第73話「見せてやる」
力じゃ勝てない。言葉も半分しか通じない。
なら──見せるしかない。
この集落が、ルナにとって居場所であることを。
翌朝。日が昇る前に目を覚ました。
珍しく、自分から布団を抜け出している。怠惰の権化たるこの俺が。
……めんどくさ。ほんとにめんどくさい。でも、やらないともっとめんどくさいことになる。
昨日の光景が脳裏に浮かぶ。ルガの金色の瞳。六人の戦士たちの威圧。カイが大剣の柄に手をかけた瞬間の、張り詰めた空気。
力で押し通すのは無理だ。あいつらとやり合ったら、集落ごと潰される。
交渉も厳しい。言葉は半分しか通じないし、そもそも俺は交渉が死ぬほど苦手だ。
残った手段は一つ。
見せること。
【効率化】を起動する。
『見学の順路について助言する。相手の心を動かすには、提示する順序が肝になる。まず水──生きるための土台。次に農地──暮らしの豊かさ。続いて食堂──味と香りは理屈を超える。最後に住居──ルナの居場所。感情に訴える並びがある』
水、農地、食堂、住居。
なるほど。まず生存の基盤を見せて、次に豊かさ、そして五感に訴えて、最後に「ここがルナの家だ」で締める。
悪くない。いや、我ながら卑怯な手だ。理屈じゃなくて感情を揺さぶりにいっている。
だが、理屈が通じない相手には感情で攻めるしかない。
めんどくさいが──やるか。
隣の部屋から、小さな寝息が聞こえている。ルナはまだ眠っているらしい。昨夜は怯えてなかなか寝つけなかったから、もう少し寝かせてやりたい。
静かに家を出た。
朝靄の中、集落の入口に向かう。ルガと戦士たちは、昨夜から広場の端で野営している。焚き火の残り火がくすぶっていた。
ルガはもう起きていた。
金色の狼耳が、こちらを向いてぴくりと動く。腕を組んだまま、焚き火の前に座っている。戦士たちはまだ眠っているが、こいつだけは夜通し起きていたような目をしていた。
「……何の用だ、人間」
低い声。朝の冷えた空気を震わせるような響き。
「見せたいものがある」
「見せる?」
「お前が連れ帰ろうとしているルナが、ここでどう暮らしているか。それを見てから判断しろ」
ルガの金色の瞳が細くなった。値踏みするような、射抜くような目。
「……いいだろう」
立ち上がった。でかい。俺より頭一つ分は高い。筋肉の付き方も人族とは根本的に違う。こいつと殴り合うなんて選択肢は、やっぱり最初からない。
まず、水路に連れていった。
集落の外周を流れる水路。ルナの嗅覚で見つけた水源から引いた、きれいな水が流れている。石を組んで作った水路は勾配を計算してあるから、汲み上げなくても集落全体に水が行き渡る仕組みだ。
ルガが立ち止まった。
水路を見下ろしている。流れる水を目で追って、水路の構造に目をやって──ほんの一瞬、金色の瞳が見開かれた。
「……これを、人間が?」
一言だけ。だが、その一言に驚きが滲んでいた。
「ルナが水源を見つけた。あいつの鼻がなければ、ここまで効率よく引けなかった」
ルガは何も言わなかった。ただ、少しだけ耳が動いた。
次に、農地。
朝日に照らされた畑が広がっている。整然と並んだ畝。水路から分岐した灌漑用の細い溝。住民たちが早起きして、すでに手入れを始めている。
「賢者さま、おはようございます!」
「今日も怠惰の御加護を!」
……その挨拶はやめろ。
ルガが農地を見渡している。獣人の部族は狩猟が中心だと聞く。計画的に食べ物を育てるという発想自体が、もしかしたら珍しいのかもしれない。
「ここの土と水の配分も、ルナの嗅覚で調整した。土の匂いで養分の偏りが分かるらしい」
ルガの耳が、また小さく動いた。
そして──食堂。
朝の時間帯だが、マーレンにはあらかじめ声をかけてある。あの女将は頼みもしないのに「任せなさい」と胸を叩いていた。
