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第31話「俺を崇めるのはやめてくれ」

 朝起きたら、テントの入り口に何かが置いてあった。


 木の実を山盛りにした皿と、花を束ねた輪っかと、そしてなぜか俺に似た木彫りの人形。


「……なにこれ。呪い?」


 寝ぼけた頭で手に取ってみる。手のひらに収まるくらいの、荒削りだが妙に丁寧な木の人形。しかし、なぜか目だけがやたらとキラキラしていて、満面の笑みを浮かべている。


 いや待て。なんで目がキラキラなんだよ。俺の目は死んでるだろ。前世から一貫して死んでるだろ。


「大賢者様! おはようございます!」


 テントの布をめくった瞬間、眩しい朝日と一緒に、もっと眩しい笑顔の集団が待ち構えていた。


 五人。いや、六人。全員が俺のテントの前に並んでいる。手にはそれぞれ、果物やら干し肉やら、手編みの腕輪まで持っている奴がいる。


「あの、大賢者様のお導きで畑が実りまして……そのお礼を」


「水路のおかげで川まで汲みに行かなくてよくなりました! ありがたや……」


「建材の仕組みのおかげで、俺たちの小屋がちゃんと組めそうです!」


 口々に語る住民たちの目が、完全に信仰の光に染まっている。


 まずい。非常にまずい。


 前世で「佐藤さんなら全部やってくれますよね」と笑顔で仕事を押し付けてきた上司と同じ光だ。あの光の先に待っているのは、際限のない依頼と消滅する昼寝時間だけだ。


「やめろ。帰れ。俺はただ楽がしたかっただけだ」


「なんという謙虚なお言葉……! 大賢者様は自らの功績を誇らぬ方なのですな……!」


「違う。謙虚じゃない。本心だ」


 通じない。善意というのは、どうしてこうも暴力的なのか。


 逃げよう。


 俺は裸足のまま、テントの裏から走り出した。


「あ、大賢者様が走られた!」


「追え! お供え物を届けるのだ!」


 なぜ追ってくる。俺は犯罪者でも逃亡者でもない。ただの怠惰な引きこもり希望者だ。


 集落の中を全力で駆ける。朝露に濡れた草が足の裏に冷たく貼りつく。泥の匂いが鼻をつく。こんな早朝から全力疾走するなんて、俺の人生設計に存在してはいけない項目だ。


「大賢者様、お待ちくだされ!」


「祝福を! お言葉を!」


 後ろから聞こえる善意の怒号。こんなに走りたくない朝は初めてだ。サボりたい。今すぐハンモックに戻りたい。


「おいおい、朝から何の騒ぎだ?」


 広場の端に立っていたカイが、腕を組んで呆れた顔をしていた。


「カイ! 助けろ! こいつらが俺を崇めてくる!」


「崇める? ああ、お供え物か。昨日の夜から準備してたみたいだぞ。お前の木彫り人形も、カルルが一晩かけて──」


「どうでもいい! 止めてくれ! 俺は神じゃない! ただのぐうたらだ!」


 カイは一瞬、何か考えるように顎に手を当てた。そして住民たちの方を向き、両手を広げた。


「よし、みんな落ち着け! ユウトへの感謝は俺が全部聞いて伝える。お供え物も俺が預かるから、直接押しかけるのはやめてやってくれ」


「カイさんが伝えてくださるんですか!」


「おう、任せとけ。こいつは照れ屋なんだ」


「照れ屋じゃない。面倒くさがりだ」


 だが住民たちは「大賢者様は照れ屋」の方が気に入ったらしく、感動した顔で頷き合っている。もう訂正する気力もない。


 とにかく、これで直接の襲撃は免れた。


---


 カイが住民をなだめている間に、俺はハンモックに逃げ込んだ。


 朝からの全力疾走で体力を使い果たした。こんな消耗、生涯で二度と味わいたくない。あと三時間は動きたくない。いや、今日一日動きたくない。


 だが、一つだけ片付けておかなければならないことがある。


 建築だ。


 規格化した建材はすでに揃っている。問題は、それをどう組むかの指示をまだ出していないことだ。放っておけば住民たちが好き勝手に積み上げて、三日後に全部崩れる。そうなったら「大賢者様なんとかして」と俺のところに来るのは確実で、俺の昼寝がまた消える。


 面倒の芽は、寝てる間に摘んでおくに限る。


 ハンモックに揺られながら目を閉じると、頭の奥で【効率化】が静かに展開した。


『柱の間隔は腕二本分が最適──壁板は指四本の厚さで風雨を防ぎつつ軽さを保てる。屋根の傾斜は棟木から軒先までの落差を、大人の腕を真横に伸ばした長さの三分の一とすること。雨水が自然に流れ落ちる』


 身体の寸法で全部説明してくれるのは助かる。この世界に定規はない。腕の長さと指の幅が物差しだ。


 俺はハンモックから片手を伸ばし、地面に転がっていた平らな木の板を拾い上げた。炭の欠片を指先で挟んで、板の表面にざっと図を描いていく。


 柱の位置。壁の組み方。屋根の骨組み。釘がないから、木のほぞとくさびで固定する方法も添えた。


 こんなの一々現場に出なくても、板一枚で伝わる。紙がないのが惜しいが、木の板で充分だ。


「お、ユウト。もう描けたのか」


 カイが戻ってきた。住民たちはひとまず散らしたらしい。ありがたい。


「これの通りにやれ。素人でも建てられる設計にしてある。柱の間隔は腕二本分、壁板は指四本の厚さ、屋根の傾きはここに描いた通りだ」


 板をカイに押し付ける。


「あとは頼んだ。俺はもう寝る」


「待て待て、もうちょっと説明を──」


「板に全部描いた。絵だ。見りゃわかる」


 カイは板を受け取って、しばらく黙って眺めていた。


 やがて、ゆっくりと頷く。


「……なるほど。確かにこれなら俺でもわかる。すげえな、お前」


「すごくない。面倒を先に潰しただけだ。いちいち現場で聞かれるより、最初に全部渡しておく方が俺が楽できる」


「はは、お前らしいよ」


 カイは笑って、建設現場の方へ歩き出した。すぐに住民たちに声を張り上げて、板の図面を見せながら指示を出し始める。


「よし、まず柱を立てるぞ! この図の通りだ、間隔は腕二本分!」


 威勢のいい声に応える掛け声。木と木がぶつかる硬い音。槌が打ち込まれる小気味よい響きが、風に乗って俺のハンモックまで届く。


 完璧だ。あとは俺が何もしなくても、勝手に家の骨組みが立ち上がっていく。


 ハンモックに深く沈み込んで、目を閉じた。木漏れ日が瞼の裏をちらちらと温かく照らす。ようやく訪れた安息。このまま昼まで眠ってしまいたい。いや、夕方まで。できれば明日の朝まで。


 ──ただ一つ、気になることがある。


 ハンモックから薄目で建設現場を眺める。俺の図面通りに、着々と骨組みが立ち上がっていく。問題ない。


 だが、その中心で住民たちに声を張り上げているカイの顔が、今日に限ってやけに青白い。昨晩、旧大陸の話をしてからずっと、あの太い肩に見えない重荷が乗っかっているように見える。


「……まあ、あいつの問題だ」


 俺が気にすることじゃない。あいつは頑丈だし、勝手にやるだろう。


 そう言い聞かせて、目を閉じた。遠くの槌音が、どこか急かすような調子で続いている。

お読みいただきありがとうございました!


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