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第0話 誰も知らない話 (3)

 

  「それで、どう思います?先生!」


  爛々と輝く大きな瞳が男の瞳を覗き込む。顔が近い。後、三センチ程で、おでこが付いてしまう程の距離だ。男はまだ子どもだと思いつつも、ついどぎまぎしてしまう。

  まして、彼女は自分の教え子であり、恩師の娘であり、優秀な助手だ。

  ーーそう、子どもという者は、いつも大人を困らせて遊ぶ。

  男はそんな事を思いつつ、ゆっくりとした動作で助手の額に指を添える。

  助手は恥ずかしそうに頬を染めた。

  中指で優しく額を撫でると、そっと指を放す。助手の潤んだ瞳はトロンと蕩け、額から離れる指を物欲しそうに追う。

  男は優しく微笑むと、助手の額の前で、親指と中指で輪を作り、中指を軽く弾く。

  つまりはデコピンだ。男は彼女のおでこにデコピンをしたのだ。


  「イタッ!何するんですか!」


  助手は額を指で撫でながら言った。


  「大人をからかうからだ。君がそんな風だから恋人とケンカになるんだろう。軽率な行為は身を滅ぼす事になるぞ」


  男は助手から目線を外し、窓の外を眺める。夕日に照らされた艶の良い緑色の芝生が実に美しい。


  「先生!先生!」


  ボンヤリ眺めていると、助手の甲高い声が男を現実に引き戻す。

  男が目線の戻すと、助手は見事なふくれっ面が浮かべていた。

  子どもの頃から、変わらないその仕草に男が思わず、吹き出してしまう。


  「何、笑ってるんですか!」


  「いや、ルルナ君は変わらないな、と思ってさ」


  男は嬉しそうに笑いながら言った。


  「それって、どういう意味ですか!」


  ルルナが益々、頬を膨らます。


  「可愛いって事」


  「なッ!」


  また何か嫌みの一つ言われるだろうと、身構えていたルルナは男の予想外の言葉に不意を突かれたらしく、まさに鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。

  あたふたするルルナを男は只々、可笑しそうに笑う。

  そんな男を見ているうちにルルナは段々と、腹が立って来た。


  「……せんせー、サイテー」


  腹の底からドスの利いた声を発する。普段の声が甲高いからこそ、こういう時、凄味がある。その上、物凄く、もの言いたげな目をしている。

  男はまだ笑っていたが、助手の抗議に応え、笑うのを止めた。


  「全くもって、その通りだな」


  そう言い、ルルナに向かって微笑んだ。

  肯定した言葉と無邪気な笑顔にルルナは、一瞬、気を緩めてしまう。だが、すぐに険しい顔をし、男に自分を不満を訴える。


  「許しません!罰として私を家まで送って行って下さい!」


  拗ねた子どものような口調で、ルルナは男に言った。

  男が口を開こうとした時だった。

  扉をノックする音が響いた。


  「どうぞ」


  男が反射的に応える。男には誰がやって来たのか、分かっていたからだ。

  ルルナが少しだけ、ムッとした表情を浮かべる。

  ゆっくりと扉が開く。

  男と同じくらいの年齢の女性がそこには立っていた。

  女性は「あら、お邪魔だったかしら」と、言うと、楽しそうにクスクス笑った。


  「いや、寧ろ、助かった」


  「なッ!」


  男の容赦無い言葉にルルナは思わず、言葉を失う。

  女性は嬉しそうにクスクス笑う。喉を鳴らして甘える子猫のように愛らしいその姿はどころか上品で気品があった。

  ルルナは、なんだか気恥ずかしくなってしまい、仄かに顔を赤らめる。


  「二人は本当に仲がいいのね」


  女性が微笑む。


  「まぁ、子どもの頃から知ってるからな。妹みたいなものだ」


  男が何気無い感じで言った。


  「あら、私の事だって、子どもの頃から知ってるじゃない」


  「それは幼馴染みだからだろう。そういうのとは違うだろうが」


  「そういうのとは、どういうのかしら。私と貴方の仲なのに」


  「それこそ、どういう仲なんだよ。ただの幼馴染みだろう」


  「まぁ、そういう事にしておくわ」


  「そうも、こうも、無いだろう。本当にただの幼馴染みなだけなんだからな」


  男が呆れたように言った。女性は相変わらず、嬉しそうに笑っている。

  そんな二人のやり取りをルルナはマジマジと見つめている。特に女性の方を凝視していた。絹糸のように美しいピンクブロンドの長い髪に、滑らかな白い肌、スラリと長い手足に、人形のように整った顔ーー。

  いつ見てもお姫様みたいな人だと、ルルナは思った。ふと、気がつく。先生と話す女性は楽しげだか、どことなく、瞳に憂いを含んでいるように見えた。何故だか、ルルナの胸を締め付け、切なくなる。


  「キサラさんも大変ね。この人の助手なんて……」


  女性がわざとらしく、大袈裟に嘆いてみせた。その姿に嫌味は無く、実に可愛らしかった。ボーッと見惚れていたルルナは、すぐに返事が出来き無かった。だが、すぐにハッと我に返る。


