表示されている名前を確認する。

  思わず、顔をしかめた。

  そのまま、電話の電源を落とし、カバンの中に放り込むとベッドに戻り、寝転んだ。

  目を閉じ、また考える。


  (あの時、退いていれば……無理矢理でも撤退するべきだったんだ。そうすれば、きっと……)


  何度、思った事か……。何度も思った事だ……。

  男は妄執に囚われ、そこから逃げ出せずにいた。

  いや、逃げ出すつもりなど、始めからないのかも知れない。

  只々、自責の念に身を焦がしてだけなのだろう。

  思いだけが巡る。

 


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