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第51話「客が増えると昼寝が減る」

 商人が去ってから、わずか五日で三組の旅人が新しい道を通ってやってきた。


 一組目は商人仲間。二組目は食い詰めた難民。三組目は──なんと、わざわざ「噂の飯」を食いに来た物好きだった。


 俺の昼寝の時間が、日ごとに削られている。


「ユウト! 五組目だ、出迎えろ!」


 カイの声が、木陰のハンモックまで飛んでくる。


「嫌だ」


「お前も少しは──」


「出迎えはカイの仕事。俺の仕事は寝ること。役割の分担だ」


 目も開けずに言い切った。木漏れ日がまぶたの裏をちらちらと揺らしている。午後の風は、マーレンの焼いたパンの甘い匂いと、遠くの草原の青い香りを運んでくる。


 この木陰は朝の日差しが絶妙に遮られる一等地で、風が抜ける角度まで把握済みだ。ここを離れる理由がない。


 カイが何か叫びかけたが、入口から「すみませーん」と新たな声がして、舌打ちしながら走っていった。ご苦労なことだ。


 ──ただ、困った問題が一つある。


 泊まる場所が足りない。


 今の集落は住民が約五十人。家屋は全部住民用に建てたから、旅人の寝床がない。初日の商人仲間は集会所の隅に寝かせた。二組目の難民は空きテントに押し込んだ。三組目の物好きは──マーレンの食堂の床で雑魚寝していた。


「ユウトさん」


 ドスの大きな影が日差しを遮った。がっしりした体に似合わない困り顔で、こっちを見下ろしている。


「旅人の寝床、どうするんです? 昨夜は食堂で寝かせたんすけど、マーレンさんに朝から怒鳴られて」


「想像つくな」


「『あたしの厨房で寝るんじゃないよ!』って。正直、俺もう怒鳴られたくないんで」


 マーレンに怒鳴られるのは確かに避けたい。あの声量は集落の端まで届く。


 面倒だ。だが、このまま放っておくと「旅人が来るたびに俺が場所を考える」という最悪の日課が生まれる。今のうちに仕組みを作っておかないと、後で百倍面倒になる。


 未来の昼寝のために、今だけ動こう。


 渋々ハンモックを降りて、集落の東側に足を向けた。ドスがのっそりとついてくる。


 東側は丘陵に向かって緩やかに傾斜している。住民の家屋からは離れていて、交易路への接続も近い。


 地面に片膝をつき、手のひらを土に触れた。


 頭の中に、声が響く。


『この区画、傾斜を利用すれば排水に優れる。旅人用の宿泊棟を六棟、共有の水場を一か所、荷物置き場を交易路沿いに配置すれば動線に無駄がない──住民の居住区とは柵一枚で区切れば、騒音と生活圏の分離が可能になる』


 淡い光の線が、地面の上にすうっと浮かび上がった。建物の配置、水場の位置、柵の場所。全部が一瞬で見える。


「……人の寝床の配置まで仕切るのか、このスキルは」


 文句を言いつつも、提案は的確だった。旅人が住民の生活圏に入り込まなければ、揉め事も減る。揉め事が減れば、俺に相談が来る回数も減る。


 つまり昼寝が増える。それでいい。


「ドス。ここに旅人用の小屋を六棟。規格は住民用と同じでいい。柵はこの線に沿って」


「六棟っすか! わかりました、すぐ取りかかります!」


 ドスが嬉しそうに腕まくりをした。力仕事は嫌いじゃないらしい。


「あと、水場はこっち。荷物置き場は交易路の横」


「了解っす!」


 地面に残った光の線をドスが指でなぞりながら、建設班の仲間を呼びに走っていく。


 泊まれる場所があれば、連泊する商人も出る。連泊してくれれば交易の窓口はカイに固定される。カイに固定されれば、俺は出向かなくていい。完璧だ。


 広場に戻ると、食堂の前が騒がしかった。


「ししょー! 見て見て!」


 リタが駆け寄ってきた。両手にトビアスが置いていった貝殻の飾りを抱えている。いくつかを紐で繋いで、首飾りにしたらしい。


「これとこれ繋げたら、きらきらするの! すごくない?」


「すごいな。遠くで光らせてくれ」


「えー、もっとちゃんと見てよー」


 八歳の好奇心は底なしだ。器用なものだと思いつつ、食堂の方へ目をやった。


 中では、別の騒ぎが起こっていた。


「うっめぇ! これ前に食ったのと全然違う!」


 ハンスの声だ。旅人が持ち込んだ見慣れない赤い根菜を、そのまま齧っている。生で。


「あんた! 毒かもしれないものを確かめもせずに食べるんじゃないよ!」


 マーレンが鍋を片手に怒鳴った。


「大丈夫っすよ。甘みが強くて、繊維が柔らかい。皮の下に渋みがあるんで剥いた方がいいっす。煮込みに入れたら絶対うまくなる」


 一口で、そこまで言い当てる。港の食い道楽が三日かけて出す結論を、噛んだ瞬間に当てるこの男の舌は、もはや集落の公式な味見番だ。


 マーレンが渋い顔で根菜を受け取った。


「まったく。──まあ、香りは悪くないね。今夜試してみるよ」


「やった! マーレンさんが作ったら絶対うまいっすよ!」


「おだてても量は増やさないからね」


 旅人の物好きが、この一部始終を目を丸くして見ていた。


「すげえ集落だな……旧大陸のどんな宿より飯がうまいとは聞いてたが、まさかこんな活気があるとは」


 その旅人が、ふとカイの方を向いた。


「あの、ここの賢者さまって、どんな偉い方なんです? 港の商人が『全てを見通す知恵者がいる』って、えらく持ち上げてまして」


 カイの目が光った。にやりと、実に楽しそうに。


 嫌な予感しかしない。


「見せてやるよ。──ほら、あそこ」


 カイが指差した先。西の木陰のハンモック。たった今戻ったばかりの俺が、口を半開きにして寝転がっている。


 旅人の表情が、期待から困惑へ。順を追って崩れていく。


「……あれが?」


「ああ、あれがうちの賢者さまだ」


 カイが満面の笑みで言い切った。なぜそんなに嬉しそうなんだ。


「……寝てますよね」


「いつも寝てるぞ。なのに、朝起きたら集落がよくなってる。不思議だろ?」


 旅人が絶句している。気持ちはわかる。だが弁解する気はない。


 眠いものは眠い。


 夕暮れ時。食堂で飯をかきこんでいると、さっきの旅人が世間話を始めた。


「そういえば、南の大草原を通ってきたんですが──変わった噂を聞きましてね」


「ほう」


「草原に、見慣れない獣がいるらしいんです。銀色の毛並みで、二足で立つこともあるとか。商隊の連中は気味悪がって近寄らないそうで」


 ──銀色。


 匙が止まった。


 脳裏に、あの夜の映像がよぎる。食料庫の棚。散らかった干し肉。暗がりの中で一瞬だけ見えた、銀色の耳と、ふわりとした毛並みの残像。


 食料庫の減りは、今も続いている。少しずつ、だが確実に。


「まあ、魔獣の類でしょう。南の草原は時々おかしなのが出るって港でも聞きましたし」


 旅人は大して気にしていない。世間話の一つとして流している。


 だが俺の頭の中では、南の獣と、食料庫の犯人の像が、ぼんやりと重なりかけていた。


「カイ、俺は先に寝る」


「早えよ。日が暮れたばかりだぞ」


「明日も旅人が来る。その前に寝溜めだ」


 食堂を出て、ハンモックに潜り込んだ。


 旅人の言葉が、妙に頭にこびりついている。


 南の草原の、銀色の獣。あの夜、食料庫で見た銀色の耳と、ふわりとした毛並みの残像。


 ──考えるのは明日にしよう。今日はもう眠い。


 だが目を閉じても、あの銀色の光だけが、まぶたの裏にちらついて消えなかった。

お読みいただきありがとうございました!


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