  「いえ!いえ!慣れてますから!全然、平気です!」


  ルルナは首をぶんぶんと、横に振りながら答えた。


  「二人共、酷くないか」


  男が不満気に言った。


  「だって、ホントの事だものね~。ルルナちゃん」


  女性がルルナに向かって、茶目っ気たっぷりに言った。

  いきなり、名前をちゃん付けで呼ばれたルルナは顔を赤らめる。

  そして、チラリと、男に目を向けると、すぐに女性に視線を戻した。


  「ーー先生は確かに困った人ですが、いい所もあるので……」


  今度は女性から視線を逸らし、しどろもどろになりながら、そう答えた。

  ルルナの言葉に女性は目をパチクリさせる。そして、嬉しそうにフフッと笑った。


  「そうね。ルルナちゃんは良くこの人を見ているのね。ーー本当に優しい子」


  女性が優しく微笑む。

  少し戸惑っていたルルナだったが、やがて、はにかんだ笑顔を浮かべた。


  「二人共、言いたい放題だな」


  男が不服そうにそう言うと、後ろにある壁にもたれ、不貞腐れたように顔を背けた。

  その時、機械音が大音量で鳴り響いた。

  ルルナが大慌てでカバンの中から魔法機を取り出し、スイッチを切った。


  「すみません……」


  申し訳なさそうにルルナが消えそうな位小さな声で言った。


  「いいのよ。気にしないで」


  女性が微笑む。


  「ーー今の彼氏、なんじゃないか?」


  男がルルナに尋ねると、図星だったらしく、苦い顔をした。


  「まぁ、そうですね……」


  「連絡しなよ」


  「えっ、でも……」


  ルルナがチラリと女性に目をやる。

  その視線に気づいた女性がニコリと微笑む。


  「私に気を使わなくてもいいわ、ルルナさん。ーー大切な人ならキチンと言葉にして伝えないと、後悔するかもしれないわよ」


  女性の微笑みにほんの少し悲しみが浮かぶ。女性のその表情に思う所があったのか、ルルナは素直に頷き、では、失礼します、と言って部屋を出て行った。


  「まったく、毎度、毎度、困った話だ」


  男がふぅっとため息をつく。

  女性が嬉しそうに笑う。


  「可愛いじゃない。貴方もそう思ってるでしょう」


  愛情のこもった眼差しで男の顔を覗き込む。


  「……さあ、どうだろうな」


  キラキラと輝くエメラルドグリーンの大きな瞳はとても真っ直ぐだ。余りにも純粋な眼差しに男は思わず、視線を逸らし、明後日の方向を向く。

  女性はそんな男の仕草が可笑しいらしく、またクスクス笑う。

  パタリッと、ドアの開く音が聞こえ、二人は同じタイミングで振り返る。

  そこには満面の笑みを浮かべたルルナの姿があった。


「彼が迎えに来てくれたので、せんせーに送って貰わなくても良くなりました!」


  姿勢を正したルルナが取り済ました様子で、そう宣言した。


  「あぁ、君の彼氏に連絡する手間が省けて助かったよ」


  男が知ったこっちゃないと、言わんばかりに単調な口調で言った。

  ルルナがムッとした表情を浮かべる。


  「そうですか!では、彼・が・待っているので帰ります!」


  ルルナは腹を立ている事を隠そうとせず、不機嫌さを前面に押しだす。当てつけに彼がという言葉を強調した。

  ルルナは不機嫌さを全身に漂わせたまま、大きな歩幅でスタスタと歩き、カバンを乗せたテーブルに向かった。

  カバンを手に取り、肩に掛けると、再び、スタスタと早足で扉の前に戻り、男と女性に向かって、深々と一礼する。


  「失礼します」


  ルルナが大きな声で挨拶をした。


  「はい。さようなら」


  女性が微笑みと共に返事を返す。


  「彼氏に助かった、ありがとう。と、伝えてくれ」


  男はわざとらしい皮肉と、嫌味ったらしい笑顔を返した。

  男の言葉を聞いたルルナの顔が一瞬、固まったが、すぐに負けじと微笑み返す。


  「はい。先生が如何に性格が悪いのかという事をキチンと伝えておきます」


  そう言うと、ルルナは再び、一礼し、さようならと挨拶してから部屋を出て行った。


  「ーー振られちゃったわね」


  女性が可笑しそうに笑う。


  「まったくな。いつもの事だ」


  男がわざとらしくため息をつく。


  「可哀想だから、今日は付き合ってあげる。あなたの奢りでね」


  悪戯っぽい笑みを浮かべた女性が、明るく弾んだ声で言った。


  「いや、可笑しいだろう。普通は逆だ」


  男が、すかさず答える。

  女性は喉を鳴らす子猫のようにクスクス、笑う。


  「貴方、次第ね」


  「ご期待に沿えるよう、頑張ります」


  女性がにっこりと微笑む。


  「帰りましょう」


  「あぁ」


  自分達の荷物を持ち、二人は部屋を出て行った。

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