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な、なんでだーっ! なんで……、なんで今日に限って残業なんか……!


会社勤めの人間にとって、今日は花の金曜日。たいていの人にとって、今日こそ乗りきってしまえば、明日明後日は至福の連休。もちろん、俺だって例に漏れず、今日は早く帰ろうと頑張っていた。



「頑張ったのになあ……」



現在の時刻、午後7時ちょっと過ぎ。どう頑張っても、家に帰るのは8時近くになりそうだ。周りも見てみても、建築部門に残ってる人間は誰もいない。吉井のやろう、風邪なんか引きやがって。

もっと上の、いわゆる超大手企業とかの人間からは、8時に終わる残業なんて残業じゃないって怒られそうだけど、俺にとっちゃ(特に今日の俺)、8時なんてとんでもない時間。今日だけは、何としても定時で上がろうと思ってた。だって……、だって、今日は、彰チャンが家に来るんだから。しかも、ただ家に遊びに来るんじゃない。お泊りだ。

何でも、彰チャンのお母さんとお父さんは親戚の法事で、二日間家を空けるらしい。その間、彰チャンはお姉さんとこに泊まる予定だったんだけど、気をきかせてくれたお姉さんがその権利を俺に譲ってくれたのだ。つまり、俺はこの金曜日から日曜日まで、ずっと彰チャンと一緒に過ごせるってこと。



「なのに、残業って……」



すでに彰チャンには『遅くなるよ』ってメールはした。『分かったよ。残業、がんばってね』って彰チャンは返してくれたけどさ、何かなあ……。一緒に買い物とか行って、ご飯とか作りたかったのに。吉井のばかやろう。


その後、死ぬ気で仕事を終わらせた俺は、信号無視以外の交通法を完全に無視して、猛スピードで車を家へと走らせた。

マンションの部屋の前に着いて、俺は一息つく。ちらっと腕時計に目をやると、時間はやっぱり8時を過ぎていた。けっこう頑張ったつもりだったけど、吉井がなかなか面倒な仕事を残して早退したもんだから、時間をくってしまった。彰チャン、怒ってるかな……。ご飯とか先食べてたらどうしよ。

そんな心配を抱きながらドアの鍵を開けて、おそるおそるドアを開けてみる。ドアを開けてまず聞こえてきたのは、水の流れる音で、それから蛇口を閉めるキュッという音が聞こえて、こちらに向かって歩いてくるスリッパの音が聞こえた。



「おかえりー」



にっこりと、いつも見せてくれる笑顔で俺を出迎えてくれた彰チャン。とことこ歩いて、未だ玄関で突っ立ったままでいる俺の前まで来て、また笑ってくれた。

俺の好きな彰チャンの笑顔。それを見て、疲れた身体がふっと軽くなった気がした。



「た、ただいま」

「うん、お疲れさま。今からハンバーグ焼くね」

「……うん」



予想に反して、彰チャンはまったく怒ってなんかいなくて、くるっと俺に背を向けてリビングの方へと歩いて行く。何だか拍子抜けしてしまった俺は、靴も脱がずにぼけっと立ったまま。後ろから俺がついてこないのを不思議に思ったのか、彰チャンがこちらを振り返って首を傾げた。



「どうかしたの?」

「え、いや……。怒ってないのかな、と思って……」

「? 何で私が怒るの?」



本当に不思議そうにして首を軽く傾げる彰チャン。かわいい……じゃなくてっ。



「だって、せっかく約束したのに帰るの遅くなっちゃったし……」

「仕事なんだからしょうがないじゃん。そんなんで怒らないよ」



「変なの」と笑いながら彰チャンはまた俺のところまで歩いてくる。それから、まだ靴も脱いでない俺の胸の中に飛び込んできた。どん、という軽い衝撃を受け止めて、反射的に彰チャンの背中に腕を回し、抱きしめるような格好になる。



「どしたの?」

「んー、おかえりーって」

「なにそれ?」



ぎゅーっと抱きつきながらそう言う彰チャンがおかしくて、ふふっと小さく笑ってしまう。それでも、俺の腕は彰チャンの身体から離れなくて、それどころか、ぎゅっと苦しくない程度に抱きしめてしまう。



「何か、ずっと一緒もいいけど、たまにこうやって『おかえりー』って言うのもいいなあって思って。こうやって建介さんにぎゅーってできるし」

「それはいつもでしょ」

「うん。でも、『おかえりー』って言いながらできるのは、建介さんの家族と私だけでしょ? それって何かうれしい」



たぶん俺のお腹に頬をくっつけて言う彰チャン。

嬉しいのは、こっちの方だ。そんなこと彰チャンが言ってくれるのも嬉しいし、彰チャンが『おかえり』って抱きついてきてくれるのも嬉しい。さっき、彰チャンが『おかえり』って言いながら笑ってくれたおかげで、疲れも吹き飛んだ感じがする。それはきっと、言ってくれたのが彰チャンだから。母さんや父さん、上三人の姉ちゃんたちが言っても、たぶん何か違う気がする。



「俺も、彰チャンが『おかえり』って言ってくれて嬉しいよ。ていうか、彰チャンだから嬉しい。家族からも嬉しいけど、彰チャンからの方がいいや」

「なにそれ」



今度は彰チャンが俺の言葉に小さく笑った。顔を上に向けて笑顔を向けてくれる彰チャン。何だか家で俺を待っててくれたって思うと、たまらなくなって、もう一度ぎゅっと彰チャンを抱きしめた。



「くるしい……」

「あ、ごめん」



下からどもった声が聞こえて、ぱっと腕の力を弱める。そうすれば、また彰チャンが上を向いて笑った。



「お腹すいた。ご飯食べよ?」

「うん」

「建介さん遅くなるって言ったから、チーズケーキも作っちゃった」

「ほんとに? ハンバーグにデザートなんて豪華だなあ」



靴を脱いで、彰チャンに手を引かれながらリビングへと移動する。相手が彰チャンだから、こんな会話も楽しくて仕方がない。

こんな会話ができたのも残業のおかげと思うと、少しだけ吉井に感謝の気持ちが出てきた。来週、昼飯でもおごってやろう。そんな考えが浮かんだけど、今はそれを頭の片隅に追いやって、彰チャンとの時間を楽しもう。


そんなことを考えながら、今にもスキップしそうな気持ちを抑えて、彰チャンと一緒にリビングに向かった。







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