第10話 魔力の無い青年
「そんなに心配しなくても、大丈夫ですよ」
ピンスが赤ん坊を抱く母親のように羊皮紙を抱え、表紙を愛おしそうに撫でている。
ーーこいつ、色んな意味でヤバい!っと、トーヤは思った。抱えているのが、おどろおどろしい羊皮紙でなければ、ピンスは慈愛に満ちたゴブリンの聖母のように見えなくもないかも知れない。
(どちらにしろ、不気味な光景だ……)
そんな思いをトーヤは抱いていた。
ピンスは先程と変わらず、羊皮紙を撫でている。
「なんて、美しいのでしょう……」
ピンスが惚れ惚れとした艶っぽい口調で言った。
「こちらの羊皮紙は偉大なる黒魔術師が、千年前に残した遺産。術師の望む物だけを消滅させる呪文が書かれたスクロールです」
羊皮紙をうっとりと見つめ、ピンスは話を続ける。
「強大な魔術には莫大な量の魔力が必要となります。そして、偉大な魔法には強力な生命力が必要……そう、大いなる魔術には犠牲が付きものなのです!」
ピンスが羊皮紙から顔を上げ、トーヤの見る。だが、羊皮紙の表紙を撫でる手を止めるつもりは無いようだ。
「ーーそれで俺の魔力と生命力を使って、ロボットを覆うクリスタルを消そうって、魂胆か……」
ゴブリン達の勝手な言い分に、腹の底から沸々と怒りが湧き上がり、先程まで感じていた冷えびえとした恐怖は抑え込まれ、消えてゆく。
「その通りでございます」
ピンスが羊皮紙を両手で大切そうに抱え、丁寧なお辞儀をする。
「ふざけるなよ……」
余りにも理不尽なゴブリン達の言い分にトーヤの怒りが頂点に達し、地響きのような低く威圧の効いた声を上げる。その言葉に気圧されたのか、武器を構えていたゴブリン達がの動きがたじろぐ。
その時ーー
ほんの、一瞬の出来事だった。
緑色の何かが横切り、走り抜けて行く。
皆、 一体、何が起こったのか理解出来なかった。
気付いた時にはもう、ピンスの手から羊皮紙は無かったからだ。
一斉に緑色の何かを目で追う。
そこには、ふわふわとした五本の長い尻尾を羊皮紙に巻き付け、細いクリスタルを登って行くグリーンフォックスリスの姿があった。
ピンスの体が怒りで小刻みに震え、血走った目がカッと見開く。
「糞鼠が~~!」
ピンスの怒りに満ちた声が響く。
見開いた目を更に吊り上げ、杖を滅茶苦茶に振り回しながら、グリーンフォックスリスを追いかけようと、太いクリスタルを登り始めた。
だが、素早い動きのグリーンフォックスリスに翻弄され、到底、追いつけそうも無い。
それどころか、ローブの裾を踏みつけてしまった。その所為でバランスを崩してしまい、そのまま、地面に落下してしまう。
お頭が急いでピンスに駆け寄り、抱き起こす。
抱き起こされたピンスが悔しさで歯を食いしばり、涙を浮かべた目で恨めしそうにグリーンフォックスリスを睨み付ける。
幸い、ピンスに怪我は無いようでお頭がホッと息を吐く。
鬼の形相で振り返ったお頭が仲間に向かって大声で叫ぶ。
「取り返せ!絶対に逃がすんじゃねぇ!」
奮激したゴブリン達が騒ぎ出し、興奮した豚に似た鳴き声で吼え出す。
ゴブリン達は怒りで頭に血が上り、鼻息も荒い。それぞれの武器を構える。
最初に攻撃を始めたのは、弓兵の格好をしたゴブリンだった。
次々と矢を放つが、グリーンフォックスリスの動きを捉える事が出来ず、無情にも全て外れてしまう。
ゴブリン達は益々、苛立ち、鼻を鳴らす。
すると、一匹のゴブリンが飛び出し、唸り声をあげながら、ナイフを投げた。
ナイフはグリーンフォックスリスの尻尾を僅かに擦る。
切れた白い毛がふわりと舞う。
身体に傷はつかなかったものの、刃物が当たった事態に動揺したグリーンフォックスリスは、慌てた様子で足を速めた。
それに気を良くしたのか、ゴブリン達はお互いの顔を見合わせると、ゲラゲラと馬鹿にしたような笑い声を上げ、手斧やハンマー等を投げ出す。
襲いかかる数々の凶器を間一髪のところで避けていたグリーンフォックスリスだったが、突如、一本の手斧が目の前に降って来た。咄嗟に後ろの方へ飛び跳ね、避ける。
