第69話「口に肉を入れるな」
ルナが絵図カードで「みせたい」と並べた。
そして俺の手を掴んで、全力で走り出した。
「おい、どこに──速い! お前速すぎる!」
草原の風が顔を叩く。銀色の尻尾が目の前で弾むように揺れていて、景色がぜんぶ横に流れていく。
獣人の脚力は人族の比じゃない。俺の腕が引きちぎれそうだ。
「ルナ! もうちょい……ゆっくり……!」
半刻ほど走らされて──いや、引きずられて──集落の南端、草原が森に変わるあたりで、ルナがようやく足を止めた。
俺は地面に膝をついた。息が止まりそうだ。
めんどくさ……。いや、走りたくなかっただけなのに、走らされた。最悪だ。
ルナはけろっとした顔で、草原の端に積んであった枯れ枝の山を指差した。
その隣には、石で囲った小さな炉がある。地面を浅く掘って、平たい石を並べてある。手作りだ。
「……ルナ、これ、お前が作ったのか?」
ルナが誇らしげに胸を張った。耳がぴこぴこしている。
絵図カードを取り出して、「たべもの」と「みせたい」を並べた。
──料理、してくれるのか。
ルナが身を低くした。鼻がひくひく動く。草原の匂いを嗅いでいる。
次の瞬間、弾丸みたいに飛び出した。
草の中を銀色の影が走る。低い姿勢のまま、音もなく加速する。
そして──ぱっ、と跳ねた。
両手で何かを掴んで、くるりと着地した。
野兎だった。大きい。丸々と太っている。
素手で捕まえた。息ひとつ乱していない。
……怖い。いや、すごい。すごいけど怖い。
ルナが戻ってきて、あっという間に兎の下処理を済ませた。手慣れている。刃物すら使わず、爪と指だけで皮を剥ぎ、内臓を取り分ける。
見ていられない。が、目を逸らすのも失礼な気がして、ぼんやり眺めていた。
火を起こすのも早かった。枯れ枝を組んで、火打ち石を二回打つだけ。
ルナが炉の横から、何かの葉を取り出した。
濃い緑色の、肉厚な葉だ。揉むと、すうっとする青い香りが広がった。ミントに似ているが、もっと深い。森の奥の、湿った土の匂いも混じっている。
ルナがその葉を兎の肉に乗せて、炉の上に並べた。
──じゅう、と音がした。
脂が石の上に落ちて、白い煙が立ち上る。肉の焼ける匂いが鼻を直撃した。
……やばい。腹が鳴りそうだ。
じわじわと、石の熱が肉に染み込んでいく。急激な炎じゃない。炉に溜まった熱気が、下からゆっくりと肉を包んでいる。
『獣人式の焼き方──解析。石の蓄熱で、じんわりとした熱を肉全体に行き渡らせている。急な加熱では表面だけ焦げて中が生になるが、この方法なら肉汁の流出が少ない。加えて、香草の水分が蒸発しながら肉を蒸し焼きにしている。合理的な二段構えの加熱』
……なるほど。見た目は原始的だが、仕組みとしては理にかなっている。
脂がじゅうじゅうと弾ける音。香草がしなしなと萎れながら、甘い煙を上げる。肉の表面がこんがりと色づいていく。
ルナが嬉しそうに尻尾を振っている。耳がぴこぴこ。自慢の料理を見せる子供みたいだ。
焼き上がった肉を、ルナが素手で持ち上げた。
熱くないのか。獣人の手のひらは、たぶん人族より丈夫なんだろう。
「どうぞ!」
ルナが両手で差し出してくる。琥珀色の瞳がきらきらしている。
一口、かじった。
──うまい。
味付けは香草だけ。塩もない。なのに、肉そのものの甘さが口の中に広がった。じっくり焼かれた脂がとろりと溶けて、舌の上で弾ける。噛むたびに肉汁が溢れ出す。香草の青い風味が、獣臭さを綺麗に消している。
「……うまいな。素朴だが、肉のうまさが直接くる」
ルナの耳が最大まで立った。尻尾がぶんぶん振れている。
俺がもう一口食べようとしたとき。
ルナが肉の塊を手で千切って──
俺の口に、直接、突っ込んだ。
「んぐっ!?」
口いっぱいに肉が押し込まれた。熱い。うまいけど熱い。そして量が多い。
「ぐ、口に……! 口に入れるな!」
ルナはきょとんとしている。耳が横に倒れた。何がいけないのか分からない、という顔だ。
もぐもぐと咀嚼しながら──うまい。悔しいがうまい──息を整えた。
飲み込む前に、ルナがもう次の肉を千切っていた。両手で持って、俺の口元にぐいぐい押し込もうとしてくる。
「待て待て待て! まだ口の中に──んぐっ」
遅かった。二口目が押し込まれた。ルナは満足そうに耳をぴこぴこさせている。こいつ、容赦がない。
「あらあら〜♡ 餌付けね♡」
背後から声がした。
マーレンだ。木の陰からにこにこと顔を出している。いつからいたんだこの人。
「マーレン……見てたのか」
「たまたま通りかかっただけよ〜。ルナちゃんがユウトを連れ出すのが見えたから、心配でね♡」
心配じゃなくて興味本位だろ。目が完全に面白がっている。
「獣人はね、大事な相手に自分の獲物を食べさせるの。口に直接っていうのは、一番の親愛表現よ」
「……文化か」
「文化よ〜♡ ルナちゃんに大事にされてるわねぇ」
ルナがまた肉を千切った。そして俺の口に向かって手を伸ばしてくる。
「待て。もう入れるな。自分で食べる。自分で」
ルナが不満そうに耳を倒した。でも、俺が手を差し出すと、ちょこんと肉を乗せてくれた。
……しゃーない。食文化の違いってやつだ。悪気はないんだ。
めんどくさいけど、うまいから許す。
「ねえユウト。お返しに、あたしの料理も食べさせてあげない?」
マーレンが食堂から持ってきた包みを開いた。中には、香辛料で味付けされた焼き鳥──いや、焼き鶏もどきの串が何本か入っていた。
集落の食堂で出している、マーレン自慢の一品だ。南方の香辛料を使って、ぴりっと辛い味付けになっている。
「ルナちゃん、はい。こっちも食べてみて」
マーレンがルナに串を差し出した。
ルナが恐る恐る一口かじった。
耳が──最大展開した。
立つなんてもんじゃない。ぴんっと天を向いて、ぴこぴこぴこぴこと高速で動いている。尻尾は扇風機みたいにぐるぐる回っている。
「なにこれ! おいしい! おいしい!」
叫んだ。人族の言葉で、叫んだ。
二本目の串をひったくるように掴んで、がぶりと噛みついた。頬が膨らむ。目が輝いている。
「おいしい! おいしい! おいしい!」
三回言った。マーレンが満面の笑みで頷いている。
「あらぁ、気に入ってくれたのね♡ 嬉しいわ」
ルナが四本目に手を伸ばしている。食欲がすさまじい。
「ルナちゃんの焼き肉もおいしかったわよ。あの香草、なんて名前かしら。あの子のやり方、うちの食堂に取り入れたいわね」
マーレンの目が商売人の目になっている。食堂の女将の顔だ。
ルナはマーレンの串をすべて食べ終えて、最後の一本の骨をしゃぶっていた。耳がへにょんと垂れている。満足の極みだ。
獣人の焼き肉と、人族の香辛料。
食文化の交換。誰も意図していなかったが、うまいものの前では種族なんて関係ないらしい。
……俺は別に何もしてない。連れ出されて、口に肉を突っ込まれて、マーレンの串を食べただけだ。
でもまあ、うまかったから、いいか。怠惰に過ごした昼飯としては上出来だ。
食堂に戻ったあと。
片づけをマーレンに任せて──というか押しつけて──俺が帰ろうとしたとき。
食堂の隅で、マーレンがこっそり俺に耳打ちする。
「ねえユウト。ルナちゃん、毎日体を拭いてるだけなの知ってる?」
「……温泉があるだろ」
「あの子に見せた?」
「……まだ」
マーレンの笑顔が──すごく、嫌な予感がする。
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