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「あっ、彰ちゃん、久しぶりだねーっ」
「こんばんは、佐山さん」
店のドアをくぐると、接客しにやってきた祐弥がにこにこ顔で彰チャンに話し掛けた。俺は無視か。
「最近さ、建介のやつ、彰ちゃん連れてこないから寂しかったよ」
彰チャンの横に立つ俺に目もくれず、祐弥は彰チャンに話し掛ける。ええい、近寄るんじゃない。
「早く案内してくれませんかね、店長さん」
「なんだよ、せっかちだな。せっかく彰ちゃんと話してたのに」
お前なんかと彰チャン、二人の世界にさせてたまるか。ばかやろ。彰チャンは、俺の彼女だ。
祐弥に通された席は、前と同じテラス席が見える窓際の席だった。注文した料理も、いつもと同じ、リゾットとグラタン。ついでに今日はサラダも。
「建介さんと一緒なんて、久しぶり」
「そうだね」
俺の向かいに座る彰チャンはそう言って笑う。
俺は、昼間に彰チャンと会って、彰チャンから『好き』って聞かされてから、一旦仕事に戻り、夕方に彰チャンとカフェで待ち合わせをした。それから、二人して夕飯を食べようってことになり、こうして祐弥の店に来たわけだ。
彰チャンは昼間のバイトの制服姿から着替えていて、私服になっていた。俺も作業服じゃなくて、いつもの服に戻ってる。
「やっぱり、嬉しいな」
「なにが?」
彰チャンが水の入ったグラスを手にしてにこにこと言った。意味が分からない俺は首を傾げる。
「建介さんと一緒なのが」
嬉しそうにそう告げる彰チャンに、俺も自然と口元が弛む。
「俺も。彰チャンと一緒で嬉しいよ」
本当に、そう思う。
あのまま彰チャンと会えなかったら、どうしようかと思ったよ。ほんとに。
「はいよ、お待ちどおさま。グラタンとリゾットですよっと」
コトン、と祐弥が俺と彰チャンの頼んだ料理をテーブルに乗せていく。後から続いて来たバイトらしき女の子はサラダの盛られた大皿を祐弥に渡し、お辞儀をしてキッチンへと戻っていった。祐弥もサラダを置いて戻るだろうと思ってたら、祐弥はなぜか隣のテーブルから椅子を引っ張ってきて俺たちのテーブルに腰を下ろした。
「なんだよ」
「え、俺も仲間に入れてよ」
「仕事しろよ」
「いいの、店長だから」
わけの分からん言い分を強引に通し、祐弥は「ねー」と彰チャンに顔を向け、首を傾けた。彰チャンはおかしそうに笑うだけで、祐弥がここにいても嫌じゃないみたいだ。俺は嫌だけど。
「あ、彰ちゃん、ありがとね」
「何がです?」
「ほら、あのテーブルのこと。彰ちゃんのお姉さんがこの間店に来てさ、発注とか手伝ってもらったんだ」
「ああ。良さそうなのありました?」
前に祐弥の店に来た時に言っていた壊れたテーブルセットのことだと気付いた彰チャンは、グラタンを食べる手を止めて祐弥に問い掛けた。俺はリゾットをぐるぐるとスプーンでかき回しながら、二人の様子を眺める。
「あったあった。あんなの作ってるところとか全然知らなかったから、ほんと、感謝してます。ありがと、彰ちゃん」
にこにこと、彰ちゃんの手を握ってお礼を言う祐弥。手を放せ。手を。
「手を掴むな。手を」
彰チャンの左手を握ったままぶんぶんと上下に腕を振る祐弥の手をぺしっとはたく。
「なんだよ」
「お前は彰チャンに触ったらダメ」
痛くないくせに手を擦る祐弥に向かって、しっしっと虫を払うように手を振る。
「触ったらダメって、お前、彼氏じゃないんだから」
「彼氏だよ、ばーか。俺は彰チャンの彼氏だ」