食堂の扉を開けた瞬間、香ばしい匂いが流れ出してきた。
焼いた肉の脂が弾ける音。香草の爽やかな香り。それに混じって、甘い穀物が蒸される匂い。朝の空気に溶け込んで、腹の底に直接訴えかけてくる。
「いらっしゃい。座んなさい」
マーレンが皿を並べている。焼いた肉に香草をまぶしたもの。蒸した芋に木の実のたれをかけたもの。それから、朝採りの果物を搾った飲み物。
ルガが席に着いた。
無言で、肉を一切れ口に運ぶ。
──目が、見開かれた。
咀嚼する動きが、ほんの一瞬だけ止まった。すぐに元の無表情に戻ったが、俺は見逃さなかった。
「……悪くない」
それがこの男の精一杯の賛辞なのだろう。
マーレンは気にした様子もなく、次の皿を出している。蒸した芋をルガの前に置いて、にっこり笑った。
「おかわりはいくらでもあるからね」
ルガがもう一切れ肉を取った。無言で。でも、さっきより少しだけ早く手が伸びていた。
……食の力は偉大だ。交渉より飯だな。いや、交渉がめんどくさいだけか。
食堂を出て、最後に住居へ向かった。
ルナの部屋がある建物。俺の家の隣室だ。
ちょうどルナが起きてきたところだった。目をこすりながら扉から出てきて──兄の姿を見て、耳がぺたんと伏せた。
だが、昨日のようには縮こまらなかった。
ルナがゆっくりと、自分の部屋の中を指差した。
寝台。棚に並んだ絵図カード。窓辺に置かれた小さな花。
「ここ……ルナの、へや」
片言の人族語で、兄に伝えようとしている。
ルガが部屋を見た。広くはない。だが、清潔で、陽当たりがよくて、ルナの私物がきちんと並んでいる。
ルナがもう一枚、絵図カードを差し出した。
『ここ』+『すき』。
ルガの表情は変わらない。だが──拳が、ほんのわずかに震えていた。
俺は、集落の全体を見渡せる場所にルガを連れていった。
小高い丘の上から、集落が一望できる。水路が光を反射して輝いている。畑の緑が朝日に照らされている。食堂から煙が上がり、住居の間を住民たちが行き来している。
「この集落は、ルナがいなけりゃ成り立たない。水源もルナが見つけた。農地の管理もルナの嗅覚がなければここまで効率よくいかなかった」
畳みかけた。感情じゃない。事実だ。
「ルナはここで暮らしている。ここに居場所がある。それを見た上で──お前はまだ連れ帰るのか」
沈黙が落ちた。
朝の風が丘を吹き抜けた。ルガの金色の耳が風に揺れる。
長い沈黙だった。
ルガの目が、集落を見下ろしている。水路を。農地を。食堂を。住居を。そして──朝日の中で、不安そうにこちらを見上げているルナを。
やがて、ルガが口を開いた。
「……認めよう。ここは、悪い場所ではない」
心臓が跳ねた。いけるか。
「ルナが役に立っていることも、分かった。お前たちがルナを邪険にしていないことも」
だが──。
「それでも、部族の掟は掟だ」
金色の瞳が、真っ直ぐ俺を見た。
「はみ出し者を外に置くわけにはいかない。俺は次の長になる男だ。掟を曲げれば、部族の秩序が崩れる」
声に迷いはなかった。集落の力を認めた上で、それでも掟を優先する。理屈じゃない。立場と誇りの問題だ。
……効率化で解ける問題じゃない、か。
スキルは沈黙している。当たり前だ。順路の設計はできても、人の信念は設計できない。掟という壁は、どれだけ合理的な道筋を並べても崩せない。
ルガが背を向けて、戦士たちの元へ戻っていく。
ルナの耳がぺたんと伏せる。尻尾が力なく垂れた。
「……人の心は、効率化できないか」
分かってはいた。でも──。
横で、静かに見ていたマーレンが口を開いた。
「ねえユウト。話し合いの前に、飯よ」
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