第0話 誰も知らない話 (2)
ーー風が吹いている。
風は薄紅色の花びらを大量に散らす。
枝から揺すり落ちた花びらが、風に乗せられ、舞い踊る。
ーー花吹雪。
少年は眩しそうに目を細める。
桜の花の季節はそろそろ終わりを迎え、枝先から艶々とした緑色の葉っぱが芽吹き始める。少年は役目を終えた花の儚さと、若々しい葉の対照に胸が締め付けられるような切なさを覚えた。
只々、桜に魅せられ、夢うつつの少年を無情にも校内放送のチャイムの音が現実に引き戻す。入学式の終わりと、新入生は教室に戻るように告げる内容だった。
少年の顔には何も浮かんでいない。
無表情だ。少年は小さく息を吐くと、教室と反対方向へ歩き始めた。広い校内を少年は散策する。
真新しい校内は最新の魔法科学や技術を駆使し建設された。勿論、設備も最新の物が設置されている。
広大な敷地には運動場、闘技場、プール、新図書館、魔法実験場等、あらゆる施設が設備され、生徒は自由に使用する事が出来る。
ただ学生寮だけは全くの自由という訳にはいか無かった。それに関しては風紀的にしても、安全性にしても致し方のない事だった。
また最新設備だけでは無く、旧校舎や旧図書館も取り壊されず残っている。とはいえ、建物自体は老化し、所々、崩壊している。
保存するにしても莫大な費用がかかる為、日に日に朽ちて行くばかりだ。
その為、安全性の問題から、旧校舎と旧図書館は立ち入り禁止だった。
また突風が吹き荒れ桜の花びらが一枚、旧図書館の方へ風に流されて行った。
それを見ていた少年が微笑む。
学生服のポケットに手を突っ込み、旧図書館に向かって歩き出す。
目的地に着いた少年は、ポケットの中から懐中時計に似た機械を取り出し、手の平に乗せると、ウロウロ、歩き回る。
しばらく歩き回ると、文字盤から光で出来た文字が浮かび上がり、少年を取り囲んだ。
少年はその場にしゃがみ込むと、懐中時計に似た機械を地面に置く。
光で出来た文字は半球状になり、地面を覆い、しばらくすると、消え失せた。
その代わりに金属製の扉が現れる。
そもそも、それは扉と言っていいのかすら分からないものだった。
歯車が並び、沢山のネジや、複雑な作りの機械に、液晶モニターらしき物まで付いている。液晶モニターらしき物には光で出来た文字が浮かび上がっている。
奇妙な事に扉には開ける為の取っ手も無ければ、鍵穴すら無い。
この四角形の物体が、扉だと証明する唯一の存在はモニターらしき物から浮かび上がった『桜』という光る文字だけだった。
少年が目を閉じると、ゆっくりとした動作で扉に触れる。
すると、『桜 』という文字は、ぐにゃりと形を変えたかと思うと、次の瞬間、破裂したかのように四方に散らばり、様々な文字や図形に形を変えた。
しばらくすると、文字や図形は懐中時計に似た機械の周りをグルグル回り始めた。
やがて、段々と速度が遅くなって行く。
そして、完全に動きが止まると、文字や図形は一斉に懐中時計に似た機械に吸い込まれていった。同時に金属の扉も懐中時計に似た機械に吸収され、この場所に扉らしきものがあった形跡は跡形も無く消えてしまった。
少年は懐中時計に似た機械を拾い上げ、しげしげと眺める。形がさっきよりも、少しだけ大きくなり、装飾が増えている。
少年はそれをしっかりと抱きしめ、そのまま、膝から崩れ落ちる。額を地面に擦り付けると、嗚咽を漏らす。目を閉じていても、涙が溢れ出てしまう。
泣いて、泣いて、泣き続け、やっと涙が枯れた頃、少年は立ち上がり、新校舎の方へ歩き出した。




