第74話「酒と肉と、両方好き」
焚き火が爆ぜる音。肉が焼ける匂い。酒樽から立ち上る甘い発酵の香り。
マーレンが腕まくりをして、広場の中央に陣取っている。
「交渉も外交も、腹が減ってちゃできないでしょ」
いや、待て。
ついさっきまで、ルガに「掟は掟だ」と突き返されたばかりなんだが。
なんでもう宴の準備が始まってるんだ。
「あたしはね、難しいことは分かんないの」
マーレンが巨大な肉の塊を串に刺しながら言う。
「でも、腹が減ってる相手とまともな話はできないって、それだけは知ってるわ」
……反論できない。
というか、もう火が起きてるし、肉が焼けてるし、酒樽が三つ並んでるし。
いつの間に準備したんだ、この女将。
めんどくさいから、もう任せよう。
交渉も外交も苦手だ。飯の力で解決するならそれが一番楽でいい。
◇
マーレンの作戦は単純だった。
獣人式の直火焼きに、人族の調味料を合わせる。
「ルナちゃん、いつもこうやって焼いてたでしょ?」
マーレンがルナに声をかけると、ルナは小さく頷いた。
耳がぴこりと動く。料理の話になると少し元気が出るらしい。
ルナが肉を直火にかざす。
獣人のやり方だ。串も使わず、素手で肉を掴んで炎に近づける。
表面だけを一気に焼き固めて、中の肉汁を閉じ込める。
そこにマーレンが仕上げをする。
岩塩を砕いたもの。乾燥させた香草。蜂蜜を少しだけ垂らした甘辛い汁。
獣人の素朴な焼き方に、人族の知恵が重なる。
じゅう、と音がした。
肉の表面で調味料が弾けて、煙が立ち上る。
甘い脂と、香草の鋭い香りが混ざって、腹の底を直接殴ってくるような匂いだった。
「……ほら、できたわよ」
マーレンが最初の一皿を、ルガの戦士たちの前に置いた。
戦士たちは警戒していた。
さっきまで腕を組んで、広場の隅で睨みを利かせていた連中だ。
だが──匂いには勝てなかったらしい。
一人が手を伸ばした。
肉を一口、噛む。
もぐもぐと咀嚼して──目が見開かれた。
「……うまいな、これ」
その一言で、堰が切れた。
六人の戦士が次々と肉に手を伸ばす。
がつがつと貪り食う音が、焚き火の爆ぜる音に混じった。
マーレンが俺の隣で、腰に手を当ててにやりと笑う。
「ね? 飯の力、舐めちゃダメよ」
……この人、外交官に向いてるんじゃないか。
俺より百倍くらい。
◇
酒が回り始めた頃、カイがルガの隣に座った。
「おい、飲めよ」
カイが杯を差し出す。
ルガは無言でそれを見ていたが、やがて受け取った。
「人族の酒か」
「果実酒だ。マーレンの特製。強いぞ」
「獣人の酒に比べれば水だ」
カイが笑った。ルガは笑わない。
だが、杯を傾けた。
「……悪くない」
「だろ?」
二杯目を注ぐ頃、カイが妙なことを言い出した。
「なあ、お前んとこの挨拶ってどうやんだ?」
「挨拶?」
「獣人式のやつ。ルナがたまにやるんだけど、首のあたりをくんくんするやつ」
ルガが少し考えて、首を傾けた。
「信頼の証だ。互いの匂いを覚える。匂いを知っている相手は、敵ではない」
「へえ。じゃあやってみるか」
「……は?」
「乾杯の代わりだ。ほら」
カイがぐいっと首を差し出した。
ルガが怪訝な顔をしたが──酒の勢いか、短く鼻を近づけた。
くん。
沈黙。
「……男臭いな」
「お前もな」
二人が同時に顔をしかめて、それから──カイが吹き出した。
ルガも、ほんの一瞬、口の端が動いた。
笑ってはいない。たぶん。でも、さっきまでの殺気はもうなかった。
なんだその友情の始まり方は。
まあ、俺が間に入るよりよっぽど楽だからいいけど。
◇
焚き火が低くなってきた頃。
ルガが、ぽつりと口を開いた。
「ルナは──昔から変わり者だった」
酒のせいか。それとも、この場の空気がそうさせたのか。
ルガの声は、さっきまでの威圧的なものとは違っていた。
「部族の子供は群れで遊ぶ。狩りの真似をして、走り回って、強さを競う」
ルガは火を見つめたまま続ける。
「だがルナは──いつも一人で花を見ていた。虫の動きを追いかけていた。匂いが気になると言って、群れから離れた」
ルナの耳がぴくりと動いた。
兄の言葉を、じっと聞いている。
「はみ出し者だ。部族の中に、ルナの居場所はなかった」
ルガの金色の瞳が、焚き火の光を映していた。
怒りではない。もっと静かな──後悔に似た何かだった。
「俺は長の息子だ。妹を守るのが務めだった。だが──群れの中での孤独からは、守ってやれなかった」
……どこかで聞いた話だな。
周りと合わない。居場所がない。一人でいる方が楽だった。
そういう人間──いや、そういう奴を、俺は知っている。
よく、知っている。
「この集落に来て、ルナは変わった」
ルガが視線を上げて、広場を見回した。
「よく笑う。よく食べる。言葉まで覚えた。……あの子が人族の言葉を話すなど、考えたこともなかった」
「居場所ができたからだろ」
俺は言った。
「合う場所が見つかれば、人は変わる。獣人も、たぶん同じだ」
ルガは黙って俺を見た。
何かを量っているような目だった。
そのとき。
ルナがゆっくりと立ち上がった。
腰の袋から、絵図カードを取り出す。
手が震えていた。耳がぺたんと伏せている。
怖いのだ。兄に拒絶されるかもしれない。それでも──。
ルナがカードを並べた。
一枚目。集落の絵。「ここ」
二枚目。笑顔の絵。「すき」
ルガが息を呑んだ。
三枚目。狼の絵。「にい」
四枚目。また笑顔。「すき」
そして五枚目。
見たことのないカードだった。
二つの丸が重なっている絵。ルナが自分で描いたのだろう。線はぐにゃぐにゃだ。
でも、意味は分かった。
「りょうほう」
ルナの声が震えた。
ここが好き。兄が好き。両方。
どちらかを選べなんて、言わないでほしい。
そういうことだ。
ルガの目が──ほんの一瞬、揺れた。
金色の瞳に、焚き火の光がにじんだ。
すぐに顔を背けた。ごまかすように、杯を煽った。
……泣いてないな。たぶん。
でも、杯を持つ手が震えていたのは、見なかったことにしてやろう。
めんどくさいことは嫌いだ。
感動的な場面に立ち会うのも、正直、居心地が悪い。
でも──まあ。
今日くらいは、いいか。
◇
焚き火が燃え尽きようとしている。
戦士たちはとっくに眠っていた。マーレンの料理と酒に完全にやられた顔だ。
カイも、ルガの隣で豪快にいびきをかいている。
ルガだけが、まだ起きていた。
じっと火を見つめている。
ルナはもう眠っていた。
兄の隣で、丸くなって。
いつもは俺の隣で寝るのに──今夜は兄を選んだらしい。
耳がぴこぴこと揺れている。安心した寝顔だ。
「……明日、条件を出す」
ルガは、それだけ言って目を閉じた。
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