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第43話「食べられる草と、食べられない俺の休日」

 畑の東側に、見たことのない草が群生していた。

 丈は膝ほど。濃い緑の葉の間に、淡い紫の花がぽつぽつと咲いている。

 触った瞬間、頭の中で【効率化】が唐突に叫んだ。


『食える。うまい。炒めろ』


 ……いや、雑すぎるだろ。


 昨夜、ベッドに潜り込んだとき鼻をかすめた甘い草の匂い。あれの正体を確かめに来ただけだ。ちょっと調べて、すぐハンモックに戻る。それが今日の計画のすべてだった。

 なのに、しゃがんで隣の草に指先を伸ばした途端、また声が響く。


『食えない。苦味が強い。家畜の飼料にはなる』


 次。


『食える。根に甘みあり。皮を剥いて蒸すのが最適』


 次。


『毒。触れた手を洗うこと』


 うわ危ねえ。慌てて水筒の水で指を洗い、一息ついてから──つい、また隣の草に手を伸ばしてしまった。


『食える。葉を乾燥させると保存が利く──風味は弱いが汁物の出汁になる』


 止まらない。

 触るたびに食えるか食えないかが瞬時に分かる。毒草には警告が飛んでくるし、食えるものには調理法まで付いてくる。

 便利すぎて、気づいたら畑の東端を端から端まで歩いていた。


 ……休日なのに、何やってるんだ俺。


 いや、これは労働じゃない。ちょっとした散歩だ。散歩のついでに草を触っているだけだ。

 そう自分に言い聞かせながら、足は勝手に畑の南端へ向かっていた。森との境目あたりに、ひときわ鮮やかな紫色が見える。


 近づいた瞬間、空気が変わった。

 甘くて、どこか花のような芳香。鼻を抜ける匂いだけで、唾が湧いてくる。


 紫の葉に触れた途端──頭の奥で、今までとは段違いの反応が弾けた。


『マナを含んでいる。風味を増幅する効果あり──肉にも魚にも合う。この土地の固有種。希少』


 ……マナ?

 この世界の大地に満ちている、あの力か。土壌や水に溶けていることは知っていたが、まさか草の味にまで関わってくるとは思わなかった。

 一枚ちぎって嗅いでみる。甘さの奥にほんのり苦味がある。前世で言えば──バジルとミントを足して、さらに何か知らない芳香を重ねたような匂い。

 この世界にしかない、この土地にしかない味だ。


 面白い。

 ──いや、面白いとか言ってる場合じゃない。俺は今日、昼寝を……。


「ししょー!」


 甲高い声が背中に突き刺さった。

 振り返ると、栗色の髪を二つに結んだ女の子が全力で駆けてくる。八つくらいの歳だ。その後ろを、ひと回り小さな金髪の男の子がとてとてと追いかけていた。六つかそこらだろう。走り方からして、まだ足が短くて追いつけない年頃だ。


「リタ、走るな。転ぶぞ」

「転ばないもん! ねえねえ、ししょー、何してるの!?」


 リタ。開拓民の家族に混じってやってきた子だ。なぜか俺のことを「ししょー」と呼ぶ。師匠の意味で言っているらしいが、俺は何も教えた覚えがない。

 後ろの男の子──ノルは、俺の顔を見上げてぴたりと足を止めた。森の境目が近いせいか、薄暗い木立の方をちらちら見て、唇をきゅっと結んでいる。小さな手がリタの服の裾を、ぎゅっと握った。


「ノル、だいじょぶだよ。ししょーは怖くないから!」

「……こわくない?」

「うん! だってししょー、いっつも寝てるもん」


 反論できない。


「ししょー、あそぶもの作って!」


 リタが両手を広げて要求してきた。

 ……いや、なんで俺に頼むんだ。


「俺は忙しい。草を調べてるんだ」

「くさ? くさよりあそぶものがいい!」

「草も大事なんだよ。食えるかどうか……」

「あそぶもの!」


 交渉の余地がない。八歳児の押しの強さは、カイの熱血演説より厄介だ。

 ノルが不安そうに目をうるませている。草むらの向こうの暗がりが怖いのだろう。今にも泣き出しそうな顔だった。


「……分かった。ちょっとだけな」


 足元を見ると、さっき判定した木の実の殻が転がっていた。それと、大きめの葉っぱが数枚。

 適当に殻をくるんで丸めて、はいどうぞ──と渡そうとした瞬間、指先にかすかな感覚が走った。


『殻の重心が偏っている──葉の巻き方を逆にし、底面を平らにすれば安定して転がる』


 おい。おもちゃにまで口を出すのか、お前。


 けど、指が勝手に動いた。殻の向きを変えて、葉を巻き直す。ものの十秒だった。

 できあがったのは、手のひらに収まるくらいの、ころんとした緑色の玉。べつに凝ったものを作るつもりはなかった。指先が勝手にやっただけだ。

 試しに地面に転がしてみると、妙にまっすぐ、すいーっと転がっていった。


「わあ! すごい! ころころいく!」


 リタが目を輝かせて追いかけ、拾い上げて、また転がす。

 ノルは泣きそうな顔のまま、じっとそれを目で追っていた。リタが「ノルもやって!」と手渡すと、おずおずと指で弾く。

 玉がまっすぐ転がったのを見て──ノルが、ぱっと笑った。

 さっきまで泣きかけていたのが嘘みたいな、花が咲くような笑顔だった。


「もう一個つくって、ししょー! もっとすごいの!」

「いや、俺は草を……」

「ししょーじゃなきゃやだ!」


 だから俺は師匠じゃないって。


 結局、リタとノルを引き連れたまま畑の周りをもう一周することになった。草を触っては判定し、リタに「それたべれる?」と聞かれ、ノルに服の裾を掴まれ、合間におもちゃをせがまれる。

 休日とは一体なんだったのか。


 気づけば、空が橙色に染まっていた。


「ユウト、お前……今日一日中これやってたのか」


 広場に戻った俺を、カイが呆れた顔で迎えた。

 手元を見下ろす。いつの間にか、両手いっぱいの食材サンプルと、地面に枝で描いた図解メモが広がっていた。食える草、食えない草、毒草、調理法、保存法──ざっと数えて三十種以上。


 ……ちょっと調べるだけのはずだったのに。


「賢者さまが食材図鑑を作ったぞ!」


 誰かが叫んだ。住民たちがわらわらと集まってくる。

 やめろ。図鑑じゃない。散歩のメモだ。


「ししょー、またあしたもやる!?」


 リタが俺のズボンの裾を引っ張る。ノルはその横で、さっき作った木の実の玉を大事そうに両手で抱えていた。


 ……やりすぎた。


 俺はため息をついて、紫の香草をマーレンに押しつけた。


「これ、使ってみてくれ。たぶん、肉に合う」


 マーレンが興味深そうに鼻を近づけ、目を丸くした。


「いい匂い……これ、肉に合いそうね」


 俺の効率化が、今日集めた食材の最適な組み合わせを勝手にぐるぐると回し始めている。


 ……明日は、ちょっと本気の飯が食えるかもしれない。

 いや、楽しみとかじゃない。効率的な食事に期待しているだけだ。

 絶対に、そうだ。

お読みいただきありがとうございました!


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