文車妖妃
旧家の娘と、武家の息子。二人はどこにでもいるような、婚約者だった。どこにでもいるように、親の考えで結ばれた婚約。
ただ、二人の間には確かな絆があった。確かに二人は愛し合っていた。
女の身体が強くないが為に、一度も会えたことはないのだけども。
そんな二人の絆を作ったのは、文だった。
その時代、恋文などどこの恋人同士でも行っていることだ。だが、他とは違い、通うことなどできない二人にとって、互いを知れるのは文だけだったのだ。
文を通じて、二人は互いを知り、愛しあった。
言葉を伝え合い、思いを交わし合い。例え会うことは出来なくとも、肌を合わせることが叶わなくとも、それだけでも十分幸せだった。
毎日、文を交わし合った。日常の些細なことを綴り、相手の日常を知った。何気なく見たものについて綴り、いつかあなたと一緒に見たい、と願いを募らせた。
「姫様、文が届いておりますよ」と、下女が女に文を渡す。
「若様、文が届いておりますよ」と、下男が男に文を渡す。
「これをあの方へ」と、女が下女に文を託す。
「これをかの姫へ」と、男が下男に文を託す。
毎日の、些細なやりとりはいつしか幸福の火種となって、二人の心を暖かく照らしていた。
ある日のことだ。その日常が、壊された。男が戦場に行くことになったのだ。
男は、必ず迎えに行くから待っていてくれ、と戦場に行く前の最後の文に綴った。
女は、ずっと待っています、毎日欠かさず文を書き、迎えに来てくれた時に渡します、と男が戦場に行く前の最後の文に綴った。
女は文に書いたとおり、毎日文を書いた。
男の身を心配する文を。
男からの文がないのが寂しいと告げる文を。
己のことよりも、ひたすらに男の事を思っていると、毎日毎日文を書き続けた。
男の事を心配するあまり、元々身体の強くなかった女は、病に罹った。
病の床に伏せ、日々衰弱していく中でも、女は文を書き続けた。
恋しいと。愛しいと。切ないと。寂しいと。
会いたい、と。
想いの全てをひたすらに、ただただ綴り続けた。
まるで文に生命を流し込むかの様に。
女にとって、男が言った、必ず迎えに行く、という言葉だけが生きている意味だった。
一度も会えたことのない、愛しい人に。死ぬ前に、一度で良いから会いたい。会って話がしたい。
叶うならば、その腕に抱かれて、逝きたい。
男が生きて戦場から帰ってくること。自分を迎えに来てくれること。
女はそれを信じて、日々弱りながらも男のことを信じ、待ち続けた。
しかし、ある日。
女のもとに届いたのは、男が戦死した、という報せ。
それを聞くやいなや、女は絶望に咽び泣き、そのまま死んでしまった。
その日以来、女の屋敷では奇妙な噂が流れ出した。
夜な夜な、女の泣き声がするというのだ。泣きながらも文を綴る女の幽霊を見た、という者もいた。
ある者が女の遺品である男への恋文を処分しようとすると、夢枕に女が立ち、あの方の元へ文を届けてください、と懇願された。その者だけでなく、誰かが文を処分しようとするたび、同じことがあった。
それでも文を処分しようとした者はいたが、どうしてか、ふと目を離した隙に、元の場所に戻ってきている。そして、文を捨てた者の夢枕に女が立ち、訴えるのだ。文を捨てないで、あの方に届けて、と。
しかし、男の躰は戦場から戻ってきてはいなかった。どう届けろというのだろう。そんな事情など知らず、女の幽霊は誰かの夢枕に立っては、訴え続けていた。
いつしか、人は女の幽霊を恐れて、文に関与しなくなった。
女の幽霊は夢枕に立たなくなった。
だが、夜な夜な続くその泣き声は消えぬまま。
あの方の元に、文を届けて。
私の想いを、あの方へ伝えて。
女はただただ、泣き続けていた。