祐弥の呆れた声に、得意げに返す。今度は俺が彰チャンに向かって「ねー」と首を傾けた。
「え、ほんと?」
祐弥が本気で驚いたように彰チャンを振り返った。
「うん。今日からね」
笑って、迷う様子もなく彰チャンが頷いてくれて、俺も嬉しくなった。
彰チャンの答えを聞いた祐弥は、ぽかんと口を開けて彰チャンを見ている。彰チャンはそれを見て吹き出していた。
彰チャンの笑い声にはっとなった祐弥が今度は俺の方を向いてきた。
「このロリコン」
「ロリコンでもいいよ。だって、彰チャンだし」
へっへっ、と笑ってリゾットを一掬い口に含み、ふふんと祐弥を見やる。祐弥は俺の様子を見て溜め息をつき、椅子から立ち上がった。
「もう惚気か。邪魔者は消えろってか」
「今さら気付いたか。早く仕事戻れ」
「うるせー。ロリコン」
祐弥はぺしっと俺の頭を叩き、「じゃあね、彰ちゃん」とわざわざ彰チャンに声を掛けてカウンターの方に戻っていった。
祐弥の後ろ姿から彰チャンに顔を戻すと、ちょうど彰チャンも祐弥から視線を外したところで、俺と目が合うとにこりと笑って、またグラタンを食べ始めた。
彰チャンの彼氏。なんて良い響きだ。
***
「建介さん、明日仕事なんだ」
「うん。ごめんね?」
「何で謝るの」
彰チャンは笑ってそう言うけど、俺はかなり落ち込んでいた。
祐弥の店を出て、車で彰チャンの家に着いてから、俺は最悪なことを思い出した。明日の日曜日、どうせ暇だからと彰チャンて会ってなかった日にそう思って、仕事入れたんだった。しかも、現場とかじゃなくて、他社との打ち合わせを。
彰チャンの家の前で二人して立ちながら話をする。これだって久々なことなのに、明日は彰チャンと会えないとか。
「どうせなら、明日も会いたかったな、と思ってさ」
車に寄り掛かってそう言うと、彰チャンは少し考える素振りを見せ、俺を見上げてきた。
「私ね、明日は夜にバイトだから、仕事終わったらカフェに来てくれる?」
「彰チャン、明日もバイト?」
「うん」
「なんだ。じゃあ、夜に会えるのか」
彰チャンの言葉にほっとした。仕事が終わって彰チャンに会えるなんて、最高じゃないか。
なんて、安心してると、いきなり前から軽い衝撃がきて身体が揺れた。なんだ、と思って見下げると、彰チャンが抱き着いている。
「どうしたの?」
俺も彰チャンの背中に腕を回して尋ねると、彰チャンは俺の腕の中で「んー」と唸った。
「分かんない。なんとなく?」
「いきなりだなあ」
彰チャンって、けっこう積極的だ。それでも、彰チャンからなら嬉しいけどね。
彰チャンは一度ぎゅうっと俺に抱き着くと、俺から身体を離した。見上げてくる彰チャンは笑顔だ。
「じゃあ、お休み。建介さん」
「うん、お休み。彰チャン」
お別れの挨拶をして、俺は運転席に乗り込む。窓を開けて彰チャンにばいばいと手を振ると、彰チャンも振り返してくれた。
車を発進させてバックミラーを見ると、彰チャンは俺が曲がり角を曲がるまで家の前に立っていてくれた。
俺は角を曲がって、オーディオの上に取り付けてあるホルダーから携帯を取り、アドレス帳を開いた。『あ』のページにある彰チャンのアドレスと携帯番号。それを見つけて、一人にやにやしてしまう。今日、やっと交換した連絡先だ。
車が赤信号で止まると、携帯を操作して彰チャンの番号を短縮1に設定する。帰ったら、電話しようかな。彰チャンの番号を見ながら、そんなことを考える。
今日から俺は彰チャンの彼氏で、彰チャンは俺の彼女。恋人だ。
恋人。うん、良い響き。