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な、なんだ。この状況は……!
「ああ、本当に美味しいね。ここの料理」
「でしょ?」
俺の目の前に座る二人――彰チャンと桐谷くんは、にこにこと笑って祐弥の作った料理を食べている。桐谷くんの顔を見上げて笑う彰チャンは、何だか嬉しそうで。『純にい』のことを俺に話す時みたく、ずっと、にこにこしてる。そして、桐谷くんも、また同じようににこにこ笑って彰チャンと話してる。俺、ここにいなくてもいいんじゃない?
終業後、桐谷くんに強引に夕食に誘われて、そして何故だか桐谷くんは彰チャンまで誘っていて、結局俺たちは三人で桐谷くんが運転する車で祐弥の店までやってきた。彰チャンは桐谷くんに俺とここに来た時のことを話したらしく、それを聞いた桐谷くんがこのレストランに来たがったみたい。
でもさ、来るなら彰チャンと二人で来ればいいのに。いや、彰チャンが誰かとここに来るのも嫌だけどさ、今みたく桐谷くんと仲良さそうにする彰チャンを見るのは、もっと嫌なんだけど。
「建介さん?」
「……へ?」
いきなり彰チャンに名前を呼ばれて、いらんことを考えていた俺は慌てて彰チャンに目を向ける。丸テーブルで俺の右隣に座る彰チャンは、何だか不思議そうに俺を見てくる。
「食べないの? リゾット。建介さん、ここのリゾット好きなんでしょ?」
彰チャンに言われて目の前に置かれたリゾットに目をやると、なるほど、運ばれてきた時から皿の中身があまり減っていない。彰チャンと桐谷くんが仲良さそうにするのを見てると、なんか面白くなくて、どうも食べる気が起きなかったのだろう。でも、彰チャンが俺に目を向けてくれて、自然と頬が弛む。
「ちょっと、ぼーっとしてただけだよ」
「本当?」
「うん」
俺がそう言って頷くと、彰チャンは「そっか」と安心したように笑った。食事が進まない俺のことを心配してくれたみたいで、それが俺には嬉しくてつい顔がにやけてしまう。と、そこで横から忍び笑いが聞こえてきて、なんだと横を向くと、俺の左に座る桐谷くんが口元を手で押さえて笑っていた。彰チャンもそれに気付いたらしく、二人で顔を見合せ首を傾げる。
「いやいや、二人の様子が可笑しくて」
「おかしい?」
桐谷くんの言葉の意味が分からない俺と彰チャンがまた首を捻ると、桐谷くんはますます笑った。
「はいよ、豆腐と生ハムのサラダ、お待ちどうさま」
未だに抑えたように笑う桐谷くんとその隣にいる彰チャンの間から、祐弥が大皿に盛ったサラダをテーブルにのせた。
「お、サンキュ」
祐弥にお礼を言って、さっそくテーブルの中心に置かれたサラダの豆腐を食べる。
「あの、」
桐谷くんと俺がサラダを小皿に分ける横で、彰チャンが厨房に戻ろうとした祐弥に声を掛けた。どうかしたかな、と思って彰チャンの方を向くと、祐弥も不思議そうな目で彰チャンを振り返っていた。祐弥が振り返ると、彰チャンは遠慮がちに店の中央部分を指差す。
「あそこのスペース、テーブルはどうしたんですか?」
彰チャンのいうスペースとは、店の中央部分にぽっかりと空いた広めのスペースのこと。俺たちが通されたこの席は前に彰チャンと二人で来たテラスが見える窓際だけど、確か前に来た時は中央部分にもテーブルはあった。今はなくなったテーブルを彰チャンは変に思ったのかもしれない。
「ああ、あそこね」
祐弥が彰チャンの指差す方を見て、苦笑をして髪をくしゃっと掻いた。桐谷くんも何のことかと顔を上げて祐弥の方を見る。
「一週間くらい前に来た客で、酔っ払い連中がケンカ始めてさ。その時にいくつか壊れたんだよ」
残念なような、諦めたような声の祐弥に、彰チャンが視線を泳がせた。悪いことを聞いたと思ったんだろうか。
「なあ、建介」
「ん?」
祐弥の呼ぶ声に顔を上げる。
「何か店に合うインテリアとか知らね?」
「えー……。そっちは俺の専門じゃないし」
インテリアってなったら、令亜の方が知ってるだろう。かといって、今から令亜を呼ぶのもなあ……。祐弥は俺の答えに残念そうに「そうか」と言って、「それじゃあごゆっくり」と戻ろうとした。
「彰、何か知ってるんじゃないか?」
