第36話「噂を運ぶ客人と、露見する異常性」
「……誰だ、あいつ」
ハンモックから片目を開けると、集落の入口でカイが見知らぬ男と話し込んでいた。
日に焼けた肌、くたびれた外套、背中に背負った人の胴体ほどもある革袋。どこからどう見ても旅の人間だ。
せっかく家も建って、本格的にサボり三昧の日々が始まるところだったのに。なんで外から人が来るんだよ。この森の奥まで、人間の足で辿り着くほうが難しいはずだろうに。
「ユウト! 客人だ! 東の海岸沿いの港から来たって!」
カイが目を輝かせて駆けてくる。お前はなんでそんなに嬉しそうなんだ。
「お前が応対しろ。俺は昼寝の途中だ」
「いや、そうもいかねえだろ。──なあ、あんた、こっちに来てくれ」
カイに手招きされて、旅人がおそるおそる近づいてきた。三十くらいのやせ型の男だ。目元に疲労の色が濃いが、瞳の奥に好奇心がぎらついている。
「失礼します。東の港から内陸に入ったんですが、森に迷い込んでしまって──」
男がそこまで言いかけて、口を閉じた。
視線が、俺の後ろに向いている。
水路だ。石組みで整えられた水路が川から集落の中央まで一直線に流れ込み、要所で分岐している。その先には畑が整然と広がり、規格化された建材で組まれた木造家屋が何棟も並んでいた。
「嘘……でしょう」
男の声がかすれた。
「あの、ここは──いつからあるんですか」
「数ヶ月前からだ」
カイが胸を張って答える。やめろ。自慢げに言うな。
「数ヶ月? たった数ヶ月でこの水路と家屋と畑を? 旧大陸の開拓村だって、ここまで整うのに何年もかかりますよ。いや……整わないまま潰れるほうが多い」
「だろうな。全部こいつの仕組みのおかげだ」
カイが俺を親指で示した。
旅人がこちらを見る。ハンモックでだらけている俺を見て、明らかに困惑した顔になった。
「この方が……村長ですか?」
「違う。断じて違う。俺はただの住民だ」
「大賢者様だぞ」
カイ、お前マジでやめろ。
「た、大賢者……?」
男の目がさらにぎらついた。嫌な予感しかしない。
「ここの長に会わせてもらえませんか」
カイが無言で俺を指差す。俺は全力で首を横に振った。
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「客人なら飯を出さないとね!」
マーレンが張り切って現れた。こういう時だけ仕事が早い。
中央広場の食事処に旅人を座らせ、マーレンが石板焼きの支度を始める。俺もハンモックを諦めて、仕方なく広場の隅に腰を下ろした。どうせ巻き込まれるなら、飯のそばにいたほうが楽だ。
石板の上で川魚が焼ける音がする。脂がじゅわっと弾けて、森の空気に食欲をそそる匂いが広がった。
「あんた、荷物の中にいい匂いのする粉を持ってるでしょう。あたしの鼻は誤魔化せないわよ」
マーレンが旅人を見据えた。
「え、ああ……南方産の香辛料を少し。港で手に入れたんですが」
「ちょっと借りるわよ」
有無を言わさず荷袋から革の小袋を引っ張り出し、中の赤茶色の粉末を指先に取って舐めた。
「辛みの奥に甘みがある。いいやつだわ、これ」
マーレンが石板の上の魚に、ぱっぱっと粉末を振りかける。
匂いが変わった。
脂の甘さに鼻の奥をくすぐる刺激が混ざって、思わず喉が鳴る。焼けた魚の表面に赤茶色の粉がうっすらとまぶされ、湯気と一緒に馥郁とした香りが立ち上っていた。
「はい、お待ちどう。あんたが最初の客だからね、サービスしとくわ」
石板から大きな葉の皿に魚を滑らせて差し出す。
旅人がおずおずと一口齧った。
動きが止まった。
「な……なんだ、これ……」
二口目。三口目。箸を握る手の勢いが止まらない。
「嘘だろ……旧大陸で食べたどの魚より美味い。この粉の使い方といい、この魚の味の濃さといい──こんな辺境で、なんでこんな味が……」
男の目が潤んでいる。魚一匹でそこまでか。
だが、俺も一切れもらって口に運んだ瞬間──理解した。
美味い。
いつものマーレンの石板焼きとは段違いだ。香辛料の辛みが脂の甘さを引き立て、後味に鼻へ抜ける香ばしさが残る。マナに満ちたこの土地で育った魚の旨味と、旧大陸から運ばれてきた香辛料が噛み合って、互いの良さを何倍にも引き出している。
「マーレン、この粉……もっとないのか」
「あんた、いい反応するじゃない」
マーレンがにやりと笑った。完全に自信を持った顔だ。
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飯が一段落して、俺は旅人の荷物に目をやった。
めんどくさいが、確認くらいはしておくか。あの香辛料がどれほどの品かわかれば、次の取引の参考になる。自分が楽できる範囲で。
目を閉じて、荷袋に意識を向ける。頭の奥で【効率化】が静かに動き出した。
『香辛料は南方の火山島産──乾燥と密封の処理が丁寧で、劣化がほぼない上物。旧大陸の港なら銀貨十枚は下らない。薬草は中程度の品質で保存にやや難あり。鞣し革は並──縫い目が粗いが実用には耐える』
なるほど。香辛料だけ飛び抜けていて、残りはそこそこか。
「あんたの持ってる粉、全部置いていきなさいよ」
マーレンが切り出した。いや、あれは交渉ではない。宣告だ。
「え、全部ですか? でもこれ、結構な値が──」
「うちの余ってる作物と干し肉、好きなだけ持っていっていいわ。この島の食い物は、あんたが旧大陸で食べてたものとは比べものにならないからね」
旅人が迷っている。だが、さっき泣きながら魚を食べた男に拒否権はないだろう。
「……いいでしょう。ありがたくいただきます」
あっさり成立した。マーレンの豪腕に感謝しよう。おかげで俺は何もせずに済んだ。
旅人が荷物をまとめ直しながら、きょろきょろと集落を見回している。水路、畑、家屋、広場。それを眺める目が、だんだんと大きくなっていく。
「あの……失礼ですが、大賢者様は、いったいどうやってこれだけの仕組みを──たった数ヶ月で。旧大陸の港町でも、ここまで整った集落は稀です。もしかして、あなたは神の──」
「やめろ」
全力で遮った。
「神じゃない。大賢者でもない。俺はただ楽をしたかっただけだ。大袈裟に言うな」
「し、しかし──」
「頼むから、帰っても余計なことは言うなよ。俺はこのままひっそり暮らしたいんだ」
旅人は口をつぐんだ。だが、その目はまだぎらついていた。
あの目は駄目だ。あれは『すごい話を仕入れた』と思っている人間の目だ。前世の会社にもいた。飲み会のネタを見つけた時の同僚と、まったく同じ顔をしている。
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夕刻。
旅人は余剰の作物と干し肉を詰め込んだ荷袋を背負い、東の森へ消えていった。カイが森の入口まで道案内を買って出て、丁寧に見送ったらしい。
俺はハンモックに身体を預けた。ようやく静かになった。
石板焼きの残り香がまだ鼻の奥に漂っている。あの香辛料、マーレンの腕なら飯がとんでもないことになるだろう。それだけは悪くない。
だが。
「……あの男、絶対に港で喋るぞ」
やめてくれと言ったところで無駄だ。水路と家屋と畑が整った集落を見て、あの美味い飯を食って、黙っていられる人間はいない。
噂は広がる。人が来る。人が来れば、面倒事が増える。
楽をしたいだけなのに、なんで世界のほうから押しかけてくるんだ。
夕焼けの空を見上げて、深い、本当に深いため息をついた。
せめて、噂が届くまでにもう少し猶予があることを祈ろう。その間に俺は、昼寝を限界まで貯めておく。
——だが、祈りが届いた試しなど、前世にも今世にも一度もなかった。
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