第49話「温泉が湧いた。俺の勝ちだ」
道路工事の翌日。街道の補修作業中に、ドスのシャベルが妙に柔らかい地面を突き破った。
ぼこん、という鈍い音。
次の瞬間──地面から、白い湯気が噴き出した。
「うおっ!?」
ドスが飛び退く。シャベルが開けた穴から、熱い水が勢いよく湧き上がっている。
硫黄の匂い。肌に触れる蒸気の温かさ。俺の鼻腔に、前世で嗅ぎ慣れた匂いが蘇った。
──温泉だ。
考えるより先に、【効率化】が反応した。
『泉温四十二度。硫黄成分は微量──疲労した筋繊維の回復を促す良質の湯。人体に害はない』
前世の銭湯の記憶が鮮明に蘇る。仕事終わりの熱い風呂。首まで浸かって天井を見上げるあの至福。ブラック企業時代、唯一の癒しだった。
この世界に来てから、ずっと水浴びしかしていない。道路工事で腰は痛いし肩は重い。
つまり──疲労回復は、効率化だ。
「ドス。道路は後だ。ここに湯船を掘る」
「湯船ですか。まっすぐ掘ればいいんですね」
ドスはシャベルを構え直した。力任せに地面を掘りはじめる。
そこへ、エルマが走ってきた。ドスの弟子。理屈派の少女だ。
「師匠! 何してるんですか!」
「湯が出た。湯船を掘る」
「えっ──地層的にその角度はまずいですよ! 昨日マナ脈を避けたのに、そっちに掘ったら水脈と交差して──」
「理屈はいいから手を動かせ」
「ですから、ここをまっすぐ掘ると──」
ざく。ざく。ざく。
ドスは聞いていない。がむしゃらにシャベルを振り下ろしている。
「師匠! 聞いてくださいって──」
ぼごん。
ドスのシャベルが何かを貫いた瞬間、新たな湯が噴き出した。先ほどより太い湯脈だ。温かな湯が掘った穴にみるみる溜まっていく。
「……あ」
エルマが絶句した。
湯は穴を満たし、天然の湯船のような形になっている。湯加減もちょうどいい。
「……結果オーライですけど! 理屈通りじゃないですよ!」
「結果が全てだ」
「全てじゃないです! 過程も大事なんです!」
ドスが悪びれもせずシャベルを肩に担いだ。エルマが頬を膨らませている。
──面白い師弟だな。
まあ、結果オーライなら文句はない。
「よし、俺が湯船を整える。ドス、周りの石を集めてくれ」
【効率化】で湯船の構造を設計した。排水経路。温度を維持するための深さ。縁の高さ。石の組み方。やっていることは前世の露天風呂の設計そのものだ。怠惰の追求がここまで来た。
ドスとエルマが石を運び、組み上げていく。エルマは文句を言いながらも手は正確で、さすが理屈派だった。
一時間ほどで、石組みの露天風呂が完成した。
服を脱いで湯に足を入れる。
──じんわりと、温かさが足首から全身に染み込んでいく。
首まで浸かった。空を見上げた。青い空。白い湯気。鳥の声。
「…………勝った」
何に勝ったのか、自分でもわからない。だが、勝ったのだ。異世界に温泉を作った。これは勝利以外の何物でもない。
五分ほど至福を味わっていた。
そのときだった。
「いい湯見つけたって? あたしらも入るよ!」
マーレンの声が、集落の方角から飛んできた。
振り向くと──マーレンが女性住民を五、六人引き連れて、こちらに歩いてくる。全員、手ぬぐいを持っている。準備が良すぎる。
「ちょ、待て。混浴じゃねぇ。仕切りが先だろ」
「何言ってんの。この大陸じゃ湯浴みなんて誰でも一緒だよ」
「俺の常識では一緒じゃない!」
マーレンの後ろから、小さな影が二つ駆けてきた。
「ししょー! おふろ! おふろ!」
リタだ。目をきらきらさせて走ってくる。
その手を、小さな男の子──ノルが握っていた。
ノルが湯気を見た瞬間、目を見開いた。白い蒸気がもうもうと立ち込める光景に、小さな体がびくっと震える。
「……ひっ」
顔がくしゃっと歪んで、大きな目に涙が浮かんだ。
「ノル、大丈夫だよ! あったかいだけだよ!」
リタがノルの手をぎゅっと握り直して、湯気に向かって一歩踏み出した。ノルは泣きそうな顔のまま、それでもリタの手を離さずについていく。
──ガキどもの面倒見がいいな、あいつは。
だが今はそれどころじゃない。マーレンが上着の襟元に手をかけている。
「マーレン! 男女別にする! 仕切りを作るから待て!」
「何分?」
「十分」
「長い。五分にしな」
「……七分」
「交渉成立」
交渉じゃない。時間制限付きの脅迫だ。
湯から飛び出して、【効率化】を全力で起動した。
真ん中に石の壁。高さは立った人間の肩まで。排水経路を分離。温度は両方均等に保つ構造──
と、スキルが余計な情報を出しやがった。
『なお、仕切りなしの場合の視線遮蔽率は三十七パーセント。風向きが変わると十二パーセントまで低下する』
「黙れ」
誰も聞いてない数字を出すな。
「ドス! ここに壁だ! 石を積め!」
「了解です。……なんでそんな必死なんです?」
「聞くな。やれ」
ドスとエルマが全速で石を運ぶ。エルマは状況を察したのか、顔を赤くしながらも正確に石を組んでいた。こういうときだけ理屈派が頼もしい。
六分で仕切り壁が完成した。一分余った。
「はい、男女別にしたぞ」
「つまんないの」
マーレンが笑って、女性陣を連れて女湯へ回った。
石壁の向こうで、ぱしゃん、と水音が響く。
「あったかーい!」
リタの声だ。続いて女性住民たちの歓声が上がる。
ノルはまだ泣いているらしい。小さなすすり泣きが聞こえた。だが、リタの「大丈夫、大丈夫。ほら、気持ちいいでしょ?」という声も聞こえて、やがて泣き声は止んだ。
マーレンの「あー、極楽……」という、やけに艶っぽいため息が壁越しに漏れてくる。
──遮音設計を入れるべきだったか。いや、それは過剰だ。俺は何を考えている。
男湯に身を沈め直した。
四十二度の温もりが、全身を包み込む。肩の力が一瞬で抜けていく。道路工事で痛めた腰が、じんわりと楽になった。
目を閉じると、前世のスーパー銭湯の記憶と重なる。
文明とは何か。それは風呂だ。風呂のない文明は文明じゃない。今日この瞬間、この集落は文明になった。
──勝った。やはり、俺の勝ちだ。
湯気に包まれて、極上の脱力を味わう。このまま昼寝に入りたい。温泉で寝落ちは危険だが、今の俺にそんな心配をする余裕はない。
と──湯気の向こうから、バタバタと走る足音が聞こえた。
「ユウトさん!」
レオンだ。見張りのはずのレオンが、息を切らせてこちらに駆けてくる。
「ユウトさん! 商人が来てます! しかも、うちの保存食をめちゃくちゃ欲しがってます!」
……風呂上がりに面倒事か。
せっかくの温泉が台無しだ。だが、向こうから来てくれるなら、こっちから出向く手間は省ける。
差し引き──まあ、悪くない。たぶん。
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