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第25話「歯車は二つで回る」

「あー……もうっ、本当に! め・ん・ど・く・さ・い!!」


 舞い上がる土煙と、崩れ落ちる土の嫌な音。

 予定外の事故処理。前世から今に至るまで、俺が世界で一番憎む仕事だ。


 斜面の上から見下ろした現場は、惨憺たる有様だった。

 丸一日かけて固めた水路の壁面がごっそり崩れ、埋もれかけた男たちがうめき声を上げている。板で補強した区画まで巻き込まれて、半日分の作業が吹っ飛んでいた。


「カルル! お前、足は動くか!」


 土砂の中から引きずり出されたカルルが、片足を引きずりながら歯を食いしばっている。精密な板削りで水路の要所を補強してくれていた男だ。右の脛が赤黒く腫れ上がり、嫌な色をしていた。

 ツンと鼻をつく土と血の混じった匂いが、風に乗って斜面の上まで届く。


「す、すまない……骨は折れてないと思う。でも、しばらく細かい作業は……」

「無理すんな。マーレンのところに連れてけ」


 俺は深いため息をつきながら斜面を降りた。

 せっかく完璧に組み上げた段取りが台無しだ。カルルが抜ければ精密作業の要がいなくなる。水路の完成が遅れる。俺の昼寝生活が遠ざかる。最悪だ。


 そして──現場の真ん中に、膝をついて動かない馬鹿が一人。


「……俺の、せいだ」


 カイが項垂れていた。

 握りしめた拳が白くなるほど力が入り、大きな体がまるで子供みたいに縮こまっている。


「ペースを上げろなんて言わなきゃ……俺が交代を守ってれば、カルルは怪我しなかった」


 声が震えていた。

 俺には分かっていた。カイの頭の中に映っているのは、こんな泥だらけの現場じゃない。旧大陸の、冷たい雨の夜だ。腕の中で冷たくなっていった弟分の記憶。守れなかった命の重さが、カルルの怪我と重なって、カイの心を押し潰そうとしている。


 マーレンから聞いた話が、嫌でも頭をよぎる。

 こいつはいつもそうだ。自分が一番苦しめば、自分が一番泥を被れば、全部なんとかなると信じ込んでいる。


 前世のブラック企業にいたあのクソ上司と、同じ匂いがする。

 気合いで数字は伸びない。根性で納期は縮まない。精神論で水は増えない。


 ──だが、あのクソ上司と決定的に違うのは。

 カイの目が、自分のためじゃなく、目の前の人間のために血走っているということだ。


 ……まあ、そんなことはどうでもいい。

 俺が困るのは、カイが壊れることなのだ。


「おい、カイ」


 俺は項垂れる馬鹿の前に立ち、その泥だらけの頭をコツンと小突いた。


「顔を上げろ」


「……ユウト。俺は──」


「お前の空回りは、ただの迷惑だ」


 カイの顔が歪んだ。構わず続ける。


「お前が一番苦しんで、一番泥を被って、それで何が解決した? 壁は崩れた。カルルは怪我した。お前が歯を食いしばった顔を見て、誰も『助かった』なんて思ってない」


「…………」


「はっきり言う。お前が倒れたら、俺が現場に出て働く羽目になる。それだけは絶対に困る」


 我ながら最低の動機だと思う。

 だがこれが本音だ。俺は楽がしたい。カイに潰れられると俺の昼寝が消える。それが世界で一番困る。


 カイがゆっくりと顔を上げた。泥まみれの頬に、困惑と、かすかな怒りが滲んでいる。


「じゃあ俺はどうすりゃいい。図面も引けない。仕掛けも作れない。力任せに掘ることしかできない俺に、何ができるんだよ」


「馬鹿言え。お前にしかできないことが一つある」


 俺は崩れた水路の壁を顎で指した。


「お前のその無駄にデカい声と、根拠のないカリスマだ」


「……は?」


「俺は仕掛けを作る。最適な割り振りも、掘る順番も、休む時間も全部決めてやる。だがな──」


 脳裏で【効率化】がぼんやりと囁いた。


『現状の人員配置を組み直し、精密作業の欠員一名を補い、指揮伝達を一人の声に集約した場合──作業の回り具合は今の一・四倍に達する見込み』


 ほら見ろ。俺の勘は正しかった。


「──俺がどんなに完璧な段取りを組んでも、それを現場の人間に伝えて、士気を保って、的確に動かせる奴がいなきゃ、絵に描いた餅だ。その役目ができる奴は、この五十人の中にお前しかいない」


