第28話「【効率化】の本当の恐ろしさ(農業編)」
あたしは、自分の目を疑った。
昨日ユウトが何もない荒れ地の土を指差して、あたしたちに種を蒔かせた。
すると翌朝には、そこに完璧な等間隔で新芽が芽吹いている。一晩で、魔法のように。
──でもその話をする前に、昨日のことから話さないといけない。
水路が完成して数日。カイの率いる男たちがユウトの指示で丸太を切りそろえる作業に追われている中、ユウトはあたしと数人の女たちを、集落のはずれの荒れ地に連れ出した。
腰の高さまで雑草が茂り、石ころだらけの、とても畑になりそうにない場所だ。
「ここで農業をやる」
ユウトはそう言って、しゃがみ込み、足元の土をひとつまみ掬い上げた。
その目があたしの顔を見るでもなく、手元の土を見るでもなく、空中の何かを追っている。あたしには見えない何かを、一人で無言のまま読み取っているような目つきだった。
「……酸っぱい匂いが強すぎるな。水はけも悪い。粘土質だ。でも日当たりだけは無駄にいい」
立ち上がったユウトは、靴の先で地面に線を引き始めた。
「マーレン、この線から右に三歩。この区画にはあの青い蔓の種を蒔け。隣の二歩分には麦。窪みには豆だ」
「ちょっと待ちなさいよ!」
あたしは思わず声を荒げた。
「バラバラに違う種を蒔いてまともに育つわけないでしょ! 麦なら麦、一面に同じものを植えるのが当たり前じゃない!」
旧大陸の領主の農場でも、広い土地に同じ作物を一面に植えるのが常識だった。農奴にひたすら同じ作業をさせるのに都合がいいからだ。
ユウトのやり方は、農業を知らない子供の遊びにしか見えなかった。
「その『一面植え』ってのは、人間が収穫しやすいってだけの理由で、植物の性質を無視した乱暴なやり方だ」
ユウトは鼻を鳴らした。
「土の養分も、地下の水の深さも、日差しの角度も、たった数歩で全く違う。植物にはそれぞれ得意な環境がある。だから『その狭い区画が一番育てやすいもの』を、継ぎ接ぎの布みたいに細かく配置してやるのが、結果的に最も実りが大きいんだよ」
「で、でも水やりはどうするの! 種類が違えば必要な水の量も違うし、毎日一つ一つ調整するなんて過労で倒れちゃうわよ」
「そんなめんどくさいこと、するわけないだろ」
ユウトはあくびを噛み殺しながら言った。
「水源から細い溝を何本も枝分かれさせて、それぞれの根の深さに合わせた傾斜をつけてある。何もしなくても勝手に適量が染み込む仕掛けだ。……ああ、説明がめんどくさい」
空中に何かを描くように指を動かし、ぶつぶつと早口で呟き始める。
「そもそも同じ作物を一面に植えると、土の中の同じ養分ばかり食い尽くされてすぐ土地が痩せる。だが養分の好みが違う作物を隣同士に置けば、互いに足りないものを補い合う。虫を遠ざける匂いで害虫も退け合うんだ。植物同士の助け合いによる効率化だな」
「そこまで考えてるの……」
「いいから俺の言う通りに蒔け。指一本分でも位置がズレるなよ。収穫が減ったら、その分俺の飯が減る。俺の昼寝の質に直結するんだ」
振り返ったユウトの目を見て、あたしは息を呑んだ。
普段のハンモックで口を開けて眠りこける怠け者からは想像もつかないほど冷たく、恐ろしいほど澄み切った目。
ただの人間が土を見る目じゃない。
不規則な自然すらも、自分の描いた図面の枠にはめ込もうとする──超越者のような視線だった。
「……わかったわよ」
あたしはその迫力に圧されて反論を諦め、麻袋を開けた。
他の女たちも、ユウトの指示通りに、言われた場所へ言われた種を、指示された深さで慎重に植え付けていく。
あたしたちが知っている農業につきものの「豊作を神に祈る」とか「大地に感謝する」とか、そういう人間らしい感情が入り込む余地は一切なかった。
あるのはただ、ユウトの頭の中にある完成図を、泥だらけの現実に寸分の狂いもなく写し取るだけの冷徹な作業だった。
気がつけば、日が傾いていた。
膝をついた土の冷たさが、じわりと骨に染みている。指の爪の間に入り込んだ黒い泥が、どれだけ擦っても取れなかった。
──そして、翌朝。
「……なんなの、これ」
あたしは寝床から起き上がり、半信半疑のまま朝靄のかかる畑を見に来て──手に持っていた木桶を取り落としそうになった。
昨日蒔いたばかりの種が、もう芽を出していた。
ただのひ弱な芽生えじゃない。大地の底から押し上げられたかのように逞しく、異常なまでに青々とした新芽が、幾何学模様の絨毯のように整然と並んでいる。
朝日に照らされた葉の表面で、露がきらきらと光っていた。
地下の細い水路から染み出した水が、ちょうどいい量だけ土を潤している。湿った若葉の匂いが鼻をくすぐり、虫の羽音が遠くで細く響いている。
ユウトが一目で見抜いたという、それぞれの植物にとって最も心地よい環境。一切の無駄を削ぎ落とした配置。
それがここまで暴力的な速さで植物を育てるなんて。
この新大陸の大地に満ちた力──旧大陸では枯れかけていたという、マナの恩恵もあるのだろう。
あたしたちが旧大陸で知っていた農業とは、根本から違う何かがここでは起きている。
当のユウト本人はといえば。
「よし、これで俺が食料集めに森を歩き回る手間が省ける。最高だ。あとは寝るだけだな」
心底気の抜けた顔でそう言い残し、定位置のハンモックに吸い込まれるように消えていった。
あのとんでもないことをやっておいて、感想がそれか。
ふと。
背中を、氷のように冷たい風がぞわりと撫でた。
あたしはハッとして振り返る。
防御柵の向こうに広がる西の森。カイに「絶対に入るな」と厳命されている、鬱蒼とした暗い木々の奥。
そこから誰かが──あるいは何かが、急激に変わり始めたこちらの開拓地を、息を潜めてじっと見ているような気配がした。
「……気のせいよね。朝の風が冷たいだけだわ」
あたしは身震いして、首を横に振った。
そして輝く畑に向き直る。
振り返らない。
この日、あたしたちの中にひとつの確信が生まれたのだから。
この集落は、もうただの森の避難場所なんかじゃない。
近いうちにひとつの、ちゃんとした村──いや、もしかすると街へと変わっていくのだと。
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