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『あー、安井さん。真田さんはどこにいますかね?』
ご飯も食べ終わって、のんびりとした気分で建介さんと話をしていた時。簡易的なアルミの壁の向こうから建介さんを探す、いやに偉そうな人の声が聞こえた。
反射的に斜め上の建介さんを見上げると、建介さんは困ったようなウンザリしたような顔をしている。
「行かなくていいの?」
「いいよ。あの人うるさいんだ」
声の主を思い出したようで、珍しく建介さんが顔を嫌そうにしかめた。
「うるさい?」
「うん。なんか新しく出来る棟には理事長室も出来るんだけど、そこに自分の贔屓の会社からインテリアを入れてくれって」
「じゃあ、あの声の人、理事長なの?」
未だに建介さんを探す声が壁の向こうから聞こえる。声からして、たぶん男の人。
「違う違う。あれは教頭。理事長は女でしょ?」
「あ、そっか。でも、なんで教頭が? 理事長なら分かるけど」
教頭と聞いて、あの理事長にべったりとついて回るオジサンを思い出した。もう、明らかに理事長に媚び売ってる感じの。
「なんか自分の息子がその会社にいるんだと。その会社が輸入するオーロン・メイクってとこのやつ」
「オーロン・メイク? あー、そこのインテリアならやめた方がいいよ」
「へ?」
建介さんが間抜けな声を出す。
その声に答えようと建介さんを見ると、キョトンとした顔で私を見ている。
「私、お姉ちゃんの影響でインテリア雑誌とかよく見るの。で、お姉ちゃんがそのオーロンってとこは良くないって」
「なんで?」
「そのオーロン・メイクって、本当にお金持ちの人が買うようなインテリアなんだって。大して機能が良いわけでもなし、かと言って安いわけでもない。ゴテゴテの装飾品がついてて、半端ない値段なの」
つい最近、お姉ちゃんの会社で新入社員が間違えてそこのを発注したってお姉ちゃんが愚痴ってたのを思い出して建介さんに話す。
「へぇー、そうなんだ」
「そうなの。一つの値段が高いから会社の利益は高いみたい」
「げぇ、そんなの理事長室にいらないっしょ」
また顔をしかめて建介さんが言う。私もそれに頷いた。
「ていうか、建介さんって作業員なのに、そんなところまで仕事なんだ」
「ん? まぁ、ね」
「もしよかったら、お姉ちゃんからカタログ借りてこようか? お姉ちゃんとこ、そういうの扱ってるから一般のカタログよりは詳しくて良いと思うよ」
「え、いいの?」
「建介さんたちがそれでよければ」
「ラッキー。じゃあ、頼んでくれる?」
「いいよ」
建介さんの顔がしかめっ面じゃなくなって、いつもの笑った顔になった。
やっぱり、こっちの笑った建介さんの方が好きだなぁ。
いつの間にか、偉そうな教頭の声も聞こえなくなって、おもむろに携帯を開いて時間を見た。
「あ、もう昼休み終わる」
「もう? なんか今日は早く感じたなー」
「私も。もっと話したかったのに」
残念、と呟いてお弁当を持って立ち上がった。隣の建介さんも立ち上がるかと思ったら、まだ立つ気配がない。
不思議に思って、斜め下の建介さんを見下ろした。
「建介さん? って、なに?」
見下ろした先の建介さんは、いつもの笑顔をよりちょっと困り気味な顔で私を見ていた。
「彰チャンってさ……」
「なに?」
「んー、やっぱ何でもない」
「何よー」
「何でもないよ。さっ、俺も仕事だ、仕事」
「変なの」
パンのゴミをコンビニの袋に入れて、建介さんが勢い良く立ち上がった。途端に、目線が上を向く。
「仕事、頑張ってね」
「彰チャンも勉強頑張って。寝ちゃダメだよ」
ポンポンと建介さんが私の頭を叩きながら言った。
「寝ませんー。4時間目にいっぱい寝たし」
「やっぱり寝てばっかじゃん」
いつもより可笑しそうに建介さんが笑った。対して、私はムッとなる。
「あの先生の授業なら誰だって寝るよ」
「分かった、分かった。そんな不貞腐れないの」
建介さんはまだ笑いが収まってないけど、気にすることなく私をなだめる。本気で不貞腐れてたわけじゃないの、絶対分かってるのに。建介さんは、良い人だ。
「あ、ほんとにもう行かなきゃ」
「本当だ」
「じゃあ、バイトの時にね」
授業五分前のチャイムが鳴って、私は建介さんに手を振って背を向けた。
「あっ、彰チャン」
私が五歩も行かないうちに建介さんが私を呼んだ。
「なに?」
振り返って見ると、建介さんはなんだか言いづらそうにしている。
「アレ、つけてる?」
「アレ?」
何、アレって。
「ほら、昨日のやつ」
「? ……ああっ、ネックレス? ちゃんとつけてるよ!」
アレがネックレスと分かって、にこーっと口の端が上がったのが自分でも分かる。
今日の朝忘れずにつけてきた碇のネックレス。首に当たるチェーン部分を引っ張って、制服の中から碇を見えるように取り出した。
「ほら」
「お、似合ってる」
「ありがと。建介さんからのプレゼントだからね」
そう言うと、建介さんは一瞬キョトンとして、また困ったように笑った。
「じゃあ、もう行くね」
「ん、放課後ね」
「うん」
手を振る建介さんに振り返して、ちょっと急いで裏庭を後にした。
走って階段を上り、教室に着いた時には既に授業開始のチャイムは鳴ったあと。
でも、まだ先生は来てないからセーフ。
「彰、ギリギリだね」
席に着くと想良が珍しそうに言った。
私は椅子に座り、息を整えながら頷いた。
「ちょっと用があって」
「へぇー」
言えば想良は更に珍しそうな顔をする。
「用は用でも男絡みでしょ?」
やっと息が整ったというところで、前から鼻に付く声がした。
「は?」
意味が分からなくて前に立つ人――坂上麗菜を見上げた。一応、同じ中学の人。
「昼休みに男と一緒なんて、昔からやること変わらないのね」
「覗き見?」
「私が覗き見なら、そっちは援交?」
言いながら、坂上麗菜は私の机に一枚の写真を置いた。私と建介さんが、客船のデッキを並んで歩いている写真を。
見上げれば、坂上麗菜の勝ち誇った顔。
ああ、頭痛い。