鍋の中の戦争
鍋料理。食材を食器に移さず、鍋に入れた状態で食卓に供される料理。
鍋物、あるいはただ鍋と呼んで指す場合もある。
複数人で鍋を囲み、卓上コンロやホットプレートを用いて調理しながら、個々人の椀や取り皿に入れて食べるのが主流である。
だが君達は知っているか?
鍋の中で愛と友情が日々交錯している事を。
この物語は鍋料理の一つであるキムチ鍋。
その具材の一つである豆腐の愚痴から始まる物語である……。
「なぁ白菜の旦那……」
グツグツと煮える紅いスープの中で豆腐は隣にいる白菜に声を掛けた。
口調からは元気が感じられず、やさぐれている様に見える。
白菜はそんな豆腐の様子を気に掛けながら声に答えた。
「なんだよ元気ねえなぁ。まだ絹豆腐にフラれたこと引き摺ってんのか?」
「止めろよ……俺、メンタル豆腐なんだからそうやって昔の事蒸し返すの……」
「じゃあ何でそんな辛気臭い雰囲気醸してんだよ?」
フラれた話を持ち出した白菜は、今にもその身を粉々にして消え入りそうな豆腐に面倒臭そうに理由を尋ねる。
すると豆腐は周りにいる他の具材達に目を向けて理由を話し始めた。
「俺ってさ、鍋の主役になれないのかな……」
「はっ?」
「だって人間達はみんな肉やら魚介類に先に手を付けてさ。俺なんてまるで箸休めのサイドメニューみたいじゃないか……。もうウンザリなんだよっ!こんな惨めな姿、麻婆豆腐になった親父と冷や奴になったお袋に見せたくねぇんだよ!!」
己の心に溜まった鬱憤を吐き出した豆腐は壁に拳を打ち付ける。
しかし当然固い壁に打ち付けた柔らかい拳はグチャグチャに潰れ、鍋の底に消えていく。
現状を快く思っていない豆腐に白菜は言葉を掛けず、ただ黙って豆腐の肩にその萎びた手を置く事しか出来なかった。
「惨めですねぇ」
そんな二品に近付き、項垂れている豆腐を嘲る様に言葉を掛ける物がいた。
顔を上げた豆腐は鋭い眼差しをその物に向けて飛び掛かろうとする。
だが白菜が二品の間に割って入り、現れた具材に話し掛けた。
「何のようだニラの坊主。今コイツは気が立ってるから冗談は後にしろ」
「冗談ではありませんよ。見たままの感想を率直に述べたまでです。惨めですね豆腐先輩。昔はあんなにカッコ良かったのに、もうあの頃の姿が影も形もありませんよ」
「てめぇ、調子に乗ってるとぶっ飛ばすぞ……!」
煽る様な言葉を向けられ、豆腐は拳を握り込んで威嚇する。
しかしその激昂した様子を気にする事無くニラは肩を竦めて言葉を続けた。
「良いですよ殴っても?どうせ痛い目見るのはそっちですから。それより其処退いてもらえます?この方の入るスペースがもうこっちの地味~な具材がいる所しか空いてないので」
馬鹿にするように言い終えるとニラは背後に振り向く。
其処にはこの鍋の中で主役を張れる程のスペックを兼ね揃えた具材、蟹が佇んでいた。
その圧倒的な存在感に豆腐は気圧されて後ずさり、ニラが意地の悪い笑みを浮かべながら蟹を先導し、蟹は黙って軽く豆腐と白菜に会釈をして空いたスペースに入り込む。
沈黙が訪れ、グツグツとスープが煮えていく音だけが聞こえ続ける。
暫くして良い具合に蟹が茹で上がると、鍋を囲んでいた人間の一人が蟹に箸を伸ばす。
その瞬間、蟹の傍にいたニラが素早い動きで自身の身体を蟹に巻き付き始めた。
「なっ?!てめぇ何やってんだっ?!」
「分かりませんか?僕も蟹さんと一緒に食べてもらうんですよ」
「てめぇにはプライドってもんがねぇのか!!単体で食って欲しい気持ちはねぇのか?!」
「プライド?気持ち?そんなモノ、スーパーの野菜コーナーに捨ててきましたよ……」
激昂した豆腐の言葉に、ニラは僅かに寂しげな笑みを浮かべて答えた。
そして蟹とニラは箸に掴まれて空中に持ち上がっていく。だが―
