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えーっと、私の目の前ってか、私を見下ろしているのは、あのチーズケーキの人?
「……チーズケーキの人……」
「は?」
チーズケーキの人を見上げてポツリと呟くと、彼は間の抜けた声を出して、間の抜けた顔をした。
「……や、名前知らないし」
「あ、そっか」
今思い出した、というような顔をして彼は私の隣に座り、パッと右手を差し出してくる。
いつも黒の服に身を包んでいる彼は、今は泥や生コンクリートのはじけで汚れた作業服に身を包んでいる。
「真田建介です」
「……ケンスケ?」
これまた普通な名前で。
一応知らない人でもないので、彼の差し出した手を握り返した。それだけで彼は満足したようにニッコリと笑顔を浮かべた。チーズケーキが運ばれた時のような、嬉しそうな笑顔。
ああ、やっぱりチーズケーキの人だ。
「やっぱりチーズケーキの人なんだ」
「そのチーズケーキの人って何さ」
「だって、いつもチーズケーキ頼むし」
意味が分からないという感じの彼に、訳知り顔で答えた。彼は納得したようなしてないような、首を左右に捻っている。それが可笑しくてつい声を出して笑ってしまった。
「……笑わないでよ」
「ゴメンゴメン。んじゃあ、こんにちは健介さん。海堂彰です」
気分を害したようにジトーッとこちらを見てくる彼に笑ったまま謝って、近くにあった枝の切れ端を手に取り、芝生でない土が剥き出しになっている地面に自分の名前を書いて自己紹介した。
「上の名前、海堂っていうんだ。俺の字は……」
そう言って、私の名前の横に彼も地面に名前を書き出す。
真田 建介
ん…?
「ケンスケってこっちの健介じゃないの?」
彼の書いた横に健康の方の『健介』を書くと、彼はムッと眉間にシワを寄せ首を振った。
「違うんだよ。建設の『建』なんだ」
「へぇ、変わってるねぇ」
「自分もデショ」
ツンツンと私の書いた名前を枝でつつきながら彼は言った。
「女の名前にしたら、ね。男の名前だったら普通」
「だねぇ」
言いながら、彼はガシガシと地面の土を枝で掘っている。
子供じゃないんだから……。
しかも何か楽しそう。
「作業員なの?」
「ん? ま、ね。そんなとこ。彰チャン、最近ここ来なかったね」
「私のこと知ってたの?」
思わずギョッとなって彼の方に顔を向ける。けれど彼は「んー」と首を傾げ口を開く。
「知ってたってか、よくここに来る子だなって思ってただけ。あのカフェの彰チャンって知ったのはこの間」
「この間?」
「うん。前に誰か先生に頼まれ事されてたでしょ? あの時に顔見えた」
「ああ……」
木島先生にお願いされた時ね。
うわ……、ヤなこと思い出した。今日部活出なきゃ……。
「何か嫌なこと思い出した?」
「顔に出てた?」
「うん。それよりさ、今日もバイト?」
あ、話変えてくれた。でも残念。今日はバイトないや。
「ううん」
「あ、そうなんだ。じゃあさ、今日放課後ヒマ?」
「放課後?」
「うん。嫌なことで疲れた彰チャンを元気づけてあげよう」
……いきなり。
「遅くなるよ?」
「いいよ。どうせ俺も遅いし」
「じゃあさ、校門で待っててよ。嫌なこと終わったらすぐ行くから」
「了解」
警察官みたいにビシッと敬礼をする彼。今の彼の服装に合ってなくて、笑えた。
「笑わない」
「ゴメンゴメン」
そこで昼休み終了のチャイムが鳴った。
「さっ」と声に出して立ち上がる。
「じゃあ、放課後ね」
「あいよ。授業頑張って」
「建介さんも仕事頑張って」
依然と座ったままの彼はヒラヒラと手を振って、校内に戻る私を見送ってくれた。
よしっ、嫌なこと、乗り切れそうだ。