手斧の刃は硬いクリスタルに突き刺さらず、弾かれる。鉱物がぶつかる涼しげな音色が辺りに響く。
手斧を避けられ安堵したのも、束の間、鋭い短剣が目の前に飛び込んで来た。
なんとか、間一髪のところで避けたが、慌てたグリーンフォックスリスは足を滑らせてしまい、尻尾で掴んでいた羊皮紙を離してしまった。羊皮紙は落下し、岩肌の地面に落ちていった。
ゴブリン達が歓声をあげる。
そんなゴブリン達の様子を伺いながら、トーヤはそっとその場を離れる。
ゴブリン達はグリーンフォックスリスに気を取られ、トーヤの様子に気付く気配も無い。
ゴブリン達の注意の目が自分から完全にグリーンフォックスリスに移っているのを、確信したトーヤはその隙を見逃さ無かった。
ゴブリンが投げた手斧にそっと近づき、音を立てず、拾い上げると、ピンスを介抱しているお頭の背中を狙って投げた。すぐに、近くの太いクリスタルの柱に隠れる。
手斧は回転しながら一直線にお頭に向かう。鋭く厚みのある刃がお頭の背中に深々と突き刺さり、その衝撃で体が大きく仰け反る。
ーー突然の事に何が起こったか分からなかった。自分の背中に感じた強い衝撃。
何故か、体が仰け反り、息苦しさでむせて咳き込む。自分の口から鮮やかな赤い液体が吐き出すのが見えた。
ピンスの目が大きく見開き、唇が震えたかと思うと、大きく口を開ける黄ばんだ歯が見えた。
(ーー歯ぁ、磨くの……また、サボったな……)
鋭い歯はゴブリンの誇り高い武器、きちんと磨くようにと、お頭であるゴブリンはいつも口酸っぱく言っていた。
しかし、ピンスは大の歯磨き嫌いだった。
木の根で歯を磨くなど、野蛮な事だと言って頑なに拒んでおり、お頭を心配させていた。ある日、追剥ぎした人間が偶然、歯ブラシを持っていた事があった。
お頭はこれでピンスが歯を磨くようになると思い、喜んでピンスに渡したが、なにかと屁理屈を捏ねて一向に磨こうとしなかった。
その癖、水浴び好きというピンスはよく仲間から不潔なのか、綺麗好きなのか分からない奴だと、からかわれていた。
「お頭ーーーー!」
近くに居るはずのピンスの声が何故か遠くに聞こえたと思うと、目の前が真っ暗になり、意識が途絶えた。
「お頭、お頭ーーー!」
絶命したお頭をピンスが揺さぶる。
「お頭ーーーーー!」
仲間のゴブリン達がお頭に駆け寄り、取り囲む。
皆、膝を着き、目に涙を浮かべ嗚咽し、お頭を呼ぶ。当然の事ながら返事は無く、虚ろな半開きの目には最早、何も映ってはいない。
ゴブリン達がお頭の体を揺さぶるが、反応は無い。
悲しみに暮れるゴブリン達を尻目にピンスは無言で俯いている。
突如、ピンスが立ち上がり、何処かに向かって歩き出した。その手にはしっかりと杖が握られている。
仲間のゴブリンが呼びかけるが何も答えず、ずんずんと足を進める。
向かった先はグリーンフォックスリスが落とした羊皮紙だった。
ピンスが拾おうと手を伸ばす。
すると、ふわふわとした緑色の毛玉の塊と共に羊皮紙が消えた。
又しても、グリーンフォックスリスが羊皮紙を奪い去っていったのだ。
ピンスは手を伸ばしたまま、硬直している。しばらくすると、わなわなと小刻みに震えだした。
「ウギャーーー!畜生がーー!死ねーー、死ね、死ね、死ねーーーーーー!」
ピンスが叫び出し、杖を振り回す。
そして、ぶつくさ何か呟き、杖から火の玉を次々と生み出した。ピンスが杖を振り回すと、火の玉はありとあらゆる方向へ飛んで行く。着弾した火の玉が爆発し、周囲に爆音と熱風が巻き起こる。
爆発が起こる度にゴブリン達の悲鳴が上がり、大混乱に陥った。
逃げ回っていた一匹のゴブリンに火の玉が着弾した。火の玉はあっという間に炎上し、ゴブリンの体が火柱に包まれる。
「ギャー!」と言う叫び声と共に焦げた肉の臭いと黒い煙が周囲に立ち込める。
黒く焼け焦げたゴブリンの死体がそこにはあった。
あまりにも、恐ろしい光景を目の当たりしたゴブリン達は益々、混乱し、悲鳴を上げながら逃げ回る。