「……俺は漁師に捕獲されてこの身をスーパーに売った……」
今まで口を閉ざして黙っていた蟹が突然身の上話を語り―
「だが、品性まで売った覚えはない。俺はお前みたいな奴が嫌いなんだ。消えろ」
自分の身体に巻き付くニラを元居た場所へと蹴り飛ばした。
蹴り飛ばされたニラは辛うじて蟹の脚に手を掛けて掴まっていた。
しかし数秒もすれば直ぐに鍋の中に落ちていくだろう。
そんなニラに残酷な運命が訪れようとしていた。
「あっ、ニラがくっ付いてる。私、ニラ嫌いなんだよね~」
蟹とニラを箸で掴んでいた人間が嫌そうな顔付きでニラを見つめる。
その言葉を聞き、ニラは必死に説得を試みるが人間に具材の言葉は届かなかった。
そして―
ニラはゴミを捨てるかの様に元居た場所へと振り落とされていった……。
「……笑えよ」
煮え滾ったスープに浮かびながら、ニラは傍で自分を見る豆腐と白菜に言葉を零す。
されど二品は笑わず、自嘲の笑みを浮かべるニラの肩に優しく手を置き―
「……一緒に頑張って行こう」
「てめぇの遣り方は気に喰わねェ……でも、食って欲しいって気持ちは嫌いじゃないぜ」
励ましの言葉を静かに呟いた。
僅かな邂逅の中で、ニラと二品に奇妙な友情が芽生えるのに時間は要らなかった……。
暫く経ち、鍋の中の具材も減っていき広いスペースが出来上がっていた。
だが三品は相変わらず鍋の中に取り残されていた。
「僕達、このまま捨てられてしまうんですかね……」
「いや、それはない。見ろ」
怯えた様子のニラに白菜は上を見上げて言葉を否定する。
二品は釣られる様に上を見上げると目を丸くした。
三品の視線の先にはキラキラと輝く白い米が今まさに鍋の中へ投入されようとしていた。
つまりそれは当然鍋の締めの一つであるおじやが作られるという事であろう。
安堵の息をニラがつき、直後米が空いたスペースに入りスープを揺ら揺らと波立たせる。
そして怒鳴り声を上げた。
「出て来なさいよスープ!!」
突然の事態に三品は怪訝な顔を見合わせる。
すると煮え滾っていたスープが形を成して姿を現した。
「やぁライス。そんなに怒ってどうし―」
穏やかな物腰で声を掛けるが、ライスのビンタを喰らってそれ以上言葉を言えなかった。
「浮気者!私知ってるんだから!この前の鍋の時に私じゃなくてうどんと締めてた事!」
「ライス……」
「嫌い!あっちいって!」
スープの言葉を耳を塞いで聞こうとせず、ライスはその場にしゃがみ込んでしまう。
背を向けて表情は見えないが、身体は震え、すすり泣く音が聞こえてくる。
その様子を困った顔付きでスープが見ていると豆腐が喋り掛けてきた。
「あんた羨ま―ゲフン。酷ぇな。もっと優しくしてやれよ」
「……確かに私は酷い。うどんだけじゃなくラーメンや餅とも関係を持ってるしね。でも蔑まされようが、白い目で見られようが役割はしっかりと熟す。それが……」
話しを区切るとスープはしゃがみ込んで泣いてるライスを後ろから包み込む様に抱き締め―
「鍋の中での私の役割だ」
優しげに微笑みながら己の信念を口にした。
その言葉が心に届いたのか、ライスは振り向いてスープに愛おしそうに抱きつく。
更には鍋の中に残っていた他の具材達が歓声を上げてスープ達に駆け寄ってくる。
豆腐とニラもスープの断固たる信念に自身の暗く染まっていた心に光が灯されるような感覚を感じ、熱い涙を流しながらスープに駆け寄った。
「これで一件落着だな……」
一歩後ろに下がり成り行きを見守っていた白菜は穏やかな笑みを小さく浮かべて呟くと、抱きつき合っている具材達の方へと足を進めて行き自身もその中に混ざり込んでいった……。
「みんな~おじや出来たよ~」
かくして鍋の中の物語は愛と友情を分かち合う大団円を迎えたのであった。