突然出た桐谷くんの言葉に、俺も祐弥も、もちろん彰チャンもきょとんとして桐谷くんを見る。
「インテリアとか詳しいだろ、彰は」
「本当に?」
桐谷くんの言葉に、祐弥は期待のこもった目を彰チャンに向けた。彰チャンは戸惑ったように桐谷くんと祐弥の顔を見て、最終的に俺の方を見てきた。
でも、俺も桐谷くんの言葉は正しいと思う。前に彰チャンは、そんなこと言ってたし。
「彰チャン、何か知ってる?」
あまり彰チャンをせっつかないようにして聞くと、彰チャンは少しの間迷って、それから「あっ」と思い付いたようにある家具屋の名前を口にした。
でも、そういうことに疎い祐弥はそのインテリア会社の名前を知らず、不思議そうに首を傾げた。見れば、桐谷くんも知らないようだ。俺は名前だけならそこを知っている。確か、イギリスのどっかで作ってる手作りの家具の名前だ。
「手作りの家具とかなんですけど、そんなに高くもないし、たぶん頼めばオーダーメイドも出来ます」
「へー、そんなのあるんだ」
「よかったら、今度パンフレット持ってきましょうか?」
「本当に? うわ、嬉しいな」
さっきまでの憂鬱な表情はどこ行ったんだ、と言いたくなるくらい祐弥は喜んだ。彰チャンの両手をぎゅっと掴んで礼を言ってる。手を掴むな、手を。
「早く仕事戻れよ」
「分かったよ。ありがとうね、彰ちゃん」
馴れ馴れしく『彰ちゃん』なんて言って、祐弥はやっと厨房に戻っていった。何が『彰ちゃん』だ。それでも彰チャンは、祐弥の態度を気にしせずに、祐弥の喜ぶ姿を見て嬉しそうにしていた。
「ありがとうございました」
あれからしばらくした後、祐弥の声を背に、俺たちはレストランを後にした。食事代は自分が払うと頑固に言い張る桐谷くんに根負けして、奢ってもらった。俺、一応年上なんだけどな。
「彰、明日の土曜日は暇なのか?」
「ううん、お昼の一時までバイト」
「そうか」
桐谷くんの車で一旦会社に戻る道中、桐谷くんの質問に彰チャンがそう答えた。
そうか、明日は彰チャン、バイトか。行こうかな。
「真田さん、」
「ん?」
もうすぐで会社に着くというところで、桐谷くんが俺に声を掛けた。俺が何の気なしに桐谷くんの方を向くと、桐谷くんは何故か申し訳なさそうな顔をしていた。
「申し訳ないんですが、彰、送ってくれませんか?」
「ん? いいけど、何かあったの?」
「ちょっと友達のところに行かなくちゃいけないので」
本当にすまなそうにする桐谷くん。別に彰チャンを送るのに断る理由なんぞなくて、俺は二つ返事でOKした。助手席から後ろを振り返って彰チャンにも聞くと、彰チャンも了承する。桐谷くんはそれを見て安心したように、車を会社の駐車場に入れた。
「それじゃあ、お願いします」
「ばいばい、純兄」
彰チャンが手を振って桐谷くんにさよならをして、俺の車に乗り込んだ。
「彰チャン、土曜日もバイトなんだ」
「うん。一時までだけどね」
夕飯のときの会話を思い出して聞くと、助手席に座る彰チャンはこちらを向いて笑って答える。
そうかあ、一時まで……んん? 一時までってことは、後は暇ってことか?
明日は、俺も休みだし……。
「ね、彰チャン」
「ん?」
運転して前を見ながら彰チャンを呼ぶ。彰チャンは窓の外を見るのを止めて、俺の方に顔を向けた。首を傾げてるのが横目で見える。
「あのさ、明日、もしよかったら、どっか行かない? 彰チャンのバイトが終わってから」
「どっかって?」
「あー……、映画、とか?」
信号が赤になって車を止めた。おそるおそる彰チャンの方を向くと、彰チャンは何か考えるように視線を上に向けていた。
「明日、カフェに迎えに来てくれる?」
「え、てか、たぶんカフェに行くよ」
「……じゃあ、行く」
笑って彰チャンが答えた。一瞬信じられなくてぽかん、としてしまったけど、彰チャンの顔が笑ったのが見えて、はっきり彰チャンの言ったことを理解した。
「本当に?」
「うん」
「冗談とかじゃなくて?」
「じゃなくて」
うわ、彰チャンとデートだ。やった。
「じゃ、じゃあ、明日カフェに行くね」
「うん、待ってる」
にこにこな顔をして答える彰チャンに、こっちまでにこにこしてしまう。信号が青に変わって車を発進させても、俺の顔はずっとにこにこしていた。
明日はデートだ。やった。