 カイの目が見開かれた。


「俺が頭。お前が現場の大将。俺の作った段取りの通りに、お前が号令をかけて全員を動かせ。誰を休ませるか、誰を次に入れるか、俺が決めた枠の中でお前が判断しろ」


「それは……でも俺は、さっき……」


「さっきのは、仕掛けを無視して根性だけで回そうとしたから壊れたんだ。だがな、仕掛けの中で動くなら、お前のその熱さは武器になる」


 カイが黙って俺を見つめた。

 泥まみれの目の奥で、何かがゆっくりと変わっていく。


 弟分を守れなかった夜。あの時も、力任せに剣を振るうことしかできなかった自分。

 だけど今、目の前のこの怠け者は、「力任せ」とはまるで違う道を示している。自分が一番苦しむことだけがリーダーの条件じゃないと、呆れた顔で突きつけている。


「……壊したら、どうする」


「その時はまた俺が直す。めんどくせえから、なるべく壊すなよ」


 カイが、ゆっくりと立ち上がった。

 膝の泥を払い、深く息を吸い込んで、背筋を伸ばす。さっきまで縮こまっていた大きな体が、本来の大きさを取り戻した。


「──おう。任せとけ、ユウト!」


 その一声で、空気が変わった。

 地面から湧き上がるような、腹の底から絞り出す力強い響き。さっきまでの焦りも自己嫌悪も、どこにもない。


「お前ら聞け! 今から俺がユウトの指示を伝える! 俺が『休め』と言ったら即座に休め! 『掘れ』と言ったら全力で掘れ! 勝手な判断は──俺も含めて、一切なしだ!」


 戸惑っていた開拓民たちの顔が、ハッと引き締まる。


「「「おう!!」」」


 その瞬間から、現場が嘘のように動き始めた。

 俺が高台から示す指示を、カイの野太い声が現場に届ける。「三番、交代! 五番、板を持って東側に入れ!」的確で、速く、力強い。

 さっきまで怯えていた男たちの目に、みるみる光が戻る。スコップが湿った土を抉る音が規則正しく刻まれ始め、踏み固められた地面を蹴る足の振動が腹の底に響いてきた。

 崩れた土砂があっという間に片付けられ、壁面の補修が始まった。カルルの抜けた穴は二人の男で分担させ、カイが細かく声をかけて連携を繋いでいく。


 冷たい知恵の歯車と、熱い動力の歯車。

 二つが初めて正しく噛み合った瞬間、水路工事は──いや、この集落そのものが、本当の意味で回り始めた。


 歯車は、一つじゃ回らない。

 二つで初めて、回るのだ。


 ……さて。


 俺はカイに現場を丸投げすると、高台の木陰にそっと座り込んだ。

 前世で俺を潰した「責任という名の丸投げ」を、ついに俺のほうからやってやった。しかも今回は、丸投げされた側が嬉しそうに走り回っている。最高だ。


「優秀な現場の大将がいると、裏方は昼寝ができるな……」


 木漏れ日が温かい。風が心地いい。眼下では汗まみれの男たちが土を掘り、カイの号令が森に響いている。

 俺は腕を枕にして寝転がり、口元に邪悪な笑みを浮かべた。


 さあ、一気に水路を通すぞ。

 あと数日もすれば、この集落に水が流れる。

 早くこれを完成させて、一生ダラダラしてやる。

お読みいただきありがとうございました!


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