ピンスは炎上した仲間の死体を目にしても攻撃を止め無かった。それどころか、笑い声を上げながら、次々と火の玉を発動させている。ピンスの攻撃の範囲が徐々に広がって来ていた。
あまりの出来事に身の危険を感じたトーヤは他に隠れられる所が無いかと、周囲を見回す。
一際、目に付く巨大な塊ーー。
クリスタルに包まれた赤いロボットーー。
トーヤは吸い込まれるようにロボットに向かって走り出した。
ただ本能のまま、無意識的に、遠くから放たれた矢の如く一直線に向かう。
ーーロボットまで後、少し、という所だった。
トーヤは自分の足が何かを蹴り飛ばすのを感じた。
慌てて目で追うと、それは小さなナイフだった。ナイフは回転しながら地面を滑り、大きな金属音を立てて停止した。
移動する距離がさほど無かった為、つい足元の注意を厳かにしてしまったのだ。
嫌な汗が滲む。恐る恐る振り向くと、一番、気付いて欲しく無い相手。
ーーピンスと目が合ってしまった。
見つめ合う二人。一瞬が永遠に感じた刹那。ピンスが大きく身を震わせた。
「オ、お、お前かーーーー!」
ピンスが甲高い叫び声を上げる。その声は悲鳴のように聞こえた。眼球が溢れ落ちそうなくらい見開いた目は先程よりも充血し、狂気に満ちている。ピンスがお前か!お前か!と、叫びながら杖を一振りする。
すると、立ち所に三つの火の玉が現れた。
生まれたばかりの火の玉は物凄い速さでトーヤに突っ込んで来た。
(ーーこれはマズい!)
トーヤは急いで体勢を立て直し、ロボットに向かって一心不乱に走る。
絶対に振り向いてはいけないーー。
己の経験と勘が盛大に警告音を鳴らしている。
癇癪を起したアリサが火炎魔法を頻繁に発動させてくれるおかげで、威力や速度等がおおよそ分かるようになっていた。
その事に関して、ほんの少しだけトーヤは妹に感謝した。
だからと言って、怒りに任せて火炎魔法を頻繁に発動されるのは、勘弁して貰いたいとも強く思った。
只々、一心不乱に走る。
先にある”もの”に少しでも、早く触れようと腕を伸ばす。
火の玉が直ぐそこまで迫っている。
指先がロボットを包んでいるクリスタルに触れた。
その瞬間、クリスタルが音も無く消え失せた。
トーヤが前のめりに倒れ込む。
慌てて振り向くと、火の玉はもう目の前だった。今にもトーヤを包みこもうと襲いかかる!
最早、此れ迄と、ぎゅっと目を瞑る。拳を握り締め、覚悟を決めた時だった。
重厚な金属音と共に風圧が吹き付けて来た。
何が起こったのか分からず、恐る恐る目を開けると、火の玉は消え失せ、そこには白、赤、金色で彩られた金属で出来た腕があった。
地面にぴったりと手の平を付けている。
唖然としているトーヤを尻目に金属の腕がゆっくりと持ち上がる。
トーヤは吸い寄せられるかのように動く腕を目で追い、目線が上へ上へと動く。
腕と同じ金属で出来た体を起こし、直立する。
顔を覆っていた赤く細長い数本の甲冑が滑り動き、顔が露わになった。
彫刻のような端整な顔立ちに、宝石のような目。芸術的な美しさの存在がそこにはあった。
お互いの目が合う。
「お怪我は御座いませんか?我が主」
涼やかな声が降ってきた。
「ああ……」
美しいその姿に見惚れていたトーヤは夢うつつの状態だった。
その為、つい反射的に返事をしてしまったトーヤだった。だが、すぐに異常な状況だとハッと我にかえり、キョロキョロと周りを見渡す。
「どうなされましたか?我が主?」
やはり声は上から聞こえる。
顔を上げると、先程と変わらず、美しい顔がそこにはあった。
宝石のように美しい目玉が動く。
「ーー左上腕部三ヶ所、右肘に一ヶ所、擦り傷、打撲、打ち身、複数、御座います。我が主」
「嘘だろ……」
瞠若するトーヤを美しいロボットが見つめる。
「嘘では御座いません。主様のお体をお調べ致しました」
涼やかで、優しい声が聞こえて来た。
「ーー喋った!」
驚愕するトーヤを尻目にロボットは心なしか嬉しそうに見えた。




