第63話「絵で話そう」
木の板に炭で線を引く。
水。火。食べ物。寝る。危ない。
一回作れば使い回せる。めんどいが、やるだけの価値はある。
昨晩、ルナの泣きそうな顔を見た。
伏せた耳。垂れた尻尾。何かを伝えたいのに、届かない。あの表情を思い出すだけで胸のあたりがざわつく。
……もう一回あの顔を見るほうが、よっぽど面倒だ。
だから、こうして朝っぱらから木の板を削っている。本当は昼寝していたいのに。
言葉がダメなら、絵を使えばいい。見せて、指差して、伝わる。それだけの仕掛けだ。
手のひらに乗る大きさの板を揃える。
同じ大きさで統一すれば、描く手間が減る。持ち運びも楽。ここまでは普通の発想だ。
ここからが違う。
『一枚あたりの描画を六つ以下に。生き物の頭が一度に受け取れる量には限りがある。詰め込みすぎると、かえって伝わりにくくなる』
【効率化】が頭の中に情報を流し込んでくる。
六つ以下。なるほど、言われてみれば納得だ。一枚に何でも描いたら、何を指差しているのか分からなくなる。
『線の色は黒を基本に、重要な箇所に赤と青の二色を追加。三色を超えると識別の手間が増す』
色の使い分けまで指定してくるのか。
まあ、楽になるなら従っておこう。
赤い実を潰して赤。青い花の汁で青。炭で黒。
三色の絵の具もどきが揃った。
最初の一枚。水の絵。波線と水滴。青で塗る。
次。火の絵。炎の形。赤で塗る。
食べ物。果物と肉の絵。寝る。横になった人の絵。危ない。牙をむいた獣の絵に赤い×印。
五枚描いたところで、ふと手が止まった。
……お風呂。
温泉の絵を描くべきだ。あの子、昨日マーレンに連れられて温泉に入ったらしいが、最初は水場だと思って警戒していたとか。
湯気を描いて、笑顔の人を横に置けば伝わるだろう。たぶん。
十枚ほど仕上げたところで、ルナを呼びに行った。
木陰でまだ丸くなっていた。
銀色の尻尾が、寝息に合わせてゆるゆると揺れている。朝日を浴びた毛並みがきらきらと光って──
……いかん。見惚れている場合じゃない。
「ルナ」
耳がぴくっと動く。
ゆっくりと目を開けて、こちらを見上げた。金色の瞳がまだ眠たそうに揺れている。
「こっち来い。見せたいものがある」
手招きすると、のそのそと起き上がって付いてきた。
あくびをしている。尻尾がふわふわと揺れている。かわいい──じゃなくて。
作業台の前に座らせて、木の板を一枚ずつ並べた。
「これが水。これが火。これが食べ物」
一枚ずつ指差しながら、声に出す。
ルナの耳がぴん、と立った。
「アゥ?」
食べ物の絵を見て、鼻をひくひくさせている。絵を嗅いでどうする。
水の絵を指差して、次に井戸のほうを指差す。ルナの目が、絵と井戸を行ったり来たりした。
「クゥン!」
耳がぴこぴこ動いた。尻尾が小さく振れる。
……通じた。通じたぞ。
食べ物の絵を指差すと、ルナが自分のお腹を押さえた。腹が減っているらしい。よし、これも通じている。
調子に乗って、お風呂の絵を見せた。
湯気の中に人が浸かっている絵だ。我ながら上手く描けた。
「アゥッ!?」
ルナの目が見開かれた。
耳がぺたんと伏せられ、尻尾がぶわっと膨らむ。
──あ、これ怖がってる。
次の瞬間、ルナが俺の腕に飛びついた。
「うおっ!?」
しがみつかれた。ぎゅう、と。全体重をかけて。
銀色の耳が俺の顎の下でぶるぶる震えている。
「クゥン、クゥゥン……」
どうやら「人が水に落ちている」と解釈したらしい。助けに行かなきゃ、とでも思ったのか。あるいは俺が溺れる絵だと思ったか。
……絵の才能に問題があるのか、解釈の文化差なのか。たぶん両方だ。
「大丈夫、大丈夫。落ちてない。誰も落ちてない」
背中をぽんぽんと叩く。
ルナの耳が少しずつ起き上がってきた。尻尾の膨らみも収まっていく。
腕の中のぬくもりが、やけに心地よかった。
──いや。気のせいだ。気のせいということにしておく。
お風呂の絵は描き直そう。めんどくさいが、しゃーない。
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夕方。
集落の広場に、いい匂いが漂い始めた。
マーレンが大鍋で煮込み料理を作っている。ぐつぐつと泡立つ音。湯気に混じって、マナ香草の甘い香りがふわりと鼻を撫でた。肉と根菜がとろとろに煮えて、黄金色のスープが夕日を映して輝いている。
「はい、ルナちゃん。あったかいうちに食べなさいな」
マーレンが木の器によそって、ルナの前に差し出した。
ルナが鼻をひくひくさせた。
耳がぴん、と立つ。尻尾が小さく揺れ始める。
おそるおそる、木の匙で一口すくって──口に入れた。
時間が止まった。
ルナの金色の目が、まんまるに見開かれた。
耳がぴこぴこぴこぴこ、止まらない。尻尾がぶんぶんぶんぶん振れている。
目にじわりと涙が浮かんだ。
二口目。三口目。匙を動かす手が加速していく。
頬っぺたにスープが付いているのも気にしない。夢中だ。
そして──
「おい……し……い……」
器を抱きしめたまま、ルナが言った。
声は震えていた。たどたどしかった。
でも確かに──人族の言葉だった。
広場が、静まり返った。
「……え」
「今、この子……」
「人族語で……」
マーレンが両手で口を覆った。その目から、大粒の涙がぼろぼろとこぼれ落ちる。
「あ、あんたっ……言えたじゃないのぉ……!」
住民たちも泣いていた。大の大人が何人も。鼻をすすり、目頭を押さえ、「賢者さまの絵図カードのおかげだ」と勝手に感動している。
……泣くほどのことか?
ルナが俺を見上げた。
涙の浮かんだ金色の瞳。ぴこぴこ動く銀色の耳。スープで汚れた口元。
……まあ。悪くはない。
悪くはないが、俺は別に感動していない。してないったらしてない。
目元が熱いのは、煮込み料理の湯気のせいだ。
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食後、広場の端でリタがルナに木の実のおもちゃを見せていた。
以前、俺が適当に作ったやつだ。ルナが鼻をひくひくさせて、一瞬で中身を嗅ぎ当てる。
「甘い草!」「木の皮!」
リタが同じことをやろうとして──すん、と嗅いで首を傾げた。
「……わかんない」
人族の鼻じゃ勝負にならない。
悔しそうに玉を振ったリタが、かさかさ鳴る音に気づいて目を輝かせた。
「じゃあ、音で当てる!」
嗅覚がダメなら聴覚で。この切り替えの速さは、ある意味才能だと思う。
ノルがおっかなびっくり玉を握っている横で、ルナが匂いを嗅ごうと鼻を近づけ、ノルが「わっ」と飛び退いた。
……子供は、言葉が通じなくても遊べるらしい。
十枚のつもりで作り始めたカードは、気づけば五十枚になっていた。
「水」「食べ物」から「花」「星」「うれしい」まで。
ルナが一枚ずつ指差して、声を出す。まだ意味は分からない。
でも──耳がぴこぴこしている間は、たぶん大丈夫だ。
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