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第56話「揉め事の芽は、寝る前に摘め」

「ユウトさん、ハンスが食料庫の燻製肉を余分に取って……」


「賢者さま、畑の境界線でまた揉めてます」


「賢者さま、休憩時間の配分が不公平だって声が……」


 朝から三件。俺は仲裁人じゃない。


 集会所の長椅子に腰を下ろして、天井を見上げた。板の隙間から差し込む朝日の中で、ほこりがゆっくり舞っている。この光の筋を眺めながら二度寝する予定だった。予定は未定、揉め事は確定。世の中そういうふうにできている。


 人口五十人。その数を超えたあたりから、揉め事が急に増えた。前世の記憶が薄っすら蘇る。人が増えれば揉める。会社でも、近所でも、そうだった。


 面倒すぎる。


「ししょー! ハンスおにいちゃんがね、食料庫でお肉食べてたの! あたし見ちゃった!」


 リタが集会所に駆け込んできた。八歳の告げ口は容赦がない。目が輝いている。正義感じゃなく、面白がっている。この子は揉め事を見つけると、獲物を捕まえた猫みたいな顔になる。


「いや、あれはちょっと味見しただけっすよ! 品質の確認っていうか!」


 ハンスが後ろから現れた。口元に燻製の脂が光っている。証拠を拭ってから来い。


「味見で三切れはないだろ」


 俺のツッコミに、ハンスが目を逸らした。食い意地の化身め。


 その横に、ノルがいた。小さな体をハンスの後ろに隠すようにして、もじもじと足元を見ている。


「ノル、お前も見てたのか」


「……うん」


 蚊の鳴くような声だった。


「なんで言わなかったんだ」


「……ハンスおにいちゃん、おいしそうに食べてたから」


 告げ口しないのは、この子の優しさだ。六歳にしては気を遣いすぎだが、ノルはそういう子だ。ハンスが気まずそうにノルの頭を撫でている。撫でてないで反省しろ。


 一件目、終了。次。


「作業ローテの件ですけど」


 エルマが紙を手に歩いてきた。几帳面に書かれた表には、各班の作業時間が細かく記されている。


「朝の水汲みと夕方の薪割り、担当の偏りがひどいです。一部の班が連日重労働で、別の班は軽作業ばかり。これは配分の問題ですよ」


「そんな細かいことを……」


 住民の一人が口を挟んだ。エルマの目つきが変わった。


「細かくないです。数えれば分かることです。この三日間だけでも──」


 指で表を叩きながら、理詰めで攻める。住民が黙り込んだ。エルマは正しい。正しいが、正しさの刃は人を黙らせるだけで、場の空気を重くする。


 周囲が気まずい顔をしていた。エルマ自身も、唇を引き結んでいる。言いたいことは全部正しいのに、結果として浮いてしまう。この子の不器用さは、見ていてちょっと胸が痛い。


 二件目も片づいた。三件目は畑の境界線。


 もう嫌だ。


 一つ一つ火を消して回るのは、前世の残業と同じだ。終わらない。消しても消しても、火種が残っていれば同じ場所から煙が上がる。


 問題を解決するんじゃない。問題が起きない段取りを組む。


 前世で唯一学んだ有益なことが、これだった。火消しより、火種潰し。段取りを先に組んでしまえば、走り回らずに済む。


 椅子から立ち上がった。


「カイ、来い」


「なんだ、急に」


「揉め事を全部潰す」


 カイが怪訝な顔をした。


「全部? 一件ずつやるのか」


「逆だ。まとめて、根こそぎ」


 集落の中を歩き回った。食料庫、畑、作業場、休憩所、水路の分岐点。人が集まる場所を一つずつ見て回る。見るだけでいい。あとはスキルが勝手にやる。


 集会所に戻って目を閉じた。頭の中に、集落全体の見取り図が浮かぶ。人の動き、物の流れ、時間の重なり。それらが交差する場所で、揉め事が起きている。


 【効率化】が反応した。いつもより情報量が多い。


『揉め事の大半は物の取り合いだ──八十七件のうち七十六件が資源の配り方に起因する。作業負荷の偏りが七件、個人同士の相性によるものが四件。食料の割り振りに偏りがあり、作業の重さが特定の班に集中し、休む場所が一か所に固まっているために順番争いが生じている。物の配り方を変えれば、九割近くは消える』


 八割七分が資源の配分。


 感情の問題じゃない。構造の問題だ。ハンスが燻製肉をつまむのは食い意地のせいじゃなく、自分の取り分が曖昧だからだ。エルマが不公平を訴えるのは神経質だからじゃなく、本当に偏っているからだ。人の心は変えられない。だが、物の配り方なら変えられる。


「カイ、紙くれ」


「……お前、また何か企んでる顔してるぞ」


 企んでない。怠けるための準備だ。


 炭筆を走らせた。食料の配分を世帯ごとに確定させる。一日の取り分を朝に決めて、余りは翌日へ。取り分が明確なら、つまみ食いの動機が消える。


 作業ローテは三日周期で全班を回す。重労働と軽作業を交互に組めば、偏りが出ない。エルマに表を数えさせなくても、最初から公平に組んでおけばいい。


 休憩場所を三か所に分散させる。広場、川辺、木陰。好みで選べるようにすれば、一か所に密集しなくなる。


 相性の悪い組み合わせは、作業班をずらして顔を合わせる頻度を減らす。嫌いな相手と距離を取れれば、嫌いなままでも揉めない。心を変えるんじゃない。距離を変えるだけだ。


 書き上がった紙をカイに渡した。


「これ全部、今思いついたのか」


「俺が仲裁に呼ばれない仕組みだ。明日から頼む」


「自分が楽するためかよ」


「それ以外に動機があったら怖いだろ」


 カイが呆れ顔で紙を受け取って出ていった。真面目な男だから、任せておけば確実にやる。


 ──数日後。


 朝、誰にも起こされなかった。


 昼、集会所に駆け込んでくる住民がいなかった。


 夕方、揉め事の報告がゼロだった。


 配分の段取りが回り始めてから、集落が嘘みたいに静かだった。


 食料庫の前でハンスがにこにこしている。毎朝自分の取り分が確保されるようになって、つまみ食いの動機が消えたらしい。


「今日の分、もう取ってあるっす! 昼飯が楽しみだなぁ」


 満足顔で食堂に向かうその背中には、後ろめたさのかけらもない。


 作業場の横では、エルマがローテ表を眺めていた。


「三日周期で全班回し。……うん、これなら公平です」


 誰に向けてでもなく、静かに頷いている。理屈が通っていれば、この子は納得する。


 広場のベンチで、住民が二人、ぼんやり並んでいた。


「最近、揉め事って減ったよな」


「減ったっていうか……なくなったよな」


「揉め事ってどうやるんだっけ」


「……何にだろうな」


 二人して首を傾げている。いや、それは忘れすぎだろ。さすがにやりすぎたか。


「お前さ」


 カイが隣に来ていた。腕を組んで、呆れと感心が半々の顔をしている。


「揉め事すら効率化したのか」


「効率化じゃない。予防だ」


「同じだろ」


 同じじゃないが、説明が面倒くさいので黙っておいた。


 広場を吹き抜けた風が、干してある洗濯物をばたばた揺らした。陽の匂いを吸った布の、温かくて少し草っぽい香りが鼻をかすめる。平和の匂いだ、たぶん。


 揉め事が消えた集落は、嘘みたいに穏やかだった。誰もが自分の持ち場で、自分の分をこなして、適度に休んでいる。


 俺がいなくても回る仕組み。それが、本当の効率だ。


 ……これで、やっと心置きなく昼寝ができる。はずだ。はずなんだが──なぜか、ほんの少しだけ、物足りない。

お読みいただきありがとうございました!


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