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アレはいつから始まったんだっけ。
いきなり部活のみんながよそよそしくなって、軽い陰口も聞こえるようになったのは。
ああ、中学の二年のときだ。坂上麗奈が、私のことを男好きだとか友達の彼氏を奪ったとか言い出したのは。
***
私の家の前には、マンションが建っている。社会人や大学生の一人暮らしには最適なマンション。何気にオートロックだし、まだ新しいし、一度部屋を見学しに行ったら結構な広さだったし。で、そのマンションにしたら家賃が他と比べたら格段に安い。私が中学二年になった春、そこに大学生が越してきた。
まだ春休みの半ば過ぎに大学生はマンションの前にいて、不動産屋を待っている様子だった。私はそれを部屋から見ていた。けど、大学生が待つ不動産屋はなかなか来なくて、困った様子の大学生と二階から様子を眺める私の目が合った。
「何してんの?」
部屋の窓を開けて少し大きな声で尋ねると、大学生は頭を掻いて困ったような顔をした。
「不動産屋が来るはずなんだけど、来ないんだよ」
「電話すれば?」
「今そう……」
ピピピッ
大学生の声を遮って、電子音が鳴った。
大学生はポケットから携帯を取り出し、私に見せる。
「掛かってきた」
にこっと、優しげな笑顔を私に向けて大学生は電話に出る。数分間、大学生は携帯で話をすると、落胆気味に携帯を切った。
「どうしたの?」
「……来る日一日間違えた」
「……どうすんの?」
「どこか探すよ」
力なく笑って、大学生は道路に置いてあった荷物を手に取った。少し考えて、私は歩き出そうとした大学生に声を掛けた。
「うち来れば?」
その日、お母さんの携帯に電話を掛けて事情を話すと、お母さんは大学生を泊めることに快く了承してくれた。
大学生の名前は、桐谷純。私は大学生を純兄と呼んで、お母さんとお父さんは純くんと呼んで、仲良くなった。
当時、お姉ちゃんはもう大学を出て仕事で一人暮らし始めて家にいなかったし、お母さんとお父さんは仕事で帰りが遅かった。自然、私は純兄の部屋に寄って勉強したり、一緒にご飯を食べるようになった。
中学二年の冬を過ぎたころ、学校で坂上麗奈が私の陰口を言っていると耳にした。彼女も私と同じバスケ部だったけど、元から仲は良くなかった。一年からレギュラーだった私を彼女は嫌っていて、部内でも何故か派閥が出来ていた。
坂上麗奈が私を嫌っていた理由は純兄。彼女の父親は大学教授で、純兄が彼女の家に呼ばれたとき彼女は純兄に一目惚れしたらしい。
「好きだ、好きだ」と何度言っても純兄は相手にせず、彼女の家に行くのも稀だった。
そこで彼女は純兄の住むところを父親から聞き出し、内緒でマンションの近くまでやってきた。その時に彼女は私と純兄が仲良く買い物袋を持って、マンションに入るのを見たみたい。
つまりは勘違い。逆恨み。嫉妬。
坂上麗奈は学校ではいわゆるハデな子。彼女の仲間がことあるごとに陰湿ないじめを私にしてきた。
耐えられなくなった私はバスケ部も止めて、学校も行ったり行かなかったり。タイミング良く春休みも迎えたけれど、三年に入ってからも学校に行ったり行かなかったりだった。
***
三年前のことを、世界史の授業中に思い出した。
教室のみんなの視線がうざったい。坂上麗奈が『援交』とか言うから。
どうせ自分が建介さんのこと好きだったけど、私が建介さんと仲良かったのが気にくわないだけ。
「……頭痛い」
「え? 何か言った、海堂」
黒板を書いていた浅川先生が振り返って、聞いてきた。
「先生、頭痛い。保健室行っていい?」
「ああ、分かったよ」
「ごめん」
浅川先生と仲が良くてよかった。深く突っ込んでこない。
教室を出て保健室に向かう途中、お姉ちゃんにメールを打った。
今日家に来てほしいことを伝えるメールを送って、授業中で静かな廊下をゆっくりと歩く。
***
結局、私は学校を早退した。
家に帰ってから部屋着に着替えて、ベッドに横になる。頭が痛くて、何にも考えたくない。チラッと、窓から見えるマンションに目をやった。
純兄は今スペインに語学留学をしていて、一年以上会っていない。私が学校にあまり行かなくなった時、純兄はえらく心配していた。理由を尋ねてきたけど、純兄とのことが理由だなんて言えなかった。
もう、どうでもいいか。
そう思って、目を閉じた。
夕方、家に寄ってくれたお姉ちゃんに建介さんと約束したカタログを渡して貰うよう頼んだ。
バイトも苅谷さんに休むと伝えた。
建介さんとの約束、破っちゃった。