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「彰さん。これ、一番テーブルにお願いします」

「はーい」



夕方の6時少し前、私はバイトに精を出していた。

建介さんと私の家で会った日以来、私は学校にも行ってるしバイトにも来てる。

坂上麗奈はバレンタインの日にあったパーティーでのことがあるせいか、もう私に何も言ってこなくなった。時折、私の方を憎々しげに睨んでくる以外は。



カランカラン……



カフェのドアベルが控え目に鳴った。一番テーブルからの帰り道、私は反射的に時計に目をやる。時間は午後6時。

……違った。建介さんじゃないや。

何となく遅く感じる時間にむしゃくしゃしながらも、私はシルバーのトレーを持って入口に向かった。



「いらっしゃいませ」



お客の胸辺りを見ながら言葉を発する。



「相変わらず人見知りなんだね、彰」



斜め上から懐かしい声。驚いて顔を上げると、そこに立っていたのはスペインに行ったはずの彼。



「純にい!」




***



「元気そうだね」

「純兄もね」



入口のカウンターとは対極になったテーブルで右側を壁に座った純兄がにっこりと笑って言った。純兄の前には温かい抹茶ラテ。私はお盆を持ったまま、純兄のテーブルのところに立っている。



「純兄、髪切ったんだ」

「ん? ああ。あっちは暑かったから」



以前の純兄は、色素の薄いちょっと茶色めの髪が耳を隠す程度はあったのに、今はしっかりと耳が見えていて、後ろの髪も短い。純兄は少し照れたように後ろの髪を撫でた。



「いつ帰ってきたの?」

「昨日だよ。昼に友達とご飯食べてたら偶然おばさんと会って、彰がここでバイトしてるの教えてもらったんだ」

「ふーん」



抹茶ラテを啜りながら純兄が言った。



「彰、バイト何時まで?」

「10時まで。なんで?」

「おばさんに夕食誘われてさ。10時まで待ってようか?」



何でもない風に言う純兄につい頷きかけるも、建介さんを思い出してそれを止めた。そういえば、建介さんが送ってくれるんだった。建介さんは私がバイトに復帰すると、私のバイトの日は必ず家まで送ってくれる。フェリーでの約束がまだ有効中らしい。



「どうした?」

「んー、純兄先帰ってていいよ。私、遅くなるから。お母さんたちも純兄と話したいだろうしさ」

「でも、大丈夫か? 夜、暗いだろ」

「大丈夫だよ。じゃ、ゆっくりしてってね」



心配する純兄に笑って返し、その場を後にした。



カウンターに戻ると、純兄の方を見た。純兄は持ってきていた本を開いて読んでいる。何の本かは知らないけど、真剣な表情の純兄。それを見て、自然と頬が弛む。

純兄が帰ってきたんだ。




***



「彰チャン、何か良いことあった?」



いつも通り、夜の8時にカフェへとやってきた建介さん。

私がお代わりの紅茶を持ってくと、首を傾げてそう聞かれた。私は『へへっ』と笑う。



「知り合いが帰ってきたの」

「知り合い?」

「うん。二年くらいスペインに留学してて、昨日帰ってきたんだって」



夕方にやってきた純兄を思い出して、顔がにやけてるのが自分でも分かる。

純兄は結局、抹茶ラテを一杯飲むと帰ってしまった。家で待ってる、とは言ってたけど。

建介さんが私の顔を見てまた首を傾げた。建介さんが座るテーブルには、いつも建介さんが持ってくるノートパソコンとクリップで留まった資料が置いてある。



「その知り合いは、男?」

「? うん」

「あ、そうなんだ」



建介さんが笑いながらそう答えるけど、なんだか元気がない。不思議になって、今度は私が首を傾げてしまう。



「建介さん、疲れてるの?」

「うーん、まあ、そんなところ」

「じゃあ、これあげる」



建介さんの元気のない笑いに、私はズボンから一つ飴を取り出し、それをテーブルの上に置く。小腹が空いたとき用にいつも入れてる飴。

建介さんはその飴を見て一瞬キョトンとなったけど、すぐに笑って「ありがとう」と言った。それがいつもの建介さんの笑顔で、私も安心して笑い、お盆を持って建介さんのテーブルを離れた。




夜の10時少し前。

今日は夜にお客が来なかったのもあって、苅谷さんがいつもより早めに店を閉めた。私は古谷さんからお土産にケーキを貰って、建介さんの車へと向かった。



「彰チャンもケーキ貰ったんだ」



車の助手席に乗り込むと、運転席の建介さんが可笑しそうに笑って言った。建介さんの言葉を不思議に思っていると、建介さんが車の後部座席を指差した。指を追って後部座席を見やると、そこには私の持っているケーキ箱より小さめの箱が。



「常連さんへの感謝のしるしだって」

「中はチーズケーキ?」

「それとチョコレートケーキ」



にこっと、嬉しそうに建介さんが笑った。私もそれに笑い返す。




建介さんの車が私の家に来ると、家の前に一台の車が止まっていた。



「誰か来てるの?」

「んー? あっ、たぶん純兄のだ」

「純兄?」

「うん。ほら、さっき言ってた知り合い」

「ああ」



建介さんが玄関前を避けて、止まっていた車の前に自分の車を止めた。



「じゃあね。また明日」

「うん。明日ね」



私が建介さんと挨拶をして車を降りた時、ちょうど純兄が玄関から出てきた。出会い頭に驚きながらも、ぶつかる寸前で足を止める。上を向けば、純兄も驚いた顔をしていた。



「びっくりした。今帰りか?」

「うん。送ってもらったの」



私の後ろの建介さんの車を指差して言うと、純兄は車に向かって小さく頭を下げた。



「なんだ、彼氏がいるなら言ってくれればいいのに」

「建介さんは彼氏じゃないよ」



意地悪く笑う純兄の腕をバシッと叩く。純兄は何が可笑しいのか笑っているだけ。



「そうか。じゃあ、もう行くよ。明日寝坊するなよ?」

「しないって。じゃあね」



私の頭をぽんぽん、と叩きながら言う純兄。私は純兄の手を退かし、もう一度振り返って建介さんに手を振ってから家の中へと入った。

玄関に入って、二台の車が発進する音が聞こえ、そのすぐ後にお母さんの「今、純くん帰ったのに」っていう声が聞こえた。


私は純兄が帰ってきたのが嬉しくて、その日は寝るまでにやにやと締まらない笑みを浮かべていた。






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