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第35話「最初の『家』と忍び寄る影」

「できたぞぉぉぉぉっ!!」


 カイの雄叫びが、朝焼けに染まった森じゅうに轟いた。


 続けて、五十人近い開拓民の歓声が地鳴りのように爆発する。抱き合う者、泣き崩れる者、空に向かって拳を突き上げる者。まるで戦争に勝ったかのような大騒ぎだ。


 俺はハンモックから重い身体を這い出して、目を細めた。


 朝日に照らされた真新しい木の壁が、まぶしいくらいに輝いている。


 分厚い壁、太い柱、雨水を両脇へ流す傾斜のついた屋根。規格化された建材を組み上げた、この島で最初の木造家屋がそこにあった。


 そして何より──俺は現場に一歩も出ていない。


 カイが作業班に指示を出し、ドスの土木班が柱を据え、カルルの精密作業班が壁板を嵌め込んだ。俺が渡した図面一枚と、カイの采配だけで、この家は建った。


 仕組みの力ってやつだ。最高に楽だった。


「ユウト、見てくれ! お前の設計通りだ!」


 カイが泥だらけの手で俺の腕を掴み、目を輝かせている。こいつ、あれだけぶっ倒れておいて元気だな。五右衛門風呂の効能、恐るべし。


「俺の設計通りなのは当たり前だろ。それより、お前がちゃんと仕切ったんだろうが」


「ああ。ドスに重い仕事を任せて、カルルに細かいところを頼んで、俺は全体を見て回った。最初は不安で手を出しそうになったが……信じて任せたら、あいつらちゃんとやるもんだな」


 カイの顔に、以前のような消耗の影はない。あるのは清々しい、一仕事やり遂げた男の笑みだ。


 ったく。こっちまで気分がいいじゃねえか。


 さて。俺が確認しなきゃならないことが一つある。この家が本当に安全かどうかだ。俺がここで寝るんだから、自分の安眠のためにやっておく。


 壁の前に立ち、手のひらを押し当てた。


 木肌がひんやりと滑らかで、指先に微かな木目の凹凸が伝わってくる。マナを含んだ木材特有の、ほのかに甘い樹脂の香りが鼻腔をくすぐった。


 拳で軽く叩く。コン、と硬質で乾いた音。中身が詰まっている証だ。


 目を閉じると、頭の奥で【効率化】が静かに起動した。


 今回は少し違った。瞼の裏に淡い青色の幾何学模様が浮かび上がり、家屋の構造全体が透視図のように展開される。柱の一本一本、壁板の継ぎ目、屋根の傾斜角、基礎の石組み──すべてが線と形に分解されていく。


『壁厚、十分。柱の耐荷重は成人八名が屋根に乗っても崩壊しない──屋根の傾斜角が適正で、豪雨時にも雨水が滞留しない──接合部の嵌め合い精度、良好。隙間風の侵入は実質なし──総合、合格』


 長く、詳細な分析だった。普段の【効率化】よりも明らかに情報量が多い。まるで、この家の完成をスキル自体が待ち望んでいたかのような。


「……合格だ」


 目を開けて、小さく呟いた。この家はどんな嵐にも耐える。俺の安眠は保証された。


「やった! 大賢者様のお墨付きだ!」


 テオが叫ぶと、住民たちが一斉に歓声を上げた。


「見て、見て! これが大賢者様の御殿ですよ!」


「御殿じゃない」


「大賢者様が自らお住まいになる、聖なる御屋敷……!」


「だからただの家だっつってるだろ。やめろ」


 頼むから。俺の寝床の安全を確認しただけだ。この崇拝体質、いつになったら治るんだ。


「それよりカイさん、この図面の通りにやれば、もう一棟建てられますよね?」


 テオがカイに図面を見せた。俺が炭で描いた、あの一枚きりの設計図だ。


「ああ、手順は全員の頭に入ってる。建材の切り出し方も規格が決まってるから、同じことを繰り返すだけだ」


「じゃあ明日から二棟目に取りかかりましょう! うちの班、もう段取りわかってますから!」


「うちもやれます! 三棟目、いけますよ!」


 待て。


 待て待て待て。


 一棟だ。俺は一棟建てただけだ。自分が寝る場所が欲しかっただけなのに、なんで量産の話になっている。


 だが住民たちは止まらない。作業班ごとに図面を囲み、「ここの柱はこう組んで」「壁板の嵌め方はこの順番で」と、もう完全に自分たちだけで動き始めている。


 カイが腕を組んで、満足そうに頷いていた。お前も止めろよ。


「……やりすぎだろ」


 ハンモックに戻って天を仰いだ。仕組みを作って丸投げするのは、俺の理想だった。だがこうも見事に回り始めると、もう俺の手を離れて勝手に増殖していく生き物みたいで、少しだけ背筋が寒い。


 一棟でいいんだって。


 ……まあ、サボれるなら何棟建とうが知ったことじゃないか。俺が働かされないなら好きにしろ。


 目を閉じて、久しぶりに何もしない昼寝を楽しもうとした──その瞬間だった。


 頭の奥で、何かが弾けた。


 いつもの【効率化】の声とは違う。もっと深い場所から、氷の刃で脳の芯を撫でるような、冷たく無機質な響きが這い上がってきた。


『条件達成──定住。次の段階を解放する』


 心臓が跳ねた。


 ハンモックから半身を起こし、周囲を見回す。住民たちは二棟目の段取りに夢中で、カイは作業班と話し込んでいる。誰も何も気づいていない。


 今の声は、俺の頭の中だけで鳴ったのか。


「お前……勝手に進化するのか?」


 声に出して呟いたが、返事はなかった。あの冷たい通知は一度きりで、それ以上は何も語らない。


 『次の段階』って何だ。『定住』が条件だった? つまりこのスキルには、俺の知らない条件がまだ他にもあるのか。


 便利だが、気味が悪い。俺の能力のくせに、俺に断りもなく勝手に成長するとは何事だ。


 ……考えても仕方ない。面倒なことは明日の俺に任せよう。


---


 夜。


 完成したばかりの家の中で、俺は一人、木の寝台に横になった。


 頭上には板張りの天井がある。壁に囲まれている。窓から入る夜風は穏やかで、テントの時のような隙間風の唸りはない。


 静かだ。


 虫の声と、遠くの梟の鳴き声だけが壁越しにくぐもって聞こえてくる。木の匂いが部屋じゅうに満ちていて、鼻の奥がほんのり温かい。寝台の木肌に指を這わせると、丁寧に磨かれた滑らかな感触が返ってきた。カルルの仕事だろう。あいつは手を抜かない。


 完璧な寝床だ。風も雨も虫も入ってこない。


 家が建ったのに、俺は一人寝。これは喜んでいいのか悲しんでいいのか──いや、一人寝こそが至高だろ。何を言ってるんだ。


 ……なのに。


 天井を見上げた瞬間、胸の奥に小さな空洞が開いた気がした。


 壁に囲まれた静かな部屋。一人で横になる寝台。天井の木目の模様。


 前世のワンルームに帰った時と、同じ感覚だ。残業で疲れ果てて、真っ暗な部屋の扉を開けて、明かりをつけた瞬間の、あの。


 後ろに、誰もいない。


「……何を考えてるんだ。馬鹿馬鹿しい」


 声に出して、振り払った。


 一人が好きなんだ、俺は。誰にも起こされず、誰の世話もせず、好きなだけ惰眠を貪れる。これ以上の贅沢があるか。


 寝返りを打って、窓の方を向いた。


 そこで、目が止まった。


 西の森の奥──木々の黒い輪郭の隙間に、何かが光っていた。


 ぽつり、ぽつりと。蛍よりも冷たく、星よりも近い。蒼白い光が、森の深部で静かに明滅している。


「……気のせいか」


 目を閉じた。


 だが脳裏には、あの冷たい声がこびりついている。


 ──条件達成。定住。次の段階を解放する。


 この島は、まだまだ色々と隠しているらしい。


 完璧な怠惰への道は──どうやら、もう少し先にあるようだ。

お読みいただきありがとうございました!


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