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働きたくないので効率化していたら、いつの間にか文明ができていました  作者: 猫野ひかる
第2章「仲間?いや労働力」

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第38話「完璧な昼寝と、二つの異変」

 目が覚めた。


 寝返りを打った腕の下で、枕代わりの布がぬるかった。腹は減っていない。誰にも呼ばれていない。


 ──完璧だ。


 これぞ俺が夢に見た、何もしなくていい朝。いや、もう昼か。太陽の位置からして、とっくに午前の作業時間は過ぎている。


 だが俺には関係ない。引退したのだ。昨日あの手順書を叩きつけた瞬間から、この集落における俺の仕事は消滅した。


 ハンモックの網目から薄目を開けて集落を眺める。


 カイが手順書を片手に声を張り上げ、建築班が二棟目の家屋の柱を立てている。農業班のドスが水路の分岐点で流量を調整し、カルルが木材の寸法を測って鉈を振るう。


 全員が手順書通りに動いている。


 誰一人として、俺のほうを見ない。


「…………」


 ハンモックの網目に指を引っ掛けて、ゆっくりと揺らす。俺が作った仕組みが完璧に機能している。


 俺はハンモックの中で寝返りを打ち、反対側を向いた。目を閉じる。


 ……。


 …………。


 ………………暇だ。


 いや、待て。暇なのは良いことだ。暇こそが俺の求めていたものだ。暇を手に入れるために前世の記憶を絞り出し、チートの【効率化】を酷使し、夜な夜な木簡に文字を彫り続けたのだ。


 暇、最高。暇、万歳。


「……暇すぎて死にそうだ」


 駄目だった。一時間で限界が来る。


 ハンモックから降りて伸びをする。肩が鳴った。空が青い。雲が白い。だから何だ。


 集落の中央広場では、マーレンが大鍋をかき回しながら昼飯の仕込みをしている。その横を住民たちが忙しそうに行き交い、誰もが自分の持ち場で汗を流している。


 俺だけが、何もしていない。


 ……いや、これでいい。これが理想だ。俺は仕組みを作る人間であって、仕組みを回す歯車じゃない。完成した以上、設計者の出番は終わりだ。


 ただ、その、なんというか。少しだけ手持ち無沙汰というか。


「散歩だ」


 俺は誰に言うでもなく呟いた。


 ただの散歩だ。別に集落の連中が俺を必要としていないのが寂しいとか、そういうことじゃない。


 早口で言い訳を並べながら、南門を抜ける。


 柵の外に出ると、土の匂いが重い。集落の中の、木と煙が混じった空気とはまるで違う。マナに満ちたこの大陸の、濃い空気が肺に沈む。


 南に広がる草原は、腰の高さまで伸びた緑の草が風に揺れて波のようにうねっている。空が広い。どこまでも続く緑と、その向こうに霞む地平線。


 前世では見たこともない景色だ。あの狭い事務所の蛍光灯の下で死んだ俺が、今こうして風に吹かれている。それだけで、まあ、悪くはない。


 のんびりと草原の縁を歩く。穂先が膝を撫でるくすぐったさを感じながら、何も考えずにぼんやりと──


 足が止まる。


「……なんだ、これ」


 草が、不自然に倒れている。


 幅は三歩分。草が根元から踏み潰され、地面がむき出しになった筋が、南の方角へ真っ直ぐに伸びている。獣道だ。だが俺がこれまで見てきたどの獣道とも規模が違う。


 踏み倒された草の断面はまだ青みが残っている。ここ数日のうちに何かが通った痕だ。


 足跡を見つける。


 ──でかい。


 俺の足の三倍はある。爪の跡が深く地面にめり込み、湿った土がえぐれて窪みに水が溜まっている。この森の周辺にいる狼型や猪型の魔物と比べても、倍以上の大きさだ。


 しかもこの足跡、一つじゃない。重なり合うように何頭分もの巨大な足跡が獣道に刻まれている。


 群れだ。


 こんな巨大な何かの群れが、集落からそう遠くない草原を通っている。


 腹の底が、すっと冷える。


「……柵を確認しておくか」


 散歩の目的が変わった。いや、最初から目的なんてなかったが。


 俺は獣道に背を向け、集落のほうへ足を向ける。帰り道、西の端を回り込むように歩く。柵の状態を外側から見ておこうと思ったのだ。


 引退した人間のすることではない気がするが、まあ、自分が寝る家の安全確認くらいは怠惰の範囲内だろう。


 西側の柵に沿って歩いていると、ふと視界の端で何かが光る。


 足を止めて、西の森の方角を見る。


 ──また、あの光だ。


 原生林の奥、木々の隙間から何かが明滅している。蛍の光とは色が違う。もっと冷たい、蒼白い輝きだ。


 前にも見た。最初の家が完成した夜、窓から西の森を眺めたときに同じ光が瞬いていた。


 あのときは気のせいだと思った。だが二度目となると、話が変わる。


 光は一定の間隔で明滅を繰り返している。自然の現象にしては規則的すぎる。まるで何かの合図のような、意図的なリズム。


 目を凝らす。だが森の奥は暗く、光の正体までは見えない。木々の葉擦れの音に混じって、何か別の気配がある。


 風が変わる。森のほうから吹いてくる風に、花でも草でもない不思議な甘い匂いが混じっている。嗅いだことのない香りだ。


「…………」


 だが、あの森に踏み込むのは面倒だ。道もないし、藪を漕いで進むなんて想像するだけで疲れる。第一、俺は引退したのだ。未知の光を調べに行くのは引退した人間の仕事ではない。


 光がもう一度、ゆっくりと瞬く。


 その瞬間──背中の産毛が立った。


 森の奥から、誰かがこちらを見ている。俺は思わず一歩後ずさる。


 だが、次の瞬間にはもう何もない。光は消え、風は普通の森の匂いに戻り、視線の気配も霧のように薄れていく。


「……気のせいだな」


 自分に言い聞かせて背を向ける。


 集落に戻ると、何事もなかったように仕組みが回っている。カイの号令、鉈の音、水の流れ、飯の匂い。俺がいなくても完璧に動く、俺の作った世界。


 ハンモックに倒れ込む。


 南の草原に刻まれた、巨大な足跡の群れ。西の森の奥で瞬く、冷たい蒼白の光。


 南と西。二つの方角から、何かがこの集落ににじり寄っている。


「……せっかくの完璧な引退初日が、もう台無しだ」


 ハンモックが風に揺れる。空はまだ青く、雲はまだ白い。


 だが、さっきまでと同じ空には、もう見えなかった。

お読みいただきありがとうございました!


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