表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
50/71

第50話「腹が減っては交渉もできない」

 旅商人トビアスは、整った道を見て足を止めた。


 水路を見て目を丸くし、規格化された木造家屋を見て口を開け、食料庫の保存食の山を見て腰を抜かしかけた。


 だが、本当にこの男が声を失ったのは──マーレンの料理を口にした時だった。


 順を追って話そう。


 昨日の夕方。温泉の余韻に浸っていた俺のもとに、レオンが「商人が来ました!」と駆け込んできた。


 渋々湯から上がって集落の入口に向かうと、荷物を満載にした馬車と、人の良さそうな笑顔を浮かべた男が立っていた。


「いやぁ、お邪魔します! 東の港から参りました旅商人のトビアスと申します! いい集落ですねぇ!」


 三十を少し過ぎたくらいか。日に焼けた肌。旅慣れた足取り。愛想のいい声。


 ──ただし、目だけが笑っていなかった。


 明るい声とは裏腹に、鋭い視線が集落をぐるりと舐め回している。水路、家屋、食料庫、整備された道。その一つ一つを、まるで値札を貼るように見つめていた。


「ほう……石組みの水路ですか。港町でもこれだけの造りは珍しい。施工費だけで金貨五十枚は下らない」


 独り言のつもりなのか、聞かせているのか。


「この道路は排水溝まで完備ですか。これだけの街道整備は──金貨七十枚でも足りない」


 ……こいつ、全部を金に換算している。


 カイが横から口を挟んだ。


「おい、金貨がどうとか言ってるが、売り物じゃないぞ」


「ええ、もちろん! つい癖で。すみません」


 トビアスが頭を掻く。だが目は相変わらず鋭い。叩き上げの商人というのは、こういうものなのだろう。笑顔は武器で、目は秤だ。


 面倒な客が来たものだ。温泉に戻りたい。


「まあ、商人なら用があるんだろ。カイに言ってくれ。俺は関係ない」


「まあまあ、そう言わず! 東の港でこちらの干し肉を食べまして。旅人が持ち込んだとかで。一口食べて飛んできたんです」


 トビアスの目が光った。


「こんな味、旧大陸の市場でも出会ったことがない。貴族の晩餐にだって並ばない品ですよ」


 褒めすぎだ。俺が楽をしたくて保存条件を割り出しただけの、ただの燻製肉だぞ。


「で、おいくらで卸していただけます?」


 ……もう値段の話か。早い。


「腹が減っては交渉もできないだろ。とりあえず飯でも食え」


 面倒事を先延ばしにするための、苦肉の一手だった。


 結果として、これが決定打になった。


 食堂に通したトビアスの前に、マーレンの料理が並ぶ。マナ香草で風味をつけた焼き肉。三種の調味料で味つけした根菜の煮込み。岩塩と木の実の甘辛い漬け物。


 トビアスが一口食べた。


 フォークが、止まった。


「……は?」


 二口目。三口目。噛むたびに表情が変わっていく。愛想のいい商人の仮面が剥がれ落ち、素の驚愕が露わになる。


「なんだこれ。こんな味が、新大陸の──しかも開拓地で?」


 マーレンが腕を組んで、どこか得意げに鼻を鳴らした。


「当然でしょ。うちの食材と調味料は一級品だからね」


「冗談抜きで、旧大陸の高級料理店と張り合えます。いや、素材の質で言えば勝ってる」


 トビアスが煮込みをもう一口。


「お、これもいいですね。……いくらで卸します?」


 食べながら商談。ある意味、効率的だ。


 その時、トビアスが馬車から布袋を取り出した。


「お近づきのしるしに、おまけですよ。東の港で仕入れた珍しいものです」


 袋の中身は見慣れない木の実や乾燥した果実、色鮮やかな貝殻の飾りが幾つか。


 ──瞬間、横から小さな影が飛び出した。


「わあっ! なにこれ、きれい!」


 リタだ。貝殻の飾りに目を輝かせて、両手で掴んでいる。


「ししょー見て! きらきらしてる!」


「おい、人のものを勝手に──」


「いいですよいいですよ! お嬢ちゃん、それあげます」


 トビアスが笑った。今度は目も笑っている。子供相手には素が出るらしい。


 ──ただ、リタが珍しいものに飛びつく姿を見ると、何となく嫌な予感がした。この好奇心の塊に見知らぬ品を与えたら、次に何が起こるかわからない。


 まあ、貝殻くらいなら大丈夫だろう。たぶん。


 トビアスが次に取り出したのは、見慣れない食材だった。黒い果実、白い根菜、紫色の葉。東の港で仕入れたらしい。


「正直言ってこの食材、扱いがわからなくて──」


 説明が終わる前に、にゅっと手が伸びた。


 ハンスだ。


 黒い果実を一つ掴み、そのまま口に放り込んだ。


「お、お前! それ毒があるかもしれないって港の連中が──」


「んぐんぐ……」


 全員が固唾を呑んで見守る。


 ハンスが顔をしかめた。──と思ったら、にかっと笑った。


「いける。甘みが強い。ただ皮が渋いから剥いた方がうまい。種のまわりに苦味があるから、そこだけ避ければ──うん、焼いたらもっとうまくなるな、これ」


 一口で、そこまで言い当てた。


 トビアスが目を見開いた。


「お前さん……東の港の食い道楽たちが三日がかりで出した結論を、一口で当てたぞ」


「え、そうすか? 俺、腹減ってただけっすけど」


 ハンスが頭を掻く。悪気はない。ただ食い意地が張っているだけだ。だが、その舌は本物だった。


 トビアスの目つきが変わった。集落を見回したときの、あの秤で量る目だ。


「この集落……とんでもないところだ」


 トビアスが居住まいを正した。


「改めてお願いがあります。この集落の村長に会わせてください。正式に交易の話がしたい」


 カイが俺を見た。マーレンが俺を見た。レオンが俺を見た。ハンスが俺を見た。


 食堂にいた住民が、全員、俺を指差した。


 ──嘘だろ。


「いや、俺は村長じゃない。断じて違う」


「皆さんの総意のようですが……」


「総意じゃない。誤解だ。カイ、お前が村長だろ」


「俺は現場監督だな」


「マーレン」


「あたしは料理担当よ。賢者さまに任せるわ」


「その呼び方やめろ」


「賢者さま!」


 住民の一人が叫んだ。二人、三人と続く。


「賢者さま! 賢者さま!」


 ──逃げよう。


 俺は全力で食堂を飛び出した。背後で「ししょーにげたー!」というリタの声と、マーレンの「あの子は照れ屋だから気にしないで」という声が追いかけてくる。


 照れ屋じゃない。面倒が嫌なだけだ。


 結局、交易の取り決めはカイとマーレンがまとめてくれた。俺は一切関わっていない。他人が勝手に働いてくれるなら、それが最も効率的だ。


 思えば、保存食も調味料も道路も、全部「楽をしたい」から始めたことだ。毎日の料理が面倒で保存食を作った。塩だけの味に飽きて調味料を作った。旅人の案内が面倒で道を作った。


 その全部が、交易品になった。


 怠惰を突き詰めた先に、商いが生まれる。世の中わからないものだ。


 翌朝。


 トビアスは保存食をたっぷり馬車に積み込んで去っていった。代わりに残されたのは、旧大陸の布が三反、鉄の小道具が一箱、そして──集落の存在を東の港に広めるという約束。


 カイが鉄の鉈を嬉しそうに振っている。マーレンは布を広げて「やっとまともな服が縫える」と目を輝かせていた。


 俺はハンモックの上で、遠ざかる馬車の砂埃を眺めた。


 ……人が増えるぞ。面倒が増えるぞ。でもまあ、労働力も増える。


 差し引きで、まあいいか。たぶん。

お読みいただきありがとうございました!


もし『この怠惰な主人公、面白いな』と思っていただけたら、下の【☆☆☆☆☆】やブックマークで応援いただけると、執筆の励み(と睡眠時間の確保)になります